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活動日
2012年10月12日(金)
学習テーマ
名もなく貧しく美しくを観る
あらまし
1961(昭和36)年に公開された邦画「名もなく貧しく美しく」を最後まで見た。
映画好きのろう者でも邦画を観る方はまれ。
邦画では音声日本語を理解できることを前提に作られている。
このため字幕が付くことが少ない。
字幕さえつけば、映画の情報保証は十分である。
私は今までこのように考えていた。
だがこの日、映画を観ていたろう者と聴者の会話を見て、自分の認識の至らなさを思い知った。
その会話は、この映画の最も美しいとされる汽車内での夫婦の会話シーンで行われた。
ろう者「二人の会話は声付きの手話なのか、手話だけなのか?」
聴者「手話だけだよ。声はない!」
字幕で映画の内容を追うことはできる。
邦画史に残る美しいラブシーンを字幕付きで観ても伝えきれないことがあるのだ。
汽車に乗る前に駅構内で妻を探す夫の背後で鳴る発車のベル。
字幕では「発車ベル」と字幕で表示されていたと思う。
聴者は「発車ベルの音」という事実と同時に、抒情的に別れの時を連想する方も多いのではないか。
対して、ろう者は文字「発車ベル」から何を連想するのだう?
字幕では声の抑揚、リズム、町の喧騒などが伝わらないのだ。
ろう者は文章が苦手。この言葉は別の意味合いを持っているかもしれない。
およそ50年前監督は社会の中にろう者を見出した。
私はこの日、ろうとはどういうことかを見出すことができた。
「声付きの手話なのか?」と質問してくれたろう者に感謝します。
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最終更新:2012年10月13日 07:37