私、中野梓は焦っていた。
「ヤバい……」
思わずそんな言葉を漏らしてしまう。
現在、我が家の冷蔵庫には、まともな食材と言えるものは何も入っていない。
まさか今日、家に唯先輩が来ることになるなんて思ってもみなかった。
だって唯先輩に初めて食べさせてあげる晩御飯は最高のメニューにしようと決めてたのだから…
だけど、今から急いで買い物に行って唯先輩を待たせるのも、ついて来てもらうのも悪い。
仕方ない…レトルトとサラダで済ませよう。
「ちょっと待ってて下さいね、ご飯の準備しますから」
「あ、手伝うよ!」
「ダメです!…じゃなくて、悪いですよ!唯先輩はお客様なんですから」
「あーっ、
あずにゃん私が料理できないって思ってるでしょ?ぶー、失礼しちゃうわねっ」
「そんなつもりじゃ…」
すいません、思ってました、ちょっとだけ。
結局唯先輩に押し切られ、二人でサラダを作ることに。そんなに人手はいらないんだけど…
牛丼のレトルトパックを温め、野菜を切る。
コンロと、水と、包丁の無機質な音がキッチンに響く。
改めて見ると、なんてひどい食事なんだろう。親がいないからって横着したらこのザマだ。
そんなことを思いながら一人で勝手に泣きそうになっていると、
ふいに隣で野菜を洗っている唯先輩が歌いだした。
「夕方もう6時を回り 閉店まであと30分足らず♪
デパートは夕飯の買い物の おばさま達でごった返す♪」
「あ、その歌…」
「私もその波に紛れて 食料品売場までやってきたの♪」
「サラダの大好きなあの人に とびきりのやつ作ってあげるの♪」
私が一緒に歌うと、あはっ、と唯先輩が野菜を洗いながら笑った。
途端に、静かなキッチンが楽しげな音楽で満たされて、
ほんの少し前まで何とも思わなかった包丁や水、調理器具の音が、私たちの歌を彩る音色となる。
そんな、まるで魔法のような唯先輩の歌声で、私もなんだか楽しくなってきた。
「Tomato,Apple,Green pepper,Lettuce,Water cress,Tuna,
Bean and Onion.With Mayonnaise,Please?」
唯先輩が私と一緒に歌いながら、魚の缶詰を載せていた。
そんなもの普通入れませんよ…と心の中で苦笑しながらも、私も砕いたポテチを振り掛けた。
唯先輩と二人で料理をすることがこんなに楽しいなんて!
その後も、二人で歌いながらお皿を並べたり、唯先輩が具材をつまみ食いしたりと、
いろいろやっているうちに、何もないと思っていた冷蔵庫からはどんどんものが減り、
代わりに当初の予定とは大きく姿を違えたなんとも奇抜なサラダが出来上がってきた。
「……なにこれ」
「あははっ、サラダ!へんてこサラダ!」
唯先輩命名、へんてこサラダ。
「……歌とずいぶん違いますけど」
「んー、じゃあ、こうしよう!」
「…誰でも作れ、ないかもしれないけどそれを残さず♪食べてくれるあなたが好きよ♪」
「ぷっ、何ですかそれ」
無理矢理な歌詞改変に吹き出したけど、私も唯先輩と一緒に歌った。
「世界でいちばんあなたが好きよ♪」
「世界でいちばんおいしいでしょ♪」
「……じゃ、食べよっか!」
「はいっ!」
へんてこサラダとレトルト牛丼。
これが初めて二人きりで食べるご飯となった。
いつも思い描いていた手料理を食べさせるシーンとは掛け離れているけど……
これもいいかな。
「……世界で一番、あなたが好きよ」
「んー?あずにゃん、何か言った?」
「いえ、何も」
もう一度、小さな声で、音程のないフレーズを繰り返す。
いつか歌じゃなくて、私の言葉としてあなたに伝えますからね、唯先輩。
サラダはやっぱり変な味だった。
『神様 今日もシアワセ ありがとう』
END
- 原曲を初めて聞いてから読むと、最後のセリフがより深くなったな。モチーフの選曲がナイス。 -- (名無しさん) 2011-04-25 23:40:39
最終更新:2010年12月13日 02:22