●言霊(ことだま)の力

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 古代から名称にまつわる神話や伝説は少なくない。
 たとえばエジプト神話には、
 太陽神ラーがそれまでひたすら隠していた本名を女神イシスに知られてしまったために、
 イシスがその力を奪って全能となる話がある。
 イギリスの民俗学者・J・G・フレーザーによれば、
 現代でも、オーストラリア南部に住むユイン族にあっては、
 父親は入団儀式の際に息子にだけ自分の名を打ち明けるが、
 他の人々には隠し続けるという。
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 また、その名を口にすると危険な動物が出てきて害をなす事を恐れるあまり、
 熊のことを「蜂蜜」(スラブ語)とか「褐色のもの」(古代高地ドイツ語)という
 仮の名で呼んだ慣習も珍しくない。
 これはすべて「名が対象と同じ力をもつ、もしくは対象を出現させる」
 という言霊思想であり、
 アッカド語では「存在する」と「命名する」とはシノニムなのである。

 これを単に神話的、非論理的思考と笑ってはなるまい。
 世界のロゴス化とは、
 それまで分節されていなかったマグマの如き生体験の連続体に区切りを入れて、
 これを観念なり事物なりのカテゴリーとして存在せしめることなのである。
 具体的に言えば、日本語を母国語とする人々に、
 「犬」と「狸」が別の「動物」であるような意識を生ぜしめたり
 (フランス語ではいずれもchienと呼ぶ)、
 「蝶々」と「蛾」を別の「昆虫」であるように思いこませたり
 (これまでフランス語では同一の名称papillionでしかない)すること、
 さらにはメタ的レベルにたつ「動物」とか「昆虫」というクラス名で、
 それぞれ「犬」と「狸」、「蝶々」と「蛾」を
 同一カテゴリーにまとめることを可能にするものは、
 ことばの力以外のなにものでもない。
 同じ名づけと言っても、
 カテゴリー自体を生み出す命名作用(世界の文節)のような一次的機能と、
 生まれた犬に「ポチ」と名づける二次的命名作用(ラベルの貼付)
 としての機能の二つがあるのである。
 第一の命名作用について、
 フランスの現象学者・メルロ=ポンティは次のように言っている。
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 「事物の命名は認識のあとになってもたらされるのではなくて、
 それは認識そのものである。」(『知覚の現象学』)。
 幼児にとって対象物というものは、
 それが名前をもった時にはじめて知られ、存在する。
 そうしてみると、
 ロゴスとしての<名=言葉>があってはじめて世界は分節され、
 実質的なもろもろの際が構造的同一性で括られることによって
 存在を開始するのであるから、
 ロゴスが生み出したカテゴリーこそが、
 一見自在的実態と思われていた<指向対象>だと言わねばならない。
 <語る>ことは真の意味で<名づける>ことであり、
 言葉による外界の解釈であり、差異化である。
 そして世界が差異化されると同時に、
 私たちの身と意識の方も差異化されるという相互作用を見逃してはなるまい。
最終更新:2008年06月26日 00:26