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音変化の法則に例外なし

 言語学も他の諸科学の潮流と無関係ではあり得ない。
 19世紀の前半に活躍したボップがドイツ・ロマン派の色彩を帯びていたとすれば、
 19世紀後半の主流である同じドイツのA・シュライヒャーや
 ヘルマン・パウルとその弟子たちの少壮文法学派の中心思想は、
 いわゆる決定論的言語観であり、自然主義的色彩をもつものであった。
 この傾向は、そのとりあつかう対象にもよく現れていて、
 ボップたちが音より文字や形態に注目したのに対し、
 後者の学派はもっぱら言語の音声的面すなわち機械的な様相のみを問題とした。
 彼らは、音法則の必然性を提唱して言語学を自然科学に近づけようとしたのであり、
 一つ一つの母音と子音を条件別に整理し、
 「音変化の法則には例外なし」と豪語するまでにいたった。
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 19世紀後半の決定論的言語観は、
 それ以前の主知主義の反対の極である科学的経験主義の流れのもとに
 位置付けることができるであろう。
 これはまた、人間を研究するに際して人間以外のモデル、
 たとえば動植物とか物質から還元して人間に適用する形であるから、
 「人間も動物も、外的刺激に対する反応に由来する行動をとる」
 と考えたパブロフの条件反射説を理論化した
 アメリカの心理学者・J・B・ワトソンに代表される
 行動主義を用意するものであった。
 こうして20世紀初頭から、彼らの影響のもとに、
 L・ブルームフィールドの
 経験主義・機会主義的構造言語学(=記述・分布主義言語学)
 が生れる基盤がつくられていたのである。
最終更新:2008年07月05日 10:15