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●歴史的産物としての<子供>

 P・アリエスがいみじくも看破した「歴史的産物としての子供」をめぐる考え方も、
 この土俵の両端に位置する自然観の反映であろう。
 すなわち、子供とは<パトス>のみが支配する非理性的な獣と変わりないのだから、
 彼らを一刻も早く<ロゴス>に従う社会的人間にせねばならない。
 そのためには非情なように見えても鞭による飼育・教育が必要だとする考えは、
 前者の<悪しき自然・良き文化>観に依っている、と言えそうである。
 他方、子供というのは純粋無垢な天使の如き存在で、
 <ロゴス=言葉>に代表される<分別>をもたず、
 <パトス=情感>の世界に生きていると考える立場がある。
 だからこそ、彼らは、幼児の目をもって醜い大人の世界の歪みを正せ、と言うが、
 これは後者の<良き自然・悪しき文化>観の典型であろう。

 同じような考え方から生れた“天才幼児の芸術”を賛美する人々をめぐる
 文芸評論家・小林秀雄と装幀家・青山二郎の対談は興味深い。
p.31
 青山 この頃また子供の絵が騒がれているだろう?
    4歳の子供が個展をして……。
 小林 そうかね、イヤだね。
 青山 どこかで何かやっていますね。
    前キヨシ君(山下清)がやっていたじゃないか。
 小林 キヨシ君だけで沢山だよ、世間はもう忘れちゃった。
    ……とにかく、天然自然というものは凄いですからねぇ。
    ……何も絵に描かなくたっていい。
    自分の赤ん坊をちょっと観察してごらんなさい、大変な顔をやっていますよ。
    それと芸術家の意識的な表現というものと混同するんだ。
    (「『形』を見る眼」、1980年)
最終更新:2008年06月22日 21:53