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パトスとは<思ふ>こと
たとえば<パトス>と呼ばれる<深層のロゴス>
すなわち<情念という名の言葉>は、大和ことばの<思ひ>に近い。
小倉百人一首には、100首中20余首のなかに「思ふ」という言葉が現れている。
そのうちの数首をあげよう。
忍ぶれど 色にいでにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで
あひ見ての のちの心にくらぶれば 昔はものを 思はざりけり
長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れてけさは ものをこそ思へ
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なげけとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな
人をもし 人もうらめし あぢきなく よを思ふ故に ものを思ふ身は
ものを<思ふ>ことは0/1の理論的思惟でも目的合理的思考でもない。
それは「そこはかとなく身にせまる情感」であり「願い」であり「憂い」であり、
「人をいつくしむこと、恋い慕うこと」である。
<思ひ>はまた、来し方・行末をめぐる追憶であり、
暗示や予感でもあるばかりか、
理性/感性といった二項対立以前の
身体的パフォーマンスとしての顔の表情でもある。
「おもへり」(面貌)、「おももち」は「思ひ」と語源をともにするときく。
そしてパトス=パッションにひそむ激情は、
「さしもしらじな燃ゆるおもひ」という<火>のイメージをも生み出すのである。
最終更新:2008年06月28日 16:24