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活動日
2011年11月18日(金)
学習テーマ
チームローテーション学交
あらまし
チームローテーション学交 の3回目
チームをまとめるろう者にも生活があり、参加する聴者にも都合がある。
このようないきさつもあり人員の入れ替えを行うこととなった。
今回私が参加したチームは、反対の言葉の表現を行った。
長いに対する短い。高いに対して低い。暗いに対する明るいなどだ。
単語としての手話と会話・長文としての手話の違い関して大切な説明があった。
それは位置と同時性と複数形。
母は背が高いが、父は背が低い。
母と父とで手話を作る位置を工夫してずらす。また母の背丈を表す手話を残したまま、父の背丈を表す手話を作る。
この表出を残す特徴から同時性の話に発展した。
傘を差したまま自転車に乗って走る。新聞を読みながら食事をする。
手話ではこれらの行いを同時に表すことができる。
最後は複数形。
大勢の人が来て忙しかったが、帰ったので暇になった。
「大勢の人」の部分は手話の同時性と共に複数形で表される。「帰った」の部分も同様。「帰る」の手話が左右交互に様々な方向に表出される。
さらに目をこらすと、複数形にもうひとつ要素が加わっていることがわかる。
「帰る」の手がすぼめられる位置・距離が身体から近かったり、遠かったりするのだ。
あえて訳せば「遠くから来た人近くから来た人、あちらの方向へ帰る、人こちらの方向へ帰る人、多様であるが各人それぞれ帰った。」むりやり省略すれば「銘銘帰った」
音声日本語には単数形と複数形を強く意識しない言語のように思う。
英語では単数形と複数形の使い分けを覚えるのに学生時代苦労した。
これが手話になると単数形と複数形に距離・位置を表す要素が加わる。何形といえばよいのだろう?
多態形?オブジェクト指向言語な人は「多態形」とすればイメージが近いかもしれない!
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最終更新:2011年11月19日 16:17