p.42

影のパトス

 パトスと呼ばれる情念の言葉は、また大和ことばの<かげ>でもある。
 「影」、「陰」、「蔭」とも書くこの語は、
 まことに興味深いことに、
 一見相反するかに見える<光>と<闇>、
 <日向>と<日陰>の両義性を持っている。
 万葉集の「渡る日のかげも隠ろひ、照る月の光も見えず」をひくまでもあるまい。
 さえる月影は<光>であり、
 この光によってその物と重なり合うもう一つの姿が黒い<かげ>と呼ばれる。
 影とは、いわば現身(うつせみ)の分身(ダブル)なのだ。

 私たちは、存在しないものまでをも想像し、
 まぶたの裏に人のおもかげを描く動物である。
 古来日本の文化が<影>の文化であったというのではない。
 実は古今東西にわたる人間の文化そのものが光と闇を分けることのできない
 <影>なのではないだろうか。
 狂気と死を排除したが故に、かえって生の意味を見失いつつある現代にあって、
 人類はA・フォン・シャミッソーの描いた<影を売った男>の悲劇を
 くりかえしてはなるまい。
最終更新:2008年06月28日 16:40