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「初めに言葉(ロゴス)があり、言葉が神」であったのだろうか(ミケランジェロ「アダムの創造」)

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●頭と気持

 本章の副題とした<ロゴス>と<パトス>というギリシア語からは、
 ひどく難解な哲学的行論を予想する人がいるかもしれない。
 しかし、これをくだいて言ってしまえば、<頭>と<気持>なのである。
 先日たまたま、初期の「男はつらいよ」シリーズのビデオを見ていたら、
 例の寅さんがくりかえし呟いていた。
 「頭じゃわかっているんだが、
  気持が俺をひょんな方向へ駆り立てていっちゃうのよ。」

 思想・学問・芸術の別を問わず、私たちのいかなる<知>の営為も、
 「今、ここ」に生きる生身の人間とその日常から遊離してはならないだろう。
 <頭>と<気持>・・・・・・まことに人間の一生は、寅さんの体験するような、
 二つの相対立するものの間でゆれ動き、そこからすべての喜怒哀楽が生れてくる。

 はたして、人間は<頭>と<気持>、<理性>と<感性>、<合理>と<非合理>
 に引き裂かれた矛盾的存在なのだろうか。
 あるいはまた、こうした相反するかに見える二つのものは、
 実は人間の精神と身体のように、決して分けることのできない一体のものなのだろうか。
 <ロゴス>と<パトス>の問題を考えることは、ごく身近な日常から始まって、
 アリストテレスが理性的動物(アニマル・ラチオナーレ)と呼んだ
 ホモ・ロクエンス(言葉を話すヒト)である<人間>とは何か、
 を考え直すよすがともなり、ひいては神や存在の問題とも関わってくるように思われる。
最終更新:2008年06月22日 21:06