学校の屋上から見上げる空は、どこまでも高く蒼く。
俺がこの高校に在学していた四年前と、何も変わってはいなかった。


「――そういやぁ、ヤな授業はここでサボってたっけなぁ」

誰にともなく呟き、俺は寝転がったまま大きく伸びをする。
時間的には昼休みのはずだが、屋上は立ち入り禁止ということになっているため人気がない。
わざわざ教師に怒られるリスクを冒してまで日向ぼっこに来る奴も、そうはいないだろう。
……暖かいとはいえ、冬だしな。そう、踏んでいたのだが。

「ありゃ、先客? ……って、あんた、生徒じゃ……ないよな」

やべ、見つかったか。
眠気を振り払い、首だけを声のしたほうに向けてみる。そこで胡散臭そうにこちらを見ていたのは、猫のような瞳をした男子生徒だった。
いや、こいつは。会わなくなって久しいが、確かこの目はあいつの――、

「ってお前、聡介か?」
「え、なんで俺の名前――にゅぐおおおおおおおおっ!?」
「忘れたとは言わさねぇぞ!! オラオラオラオラ!!」
「ま、まさか礼司さん!? ちょ、おま、これマジ苦しいですってギブギブギブギブ!!」

言うが早いか俺は聡介に飛び掛り、そのままコブラツイストを決める。
互いに随分と成長したはずだが、技は記憶と寸分の齟齬もなくキマった。
もがく聡介をひとしきり弄び、その身体が痙攣し始めてから、ようやく俺は聡介を解放する。
放り出された聡介はだらしなくも、その場に尻餅をついていた。

「情けねぇな。ちゃんと鍛えてんのかぁ? ガキのころと変わってねぇじゃねーか」
「鍛えてませんってば……。運動部じゃないんですから。
 ……そっちは少し変わってください。紫葉町のジャイ○ンとか呼ばれてた時と、何も変わって……ごぶぁギブギブギブギブ!!」

袈裟固めをキメる俺の腕を必死にタップするが、もちろんそう簡単に許してなんかやらねー。
……それにしても。まったく、こいつは何も変わってねぇな。その目も、口の減らないところも。
――あー、そういや昔はこいつらを引き連れて、ガキ大将やってたこともあったよなぁ……。
まぁ流石に、ジャ○アンの名は御免蒙りたいところだが。つーわけでもう少しシメちゃる。

「にゅぐおおおおおおお!! 俺が何したってんですかああぁぁぁ!!」
「聡介のくせに生意気だぞ!! ……まぁ冗談はともかく、だ。噂で聞いたぞ。犬哭のお嬢様を引っかけたってな?」

首をキメたまま。小耳に挟んだ噂を、俺は聡介に問いただす。
しょーもねぇ噂ではあるが、まぁ少なくとも何かにつけて一緒にいるのは確かだろう。火の無いところに煙はなんとやら。

「お嬢様?……あー、キリコ先輩ですか。って、引っ張りまわされて参ってるのはこっちですよ」
「引っ張りまわすだぁ? どーいう関係だよお前ら。大体、接点ないだろうに」

ようやく解放された首をゴキゴキと鳴らしつつ、聡介はいかにも困ったようにため息をついた。そして歯切れ悪く、先々月あったらしい文化祭での顛末を話し始める。
……話を聞くに、どうやらマジで一方的に振りまわされているようだが……あのキリコお嬢がかぁ?
正直、想像できねぇ。

「ふーむ。んでお前は、お嬢のことをどう思ってんだ?」
「どう、って……ただの先輩ですよ。それだけです」

いや、お前な。
照れてるとかそんなんじゃなく、マジで言ってるだろ。

「……ガキか、さもなくば大物だよ、お前」
「何ですか、いきなり」
「それ、他の奴にも言ったか?」
「言いましたけど? よく訊かれるんで」

自分で気付いてねーし。
ここいら一帯で、あの犬哭キリコを『ただの先輩』呼ばわりできる奴が、一体何人いると思ってんだ?
しかも知らないならともかく、こいつは知っていて、なお『それが何か?』とでも言いたげにしてやがる。

「ったく、大した奴だよお前は……」

頭を抱える俺。しかし聡介はその理由がわかっているのかいないのか、苛ついたように話題を換えた。
まぁ、その話はもういいか。俺がどうにかできるもんでもねーだろうし。

「俺の話はもういいでしょ。それより礼司さん、いま何やってんですか? 大学生って風でもないですけど」
「おう、忍者やってる」

よくぞ聞いてくれた、とばかりに胸を張る俺を、何故か聡介は冷たい目で眺める。
……ムッ殺す。

「痛い痛い痛い痛いギブギブギブギブ!!」
「可哀想な人を見るような目で見てんじゃねええええぇぇぇえええ!!」

数秒後。今度はインディアン・デス・ロックが炸裂し、屋上に聡介の悲鳴が響き渡った。




「……で、忍者ってどういうことですか。要人警護のSPとか?」
「ちげーよ。次の春から始まる『微塵戦隊サクレンジャー』の、中の人の役が回ってきてな。その撮影が一区切りついたんで里帰りってわけだ」

ま、変身前は人気俳優がやってんだけどな。つまりスーツアクター……いわゆるスタントマンってやつだ。
だが聡介は目を丸くして驚いている。こういう小気味のいいリアクションも、あの時から変わってねぇなぁ、ホント。

「凄いじゃないですか!! あ、今のうちにサインとかいいですか!?」
「おう、兄弟分のよしみでくれてやる。未来の大俳優のプレミアサイン、超レアだぜ?」
「やった! もしものことがあったら、これ相当な額に……ぁ」

ほぉう。
俺は既に死亡フラグ確定か、聡介よぉ……。

「あ、いや、その、これははずみっていうかもののたとえというか」
「ランニングスリャーーーー!!」
「ニョーーーーーーーーーーー!!」



そんなこんなで。
この俺、木戸 礼司(きど れいじ)は母校を後にし、懐かしの我が家へと向かうのであった。
なんか背中に恨みがましい視線が纏わりつくが、無論ンなこた気にしねー。















「それで。なぜ、あなたがここにいるのですか」
「……………………」

妹の第一声に、俺は思わず言葉を失った。
ひきつった頬を、思わず汗が伝う。無論、暖房のせいではない。
……うーわ怒ってんなこりゃ。無理もねーけど。

四年ぶりに我が家へと帰ってみれば、そこは駐車場になっていて。
宿のアテもなかったんで、とりあえず妹がメイドとして働いている犬哭邸にやってきたわけなのだが。

「あー、仕事がひと段落して年末の里帰りってわけなんだが、お前が家を引き払っちまってるとは思わなくてな。
 しばらくここに泊めてくんねぇ?」

呆れているのか、怒っているのか。はたまた、その両方か。
四年ぶりに再会した俺の妹、木戸 零佳は邪視で呪いでもかけようとしているかのように、斜めから俺を睨みつけてくる。
そしてその横では、犬哭家次期当主である犬哭キリコのお嬢が、困ったように紅茶を口にしていた。
てか、零佳のメイド服姿ってはじめて見たんだが、意外に似合ってんなぁ。眼福眼福。

「つーか住み込んでるとは思わなくてな。ま、出勤は楽かもしんねぇが色々とキツく――」
「お引き取りください」

うわ酷っ!! それが実の兄に対する仕打ちか!!
てか来週にはクリスマスって時期に、外へ放り出す気かマジで!!

「あー、零佳。言いたいことは色々あるだろうし、それを聞くためにも――」
「話すことなど、なにもありません。お帰りください」

……取り付くシマもねー。
まー恨まれてるのは覚悟してたが、ここまでとはなぁ。
確かに、犬哭に仕えるべき木戸の義務を放り出して、役者になるため東京に出て行ったのは俺の勝手だよ。
その結果、責務の全部が零佳に回ってしまったわけだしな。苦労させちまったのは、悪いと思ってる。

「けどな、木戸家(うち)が忍軍の頭領やってたのなんて、いったい百何十年前だよ? お前だって、嫌なら放り出しちまえばいいだろうが。お嬢だって――、」

が。俺たちの言い争いに、そのお嬢からストップがかかった。

「……今夜は泊めて差し上げます。ですが、できうる限り早々に出立なさいますよう、強く望みます」

……ぬぅ。お嬢の前で、口が過ぎたか。
『できうる限り』とは言っているものの、それが『明日には叩き出す』という宣告であることは明白だった。
まいったね、こりゃ。少し急ぐしかない、か――。

「――あー、わかったわかった。ご厚意、恐悦至極に存じます、お嬢様っと」
「…………」

俺の皮肉めいた言葉に、零佳の目が釣りあがる。
おー、怖ぇ。その怒り方も変わってねーなぁ。

「んじゃ、ま……部屋かりるぞ。どうせ客間は空いてんだろ? 確か予備の寝具は突き当たりだったな」
「ちょっと、兄さん勝手に……!!」

紅茶を飲み干すと、俺は返事を待たずに歩き出した。
勝手知ったる犬哭邸。この屋敷のことなら、ヤバい品の詰まった地下室から、天井裏や壁裏の抜け道まで覚えている。
……ま、忍者の末裔は伊達じゃないってことで。だからこそ、スタントマンなんぞやってられるわけだが。

「……変わりませんね」

退出の際。最後に見たお嬢の貌は。
この町でただ一人、俺の記憶とは違って見えた。








抜き足、差し足、忍び足。
上階の窓枠に指を引っ掛け、身体を引き上げる。
腕を曲げ、脚を伸ばし。
裏返り、また表に返り。
屋敷の外壁に張り付き、零佳が見回っているであろう廊下を避けて。
俺は黒い蜘蛛のように、お嬢の寝室へ滑り込んだ。

「フリーズ」
「OKお嬢、少し落ち着け」

……が、その行動は思いっきり読まれていたらしく。
床へ足をつくなり、俺の後頭部には固い金属が押し当てられた。

「あー―……、お嬢。零佳を呼ぶのは待ってくれマジで」
「さて、どうしましょうか。二十一世紀にもなって夜這いをかけるような殿方には、どんな処遇が相応しいのでしょうね」

後頭部に押し当てられていた、銃の感触が消える。
口ではそう言いながらも、俺の目的がそんなことではないことは察してくれたようだ。

「やれやれ、驚かせやがって。心臓麻痺になったらどうしてくれる」
「あなたの心臓には毛が生えているようですから、止まっていたほうが胸がむず痒くないのではなくて?」

俺の軽口に、何だかよくわからないセンスの冗談で返すお嬢。
……おかしい。絶対に、おかしい。
お嬢が冗談なんて言うわけがない。――いや、言えるわけがない。

「まぁ本題は後に回すとして、だ。……何があった、お嬢」

俺は、銃をこちらへ向けたまま椅子に腰掛けるお嬢を見据え。
お嬢は、何故か困ったような目で、俺を見ていた。

「四年ですよ? 変わりもします。まして、わたしたちは成長期だったのですから」
「……そういう問題じゃねぇ。お前は――『何』だ?」

俺の問いに、たっぷり、数十秒の間をおいて。
困ったような、照れたような笑みを浮かべて、お嬢は。

「さぁ。……わたしにも、よくわからないのです」
「――なるほど、な」

四年前ならば、お嬢は『犬哭キリコです』と、つまらなそうに答えるだけだっただろう。
だが今のお嬢には、自分を『犬哭キリコ』だと断じるに足るものがない。つまりは、そういうことだ。
……幼いころから『財閥令嬢』という偶像の枠内で育てられ、外部から重ねあわされる虚像に我を依存してしまうお嬢。
おそらくは一生、そんな枠の中で生きていく予定だったお嬢を。
誰かが、……おそらくはあの無自覚なガキが、お嬢を『犬哭キリコ』以外の『何者』かと見なしたせいで。
我を枠に収めるための、読心術にも等しいその術式は、脆くも破綻してしまったということか。

「……ったく、あいつも難儀なこったな。お嬢をここまで壊しちまうなんて、後が怖ぇぞ」

一人ごちるように言うと、俺は部屋を見回した。
記憶と、何ら変わりない部屋。およそ女の子らしい色彩や虚飾とは無縁の、ある意味で老成したとすら言えるセンス。
木製のアンティークっぽい調度品はいくらか色あせていたが、かといって四年程度では見苦しいなどということはまるでなく――、

「って、こんなもんまでそのままかよ」

もう中身のいなくなった鳥篭までが記憶の通りに、黒檀の棚の上に置かれていた。
その籠に浮いた錆は、もう何年も使われていないことを語っている。

「いつまでベタなトラウマ抱えてるつもりだ、お嬢。……それに、零佳も」
「それが本題、ですか」

そう。
もう十年以上も前になるか。お嬢の飼っていた文鳥が逃げ出し、それを追ってお嬢と零佳がこの屋敷を脱走した。それはもう、町中が大騒ぎになったもんだ。
まぁ、それだけなら他愛もないエピソードの一つで済むのだが。
なんでも、零佳の見ている前で蛇が鳥篭をひっくり返したらしく……それを止められなかったことから、零佳はお嬢に、強烈な贖罪意識を持つようになってしまったのだ。
そしてお嬢もまた、――本人は気付いていないだろうが――近しい人間が自分の下を去ることを、極度に恐れている。自分から言い出しでもしない限り、零佳を遠ざけるようなことはまずしないだろう。

「あなたが家を出たのも、そのため……ですか?」
「いや、役者になりたくてってのも本当だけどな」

全部が全部、零佳のためってわけじゃねえ。
けど無理やり押し付けられたカタチになれば、あるいは零佳も犬哭家に仕えることに対し嫌気がさすんじゃないか、とも思っていたのだが。
……まぁ、その目論見は見事に外れてしまったわけで。

「恨まれ損、ですね。よろしければ、わたしの方から――」
「いらねぇよ。偽善者になるくらいなら、悪人になっとくさ」

つもりはどうあれ、やったことは何も変わらないわけだしな。
しかしまぁ――四年か。もうここは、俺のいるべき場所じゃなくなっちまったってことか。

「そうかい。もう、俺の関わっていいことじゃあなくなっちまったわけ、だな」

お嬢の不安定さも、零佳のトラウマも。もう俺には、どうすることもできなくなっちまったわけで。
あぁ、そういえば。仕事で貰った役(キャラ)の最後の台詞が、こんなんだったな。

「じゃぁな。明日、朝イチで帰るわ。――Amoris vulnus idem sanat, qui facit.(俺の出る幕じゃ、ないってことで)」
「……何の台詞ですか、それは」

俺は一人納得すると、まだ何か言いたそうなお嬢に背を向けて鳥篭を引っつかんだ。
そのまま大股に部屋を横切り、出入り口へと向かう。

「あ、それは――」
「こいつは適当なところに放り込んでおくぞ。骨董品でもあるまいに、毎日眺めるようなもんじゃねぇ」

そして返事も待たず、乱暴にドアを閉めた。
これで、俺の出番はお仕舞い。あとは、主役たちの出番ってことで。









「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、零佳」
「あの、……兄さん、は」
「朝早く出たわ。十時の新幹線で帰るそうよ」
「まったく、落ち着かない人です」
「あら、もう少しいてほしかったのかしら?」
「!! ……いえ、けしてそのような……」
「ふふっ。……ねぇ、零佳。鳥は、どうして出て行ってしまったのかしら」
「……。ただ、清々と息をしてみたかっただけだったんじゃないか――と、言われたことがあります」
「それは、礼司さんの?」
「いいえ。今となっては、どこの誰なのかも。ただ『あの時』に出会ったその子は、なぜか心に残っています」
「……そう。あぁ零佳、今日は終業式だから、昼には迎えに来てちょうだい。頼むわね」
「かしこまりました」

枝を伝い、雨どいを伝い、塀を伝い。
俺はその勢いのまま、敷地の外に停めてあったバイクへ飛び乗った。

「さーてと。次はいつ来るとすっかぁ?」

飛び入りの役者(キャラクター)としてではなく、観客として。
結末を見届ける義務もまた、俺にはあるのかもしれない。

「春……はまた仕事が詰まってるだろうしなぁ。夏……はココ、雨が長いしな。それこそ、止むのかってくらいに」

なら、その時は一つしかないだろう。
俺は心を決めると、バイクのエンジンをふかして走り出した。
先が見えないほど長い、道の右には林。左には犬哭の敷地を囲う、白い壁。トバすには最高の環境だ。

「だな。長ぇ梅雨が明けたくらいに、また来るとすっか」

次に、この道を走る時。物語の幕は下りているのだろうか。
――止まない雨が、止む頃に。
最終更新:2013年03月18日 01:15