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活動日
2011年08月26日(金)
学習テーマ
戦争体験を聞く
あらまし
三歳のときに東京大空襲を体験した方の話を聞きました。
まだ幼かったためか戦争体験の話はあまりなかった。
苦労の耐えなかった結婚生活のお話がメインでした。
東京から愛知県岡崎市に疎開。疎開先の岡崎聾学校に通う。聴力を失ったと同時に片方の視力も失った。学生時代の通り名が「片方の目が見えない」ことを由来とする手話からとられた。
学校では、そのことでいじめられつらい思いをした。
学校を卒業し、しばらくしてプロポーズされ「経済的にしっかりしていそう」との印象を受け結婚に踏み切る。いざ結婚してみると生計は楽ではなかった。
当時のろう者を含む障害者の就労状況を考えれば無理もないのかな?
職を求めて兄弟を頼って東京へ出る。いざ働き出してみると説明されていた労働条件、居住条件との格差に苦しい生活は改善されない。都の仲介斡旋で公営アパートに移り住む。
プライバシー確保のために主人が屋内に貼ったビニールから出る揮発性のガスを吸い込み入院。
その後しばらくして、主人が職場で同僚に薬品をかけられ失明する。
愛知県に戻り主人を病院に通わせようとするが頑固者なので医者はもとより、家族の助言もなかなか聞き入れない。
食べ物の鮮度にもうるさく日々の献立にも苦労が耐えない。
そんな、ご主人も今では「ほっとくる」に通うことを楽しみにしているそうだ。
いまではすっかり好々爺。
このように結べばめでたしめでたしとなるのだが、ずいぶん慣れた。しかし、今でも苦労することがあるとのこと。
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最終更新:2011年08月28日 20:17