慣れないことはするものじゃないと思った。

 またこうもTPOなんて欠片も考えてませんという顔で、私の肩に手を回して頬を摺り寄せてくるのは唯先輩。
 振り払おうかなんて思ったりもしたけど、良く見ると今にも眠ってしまいそうな寝ぼけ眼。
 そういえば昨日あまり寝付けなかったって言ってたっけと、変な同情心を出してしまったのが悪かったのかもしれない。 肩くらいならいいですよという意思表示に調子に乗ってしまったのか、「あずにゃんひざー」なんていいだす始末。
 望みのままにニードロップでも食らわせてあげれば目を覚ますんじゃないかと一瞬思ったけれど。
 ふと閃いた私。いつもの逆の対応をしてあげれば、ひょっとしたらびっくりして目を覚ますんじゃないかって。
 それならずっと穏便だと考えて「いいですよ」なんて言ってしまった数分前の自分を殴りに行きたい。

 はあ、とため息をついてすやすやと眠る唯先輩の顔を見下ろす。
 まるで躊躇の欠片すら見せず、むしろ嬉々とした様相で私の両太腿にこれでもかと体を預けて、陽だまりに眠る猫のように気持ちよさそうな寝姿を披露してくれている。
 よく考えれば、というよりは考えるまでも無く当然の結果だ。まるで自らこの窮地に飛び込んでいったのかと思えるくらい、鮮やかさすら感じさせる程に分かりきった結果だ。
 普段ならいい加減にしてください!と跳ね除けてあげるところだけど……こうも幸せそうな顔をされたらそんなことも出来やしない。その普段とやらも、なんだかんだでこの人のペースに逆らいきれず、結局は押し切られるままに収まっている気もするけれど。
 つまるところはそういうことなんだろうと納得せざるを得ない自分が憎い。

「あずにゃ~……ん」

 ああもう、眠っているのにそれでも私の名前、呼ぶとか。
 頬を摺り寄せて、私の腰に手を回してぎゅうっとしがみ付いて――ああもう、そんなに体をねじったらスカートめくれちゃうから。
 そっとスカートのプリーツを直してあげると、ぴくりとその腰が震えた。

「もう、えっちぃ……あずにゃぁあん……んふふ」

 いきなりなんて声をあげるのかこの人は。
 というか、いくら寝言といっても許容範囲があるわけであって。
 何でこうも、唯先輩は。こうなんだろう。
 何でこんなに無防備な姿を、私に見せてくれるんだろう。
 例えば。もしこれで――あくまで仮の話だけど――私がその気になってしまったら、今のあなたは拒むことすら出来ないのに。
 それとも――

「……誘ってるんですか」

 口にして、はあとため息をつく。
 そんなはずなんて無い。
 そんな私にとって都合のいい展開がほいほいと転がってるはずなんて無い。
 結局この人はただの天然で、天真爛漫で朗らかで無邪気な唯先輩ってだけで。 その無垢な笑顔のままで、いつもどおりに私を翻弄しているってだけのこと。
 本当に、ただそれだけのこと。
 だけど、ただ、そう。私の気まぐれで生み出されたこのあまりにも無防備な姿に、この人がこの人であるがゆえに、ただそれだけで私の眼前に展開されている光景に、少し酔わされてしまっているだけのこと。
 そう、私は酔ってしまってるんだ。
 だから、唯先輩がそうであるなら、私も少しだけ、その理に沿って動いてみるのも悪くないかもしれない。

「大好きですよ」

 そう、一声。それで、夢の中にいるその言葉が届くはずの無い唯先輩の鼓膜を震わせてみるのも悪くない。それ位なら、この唯先輩の傍若無人な振る舞いに比べれば、些細なお返しに値する程度の行為に過ぎないだろうから。 どうせ、私のその言葉を聞くのは、ちっぽけで臆病で意気地なしの私くらいしかいないんだから。
 だから、これくらいは――ね。


「私もだよ、あずにゃん」

 だから、なんで。
 どうしてそこで、今まで眠っていたなんてことがうそみたいにはっきりとした声で、返答してくるのか。
 すやすやと立てられていた寝息は、すっかりと普段の呼吸に戻って。
 夢の中へと安らかに閉じられていたまぶたは、すっかりと普段のまんまる眼を見せてくれていて。
 だけどぎゅっとしがみ付いた体は、これもまたいつもどおりに私を抱きしめたまま。
 ああ、つまり。例えなんかじゃなくて、うそみたいに、とかじゃなくて。今までのそれは本当にうそだったということ、ということで。

 教えてください、こういうとき私はどう反応をすればいいんですか。
 ずっと届かないって思っていた思いがあっさりと通じ合っちゃって。
 天真爛漫だと思っていた私の大好きな先輩は、実は老獪な策士だったりして。
 こんなの、教わってないです。
 だから、どうしたらいいかわかんないです。

 それはもうみっともないほど狼狽する私を、思わず逃げ出してしまおうとする私を、だけど唯先輩はぎゅっと抱きしめて離してくれなかった。だから結局私はそのみっともない姿をさらしたまま、だけど先輩の傍から離れることが出来ずにいる。
 先輩の腕がするりと私の肩付近まで上がってきて、ふいっと私の太腿から重さが消える。同時にかくんと音を立てながら視界が転がって、とさりと軽い音とともに私の体はソファーのクッションの上に横たえられて、そしていつの間にか覆いかぶさる形へとその体勢を変えていた唯先輩に、ぎゅうっと抱きしめられていた。

「大好きだよ、あずにゃん」

 耳元でそんな言葉を囁かれて、だから私の体と心はあっさり溶けてしまう。全部溶けてなくなっちゃって、その言葉と先輩とで埋め尽くされてしまう。
 今ある、この事実。まるで夢のようなこの幸せが現実だって事を、その柔らかな優しいぬくもりが、地中渦巻くマグマよりもずっとずっと高い熱をもって体中に焼き付けていく。

「本当に、いいんですか、だって――」

 それでも口をついて出ようとする懐疑の言葉を、その唇を先輩はそっと綿のような優しさで塞いでくれた。いいんだよって、こうなってもまだ往生際の悪いとしか言いようの無い私に、教え込むように。
 だから、私は。 そこでようやくこれでいいんだって、幸せになってもいいんだって、この人と幸せになっていくんだって思い至り、そしてそれを誓い、覚悟を決めるように。
 今まで届かないと思い込んでいたその距離の分だけ、そんなものなんて及ばないほどの強さをこめて、ぎゅうっと私を包み込む優しい体を抱きしめた。

だから、こんなに幸せだから。
たまには慣れないことをしてみるのも、悪くないのかもしれない。


  • ・・・なんかめっちゃイイです。 -- (名無しさん) 2011-04-27 21:54:36
  • これはいい!! -- (名無しさん) 2012-07-29 17:14:27
  • 唯先輩…ま、まさか起きてます? -- (あずにゃんラブ) 2013-01-08 22:03:21
  • 幸せな唯梓上げ! -- (名無しさん) 2020-07-03 00:04:43
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最終更新:2011年04月22日 23:20