「あれ、唯先輩何しているんですか?」

昼が日に日に短くなっていたある日、部室に来てみると、唯先輩が頬杖をついて難しそうな顔をしていた。
普段はあまりみせない、なんともいえないアンニュイな表情だけれど、これはこれでたまらない。
私の脳内の唯先輩フォトブックに、またあらたな一頁が刻み込まれる。
運命のパートナーのこんな表情をみれば、人は誰もきっと輝くし、初めて自分にも出会えるのだから。
あとでこっそり写真にもとっておこうっと。

「あずにゃーん、たすけてたもれ…」
「いったいどうしたんですか?」
「えげれす人が悪いんだよ…」
と唯先輩に差し出されたプリントには、一面に英語の問題ばかり。
Imageine that you have a ring which enable you to become invisible at will. What...

「こんなの、訳せるわけないよー…」
「『はめれば思いのままに姿を消せる指輪を持っていると想像してごらんなさい』、ですよ、先輩」
「!」
唯先輩の目が輝きだした。

あずにゃんすごい!英語分かるの!?」
「ほんのちょっとだけなら…。父の公演は英語のことが多くって。それに、スカボロー・フェアとか、音楽で結構覚えられるんですよ。」
「あーゆごーいんぐとぅーすかぼろふぇあーってやつ?」
「なんだ、知ってるんじゃないですか」
「歌詞の意味は全く知らないけどね!」
「威張るところじゃないです。『スカボローの市場に行くのですか』って聞いているんですよ」
「さすがあずにゃんだね!」
「何がさすがなんですか、もう、後輩に教えられてて恥ずかしくないんですか」
「面目ない…」

ああ、しゅんとしちゃった。照れ隠しに心にもないことをいった自分がにくい。
違いますよ、先輩に怒ってるわけじゃないんですよ。元気出してくださいってば。
先輩の笑顔がみたいんですから。
…と言えたら良いのにな。そんなことを思いながら、プリントに書いてある☆一つの問題を読み上げる。

「じゃあ先輩、『昨日私の祖母が中国に行きました』って英語にしてください」
「え…えーと…トゥ、Today」
「todayは今日です!昨日はyesterdayですよ」
「わ、分かってるよ…あずにゃんを試しただけです」フンス
「はいはい、分かりましたから早く答えてください」
「え、えーと…い、Yesterday,み、me ぐ、ぐ、grandmother…ブーン、ガタンゴトン、じゃなかった、boom, gattan-gotton,ちゃ、china go!」

Yesterday, me grandmother boom, gattan-gotton, china go.
前言撤回。これはおこらないとダメだ。
もっとも、この問題をみたとき、なぜだか分からないが、まるで自分が答えたかのような気がして恥ずかしくなったことは内緒だけれど。

「先輩、発音をこもらせてごまかさないでください!これ中学レベルですよ?」
「うう…あずにゃんしどい…」
「4人で同じ大学にいくんでしょう?」
「た、たまたまこの問題が出来なかっただけだよ、ほら、これだって出来てるし!」

――Anything that you don't usually do but would permit yourself were you invisible owes less to ethics than it does to caution or hypocrisy.
『普段ならしなくとも仮に姿がみえなければしてしまうであろうことは、倫理よりも警戒心や偽善の心によるところが大きい。』

NO!
Jesus crisis!
Oh my god!
なんであれが出来なくてこっちが出来ているのだろう。
これにしろギターにしろ、ほんとに規格外の人だ。
そういうところがたまらなく憧れる部分でもあるのだけれど、自分と比べて少し落ち込んでしまう。

「確かにそうですが、だからってさっきのはちゃんと答えなきゃダメですよ?」
「うう…」
「もう…まだ受験本番まで時間ありますし、元気出してください。」
「じゃあ元気のみなもと、あずにゃん分補給ー」
「もう、抱きつかないでください」

口ではそういっていても、もう体が動かない。無人島に漂着しても、こんな至福の時があれば一生楽しんで住めそうだ。
…でも、一生は、無理。先輩方は、来年、卒業する。私は、来年、ひとりぼっち。ひとりで、この部活を、やっていかなくちゃ、いけない。
そう、今だけだから。そう思った瞬間、勘定と涙があふれ出してきた。
今だけだから、私を抱きしめてください、唯先輩。私の思いを磨いてください。私の不安を、安心に着替えさせてください。

「あずにゃん、どうしたの、泣いてるの?」
「泣いてなんか、ないです。」
「あんまり、構ってあげられなくてごめんね」
「…」
「不安、だったんだよね」
「…」
「あとちょっとしたら卒業しちゃうけど、ずっと離ればなれになるわけじゃないからね」
「…」
「ほら、元気出して、歌ってあげるよ」

そういって唯先輩は、私を抱きしめながら、優しく旋律をなぞりはじめた。
――Are you going to Scarborough Fair?
――Parsley, sage, rosemary and thyme,
――Remember me to one who lives there,
――For she once was a true love of mine.

小さいときから知っている曲だけれど、でも、全然違う曲。
私の耳は、この歌を聴くためにあったとすら思えるような、柔和な曲。
もっと、聴いていたい曲。

「1番だけじゃいやです、もっと歌ってください」
「あずにゃんはわがままだね、my motherだよ」

そんなことないです、唯先輩のほうが、お母さんですよ――。

唯先輩が“母”の子守歌をひとしきり歌ってくれた後には、日はもう沈みかかっていた。
「ありがとうございました、もう大丈夫です」
「えー、もっと歌いたいよ」
「先輩は、英語の勉強のほうが先なんじゃないですか」
「じゃあ、あずにゃん歌ってくれたら頑張るよ」
「何がじゃあなんですか」
「歌ってくれないの?」
「…」
「…」
「…分かりましたよ、歌います。そのかわり、ちゃんと歌詞を聴いててくださいね」

スカボロフェアーは、遠くに住む、知り合いへの曲。
でも、それだけでは嫌だから。
だから、歌詞を少しだけ変えて。

――Are you going to Scarborough Fair?
――Parsley, sage, rosemary and thyme,
――Remember me to one who lives there,


――For she's forever a true love of mine.
私の恋人になってください。遠くにいても、私の恋人でいてください。



「ねえ、それってどんな意味?」
分かっているのかいないのか、唯先輩は、天真爛漫な笑顔。
ちょっと、自分が恥ずかしくなる。

「な、何でも無いです!」


END


  • なぜえむえむ -- (名無しさん) 2011-02-24 19:58:08
  • 唯のひらがな英語発音は可愛いw -- (名無し) 2012-08-13 19:47:36
  • がたんごとんww -- (あずにゃんラブ) 2014-01-01 18:06:25
名前:
感想/コメント:

すべてのコメントを見る

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2010年12月08日 09:42