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●文化と自然の対立

 右のように<ロゴス>を言葉と同定すると、
 必ずやその対概念である<パトス>を言葉以前の知覚とか本能的欲動のように
 受けとりたくなる誘惑が生れる。
 だがこれこそ、
 古典ギリシア以来の西欧形而上学によって権威づけられた
 実体論的な二項対立思考であり、
 のちにもくわしく見るように、
 <ロゴス>の硬化した部分がもたらした発想にほかならない。
 そこでは、
 <ロゴス=知性・精神>/<パトス=感性・身体>という単純な分割線が引かれ、
 これが<文化>/<自然>の対立にも置きかえられることになったことを想起しよう。
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 プラトンの<イデア>とは、
 生成消滅するプュシス(生成としての自然)を超越して、
 永遠に同一であり続ける超自然的・超感性的な存在であったが、
 この思想が成立する背後には、
 ソクラテス以前と以後に見られる<自然>観の大きな変化があることを
 見逃すことができない。
 いわゆるギリシア悲劇時代の自然は、
 力動的一元論とみなされる<生成>であったにもかかわらず、
 古典時代のギリシアに入るとこれが二分されて、
 <文化>/<自然>、
 あるいは<人為・制度・技術(テクネー)・精神の秩序>/
 <その質料(ヒュレー)に過ぎない無機的物質(マテリア)の無秩序>と考えられ、
 当然にも後者は<実体>に対する<属性>におとしめられるようになったのである。 


最終更新:2008年06月22日 21:26