「あ、見て見て」
「なんですか?……あ」
嬉々として指差すから一体何があるのかと先輩の人差し指の先へと視線を移すと、其処には茶色と黒の二匹の猫がいた。
コンクリート塀の上、僅か8センチ程度の幅に器用に腰を下ろして、樹木に遮られ程よい光量になった木漏れ日の下、まるで口付けを交し合うように鼻先をくっつけあっている。
「仲のいい猫さんたちだねえ……ほらあ、キスしてるよ」
少しだけ照れくさそうに、唯先輩はそう感嘆を交えたような声を上げる。
その反応に少しだけ意外さを感じつつ、その顔に目を向けるとその頬は仄かに赤みを帯びていて、どうやら唯先輩は本気で照れてしまっているらしい。
「違いますよ、アレはキスじゃなくてですね」
「そうなの?」
その様子に、無粋だと分かっていながらも、訂正を入れてしまう。
「猫は嗅覚が優れてまして、仲のいい猫同士だとああやって匂いを確かめ合うみたいですよ。挨拶みたいなものらしいです」
「そうなんだー。そっかぁ、キスじゃないんだね」
「はい、猫にはキスをする習慣は無いらしいですから」
私の説明にふーんと返答を返しつつ、だけどやはり唯先輩はじっと鼻をくっつけ合う――まるで口付けを交し合うような――二匹の猫を見詰め続けている。
その頬はやはり微かに朱に染まったままで、その見慣れない表情にどこと無く落ち着かないものを感じてしまった私は、とりあえず視線を外そうと、また二匹の猫に目を向けた。
茶色の猫と黒猫。
まるで唯先輩の髪の色のような毛並みをした猫は、黒猫より少しだけ体が大きくて、そのせいかどこか甘えさせるような雰囲気で黒猫と鼻を合わせあっている。
黒猫は自分より少しだけ高い位置にある鼻に合わせるために、少しだけ顎を上げて、その角度を調整して、その仕草のせいかどこか甘えるように見えて――
――例えばそう、もし自分がああいう行動を取ろうとしたら、同じように少しだけ顎を上げて見上げるような仕草になるんだろうと想像して――
――じわりと、頬が熱くなった。
「
あずにゃん、詳しいんだね」
突然声をかけられて、私は思わず飛び上がりそうになり、あわててぎゅっとつま先に力を入れて抑え込む。
「そっかぁ、あずにゃんはあずにゃんだもんねー」
「その、私のあだ名が猫の一種みたいな口調はやめてください」
気が付けば猫を見ていたはずの唯先輩はいつの間にか私の顔を見詰めていた。
私はあらぬ想像で熱くなった頬が赤く染まってないか、それが先輩に露見してないかと危惧するものの、先輩の笑顔からは特にそんな色は見て取れない。
安堵と、何故か少しの落胆を交えたようなため息を私はふうと吐き出して、にこにこと笑う先輩を見返す。
「純から猫を預かったときに、ちょっと調べただけです。だから私は猫じゃありませんから」
猫じゃなくてただのあずにゃんですよ、なんて口にしそうになって、それはどうだろうとその寸前で言葉を切る。
下手したら、それは意味深に捉えられないことも無いとまた妙な心配を浮かべてしまう自分は、まだ通常状態には無いんだろうなとすうと深く深呼吸しようとして。
「ううん、あずにゃんは猫さんだよ。だってあずにゃんだもん――私だけの、可愛い子猫だよ」
私が浮かべた意味通りの台詞を唯先輩に続けられてしまい、吸い込もうとした空気を吐き出す羽目に陥ってしまった。
「だから、はい」
そう言って、唯先輩は目を閉じるとくいと此方に鼻を突き出してくる。
むせて軽くなみだ目になりつつ、何事かという気配を発する私に唯先輩は
「あずにゃんは猫さんだからね、ほら、猫同士のあいさつしよ?」
と目を閉じたままにこりと笑って見せた。
「だから、私は猫じゃないです」
「猫さんだよ~あずにゃんだもん」
否定の言葉にそれでも私は猫主張を繰り返す唯先輩に私は苦笑する。こうなった先輩は強情で、きっと私が鼻を合わせるまでそのポーズを取り続けるつもりだろう。
それは確かに、自分でも意外に思うほどに「唯先輩の猫」という言葉は魅力的に感じてはしまうけれど。
そう思ってしまう自分はきっと、ああ間違いなくそういうことなんだろうとは思うけれど。
ああもう、気付いてしまったからには仕方が無い。だけど、唯先輩。それでもやっぱり私は猫じゃなくて――人間なんですから。
「わかりました」
そう答えて、目を閉じたままの先輩の両頬に両手を当てると、右目の端でまた飽きることも無く茶色の猫と鼻を合わせる黒猫のように、小さく顎を上げて。
私の仕草に驚いたのか、少しだけ開かれた唯先輩の甘い香りのする唇に、そうっと優しく口付けた。