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サンスクリットの発見
〔第二期〕(18世紀後半より20世紀初頭にかけて)
このような言語観に対して大きな転回点となったのは、
1786年から1816年の間におきた
イギリスの東洋学者・W・ジョーンズらによるサンスクリットの発見であり、
このおかげで言語研究は神学的・形而上学的な呪縛を解かれ、
やっと科学の名に値する学問としてのステイタスを獲得して、
その第二期を迎えるのである。
しかしこれとて最初は、
言語の起源という問題を解こうとする方向にあった。
ドイツの言語学者・F・ボップの
インド=ヨーロッパ諸語の動詞活用に関する著書(1816年)は、
確かに言語研究の歴史の一時期を画するものだが、
彼はまだ「言語の誕生と発展を観察すること」が可能であると信じていた。
彼がそれ以前の学者たちと違っていた点は、
形而上学的な方法ではなく純粋に言語学的な方法によって、
言語の起源にさかのぼろうとした点で、
18世紀に<言語神授説>を唱えたJ・P・ジュースミルヒや、
これを批判して言語を<精神的能力の所産>と考えたヘルダーや
<情念論>をかかげたルソーたちの言語起源論とは異なっている。
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ボップは、それまで知られていた
ギリシア語、ラテン語、ペルシア語、スラブ語、ゲルマン語などと
サンスクリットを比較検討すると、
偶然とは思われないいくつかの共通性が見られることに着眼し、
これらの言語のデータをもとに再構成される
インド=ヨーロッパ祖語ともいうべきものを探ろうとする方法を
提起したのであった。
その後、この動向を助長したものとしては、
19世紀の科学の底流をなしていた自然科学、
特に比較古生物学におけるG・キュヴィエや、
進化論を唱えたC・ダーウィンの影響が見逃せない。
あたかも一生物が進化していくかのごとく、
生体論的に言葉の発生と歴史を捉えようとしたもので、
それも時には度を越すほどであった。
諸言語は生きた有機体で、生れ、成長し、死ぬものだとか、
どの言語もその青春期の終わりに文字を知り、
文字をもつようになるやほどなく衰えて行く運命にある、
といったことが大真面目に語られたのである。
最終更新:2008年07月05日 09:53