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活動日
2013年03月15日(金)
学習テーマ
豊川ろう協の歴史
あらまし
正式名称は豊川市ろうあ者福祉協会
この長い名前がスムーズに手話でできるかが、豊川ろう協との関わりの濃さを判断する一つの目安?
私はもちろん、しどろもどろ・・・
豊川ろう協は来年度で創立62周年を迎える。4月21日の日曜日に第50回記念大会が行われる。今日は記念大会に先立ち、半世紀をこえる歴史を1時間に凝縮して学ぶために企画されたらしい。
豊川ろう協の初代会長さんは中林さん。サインネームは、眉毛が剃り落されている様子から名づけられていたようだ。
今日お話しいただいた方が高校を卒業するころ、ろうあの先輩から誘われて入会。当初は仲間どうして遊ぶための団体だと思って入ったとのこと。
しかし20歳のころには豊川ろう協の会長におさまる。先ごろ後進に会長職を譲り、2年ほど新会長を支援するために副会長を務めている。
記念大会を機に副会長の職も降りられるようです。
豊川ろう協のお知らせを鉄筆で書いた。
油紙がすぐに破れてしまい嫌になった。ガリ版印刷したチラシを自転車で会員宅に届けた。いざ会員宅に到着しても呼び出しが聞こえないので、床を叩くなどして気づかせる工夫をした。
それでもわからないことがあるので、家にあがり後ろから肩をたたき、驚かれたこともある。
聴者ではできない行動だが、音声で知らせる術のないろう者ではあたりまえに行っていた。
今は、フラッスランプがブザーの代わりとなった。
当時は舗装された道も少なく、砂利石をよけて自転車をこいでいると隣を怒った顔の運転手が車で抜いて行った。クラクションを鳴らしたのかもしれないが、聞こえないのでわからずひかれそうな経験も幾度となくあった。
豊川ろう協の会議では、差別問題・労働問題などが夜遅くまで話し合われ、知人宅に泊めてもらう会員もいた。講演会などでは話の内容を福祉課職員が手書きし、これをろう者が手話通訳した。
聴者で手話ができる人がいるなどとは想像だにしなかった。隣の静岡市に出向いたとき、手話ができる聴者がいることが衝撃的だったそうです。
豊川ろう協の会議の場所も、会員の個人宅から豊川駅近くのすみれ食堂そして、市青少年センターへと変わっていった。
連絡方法も自転車で知らせを持っていいった時代から、ファクスそしてメールとなり見違えるほど楽になった。
そして豊川にも手話ができる聴者が育ち、手話サークルが生まれ、一度目の設置通訳者を生むことができた。
この取り組みの一つとして、私たちの手話サークル やじろべえが生まれた。
40年余りにわたる会長職で個人、家族の時間がなかった。
職を退いた後は、支えてくれた家族とゆっくりしたいそうだ。
本当におつとめご苦労様でした。と労をねぎらいたいが、豊川市には新会長の手話を安心して読み取りを任せられる通訳が少ない。
これからもよろしくお願いしますと結んでおきます。
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最終更新:2013年03月16日 12:05