P.32
●情念と受苦
ここでもひとまずは、
ハイデガーにならって<パトス>の語源にあたることから始めてみよう。
ギリシア語のパトスは、ふつう<情念>と訳されるが、
これは同時に、一見全く異なった概念と思われそうな<受けること、被ること>、
ひいては<受苦>や<受難>という意味を持っていた。
このことは、ラテン語のパッシオにも英・仏語のパッション、
独語のライデンシャフトのライデンにも共通して言えることである。
たとえば、
ギリシア悲劇のヒーローたちが
神々に挑戦して敗北した結果受けねばならない<受苦>や、
中世キリスト教世界における「イエス・キリストの受難と死」が、
パトス=パッシオであったことは広く知られていよう。
それでは、何故<情念>と<受苦>が同一視されたのであろうか。
これは、先に見た西欧形而上学の実体論的二項対立図式と
密接に結び付いていると言ってよい。
すなわち、アリストテレスが立てた十個のカテゴリーの一つである<受動>は、
<実体>に対して外から付与されたものとしての<属性>をも意味していたため、
パトスは、それを受動的に被るものに害を与える<激情>や<苦悩>、
さらには<受苦>や<受難>をも意味することになったのである。
最終更新:2008年06月22日 22:16