●<読む>ことは<創る>ことである
p.27
ここではギリシア語を離れて、日本語の語源から考えてみよう。
古代日本人の心性においても、
「読む」は「呼ぶ」に通じ、声を立てて「語り、数える」ことであった。
「(白兎曰く)いましは、そのともがらのありのまにまに、ことごと率て来て、
この島より気多の崎まで、皆並み伏しわたれ。
すなはち、あれ、その上を踏みて、走りつつ読みわたらむ」(古事記、上)。
「白栲の袖解き更へて、還り来む月日を数みて、往きて来ましを」(万葉集、4の510)。
p.28
「読む」ことはまた「創る」ことでもあり(「和歌」を詠む)、
さらに「呼ぶ」とは「名づける」こと(あの山を富士と呼ぶ)であるとすれば、
「名づけられてはじめて存在する」一切の文化現象の発生の謎をも
説明してくれるように思われる。
アルキメデスが風呂のなかで
「エウレーカ(我、発見せり)!」と叫んだ時に、
彼は比重の原理を発見したのではなく創ったのではなかったか。
まことに一切のロゴスにもとづく理論は、
強烈な想像力による世界の読みであり、非在の現前行為であり、
壮大な虚構の創造なのである。
最終更新:2008年06月26日 00:21