●神(エホバ)の言葉とアダムの言葉
p.20
いきおい、ロゴスとしての言葉は、
その根源においては<神>の言葉であって、アダムの言葉ではない。
命名という行為には、実は二つのまったく異なる作用があった。
『旧訳聖書』の「創世記」の次の二節が、象徴的にその相違を物語っている。
「神、光あれと言ひ給ひければ、光ありき」(第1章、第3節)。
「エホバ神、土を以て野のすべての獣と空のすべての鳥を造り給ひて、
アダムのこれを何と名づくるかを見んとて、これを彼のところに率ゐたり給へり。
アダムが生き物に名付けたるところは、皆その名となりぬ」(第2章、第19節)。
p.21
前者では<光>という言葉によってはじめて光が存在し、
後者では既存の生物たちがあとからさまざまな名を与えられている。
つまり命名には、
それまで存在しなかった対象を生み出す根源的作用と、
すでに存在している事物や観念にラベルを貼る二次的な作用の二つがあるのである。
最終更新:2008年06月26日 00:26