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契約か、真理の黙示か

 〔第一期〕(古代から18世紀後半まで)
  この非常に長い時期における言語の研究はすなわち形而上学と神学であった。
  人びとは、言語がどのように機能するかということよりも、
  「言語とは何か」という問いからその本質に迫ろうとし、
  言葉はいわば支弁の対象であって観察の対象ではなかったと言ってよい。

  いずれの場合も言葉は物の名前として捉えられ、
  人々の関心は専ら事物とその名称との関係に寄せられていた。
  世界最初の言語論と言われているプラトンの『クラテュロス』によれば、
  当時は二つの学派が対立していた。
  一つはヘラクレイトスの流れをくむものであるが、
  この派の考え方によると、名称とそれがさし示す事物との間には自然な絆がある、
  あるいは自然な絆がないところには真正な名称は存在しない、ということになる。
  これに対してもう一つの学派は、
  デモクリトスに代表される相対主義思想をひきつぎ、
  言葉を真理の黙示のごとくみなす立場に反対した。
  この派の主張は、事物の命名は単に社会的な約束事によるものなのだから、
  たとえば馬という動物をいかなる名称で呼ぼうが、
  そのうちのいずれがより正しいということはない、というものである。
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  中世から近代にかけては、その神学的精神風土から、
  母なる唯一の言語はヘブライ語ではなくてはならぬ、
  といったドグマティックな仮説をかかげる学者もあれば、
  一方においては、言葉を理性の具現、
  思考体系の反映とみなす普遍文法(特に17、18世紀)を説く学者もあった。
  後者の代表的著作はC・ランスローとA・アルノー共著のいわゆる
  『ポール・ロワイヤル文法』である。

  この正式の表題『一般・理性文法』に見出される
  二つの形容詞「一般的」と「理性的」という修飾語が、
  この文法の本質的性格を雄弁に物語っている。
  すなわち、彼らは言葉が思考の反映であると見る立場から、
  思考自体の法則によって言葉を説明しようとするものであり、
  この伝統が論理学者アルノーの師であるデカルトから
  古くはアリストテレスにまでさかのぼることはよく知られていよう。
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  人間は、「事物を認識するのみならずそれらを判断する」理性的動物であり、
  言葉はこの内在的観念体系を表す外的標識であるのだから、
  諸国語の顕在現象がいかにまちまちであろうとも、
  その潜在図式たる理性的世界表象に還元すれば、
  そこに見出される普遍的思考構造は同一であると考えるところに、
  一般的かつ理性的文法の名が冠せられる所以があった。
最終更新:2008年07月03日 23:05