「はぁ……! はぁ……!」
その時、梓は容赦なく体にぶつかる雨の中を駆け抜けていた。
足元に待ちかまえる水たまりを飛び越えて、梓は近くの店の軒下に駆け込んだ。
「はぁ……! びしょびしょだよ……!」
うす暗い曇天を恨めしく見つめて、梓は大きくため息をついた。
天気予報では一日中晴れと言っていたのだが、中学校の校門を出てから急に雲が広がりこの有様である。
軽くハンカチで拭いてみるが、あっという間に水分を吸ってしまって役に立たなくなってしまった。
携帯を確認し、カバンの中を見てみると案の定教科書の下の方がふにゃふにゃになっていた。
「……はっ! はっ! はっ!」
梓がハンカチを絞って髪を拭いていると、雨のカーテンの向こうから人影が駆けてきた。
ぱしゃぱしゃと水たまりを跳ねさせて軒下に滑り込んできたのは、栗色の髪の毛をした女の子だった。
「はぁ……。朝はすっごく晴れていたのに雨が降るなんて……!」
ぶつぶつと文句を言いながら女の子も曇天を恨めしそうに眺めた。
見たところ、近くの桜が丘高校の生徒のようだ。
この人も災難だな、なんて思ってちらと横を見ると女の子は背中に大きな荷物を背負っていた。
その荷物は、梓には馴染み深いものであった。
(……ギターのケースだ)
背中を覆う大きなケースは上の部分が濡れて変色していた。
こんな雨の中をギターを背負って走っていたのか……。
そう考えると、梓に1つ不安なことがよぎった。

「あ、あの……、よかったら使いますか?」
「えっ?」
気がつくと、梓はその女の子に話しかけていた。
知らない人に話しかけるなんて自分でも不思議だったが、ギタリストであるという共通点からどうも放っておけなかったのだ。
「その、風邪ひいちゃいますし……」
「でも、悪いよ……」
「かまいませんよ、どうそ」
女の子は少し躊躇っていたが、じっとりと濡れた服が体温を奪っていくことに耐えられなくなってハンカチに手を伸ばした。
「……ごめんね。ありがとう」
女の子は大切そうにハンカチで体を拭いていき、時々襲う寒気に震えた。
「ん? どうしたの?」
「あの、後ろのそれって……」
「あぁ、これね? ギターのギー太だよ」
「ギー太?」
濡れた体をよじって背中から降ろすと、ぐっしょりと濡れたギターケースを心配そうに開けた。
「よかった~。中はあんまり濡れてないみたい」
それを見てようやくギー太の意味を理解して、梓は吹き出しそうになった。
「大切にしているんですね」
「うん。私の大切な相棒だからね」
女の子は嬉しそうにギー太を取り出した。
「あの、ギー太も拭いていい?」
恐る恐る女の子が聞いてきた。
「えぇ、早く拭いてあげてください」
梓が快く言うと、女の子はにっこりと笑ってギー太を拭きだした。
「その、ギー太ですか? 家に帰ってから乾かしておいた方がいいですよ」
「あんまり濡れてしまうとネックもだめになっちゃうし、弦も錆びてしまいますからね」
「……ギターについて詳しいんだね」
女の子は感心した表情で梓のことを見つめた。
「私もギターやっているんですよ」
「そうなんだ。私、始めたばっかりだからそういうのよくわからなくて」
「ギターのメンテナンスはこの時期が一番大変ですからね。お店に頼んでみたりするといいかもしれませんね」
「大変なんだね~」
それから梓は女の子とギターについてずっと話し込んだ。
練習のこと。コードの覚え方のこと。テクニックのこと……。
受験勉強ばかりで退屈だった梓にとって、ギターの話題で盛り上がったのは久しぶりだった。
だからなのだろうか。梓はこの女の子と話しているのがこの上なく楽しかった。

「止まないね~」
「そうですね」
雨が止まないことがこんなにも嬉しいなんて不思議なこともあるものだ。
梓は天気とは裏腹に、晴れやかな気分で空を見ていた。
先程、母にメールで迎えに来てほしいと送っておいたので、そろそろくるはずだ。
でも、梓はもう少しこの女の子と話していたいと思っていた。
「……あーめあめふーれふーれ、かーあさんがー」
女の子は雨の音に誘われて、ギー太からメロディを奏でて口ずさみはじめた。
「じゃーのめーで、おーむかーえうーれしーいなー」
それに梓も加わって、2人で雨のリズムに合わせて歌った。
「ぴっちぴっち、ちゃっぷちゃっぷ、らんらんらーん」
歌が雨の音の中に消えていくと、どちらともなく笑いあった。
その時、雨の中から声が聞こえてきた。
「お姉ちゃーん、迎えに来たよー」
「あっ、憂だ!」
どうやら女の子の迎えが来たようだ。嬉しそうな声を出して、女の子は手を振った。
「梓ー」
「あっ、お母さん」
声がする方を見ると、母が傘を持って歩いて来ていた。
「そっちもお迎えが来たみたいだね」
女の子は妹から傘を受け取ると、ギターケースを抱えるようにして傘をさした。
「ギターのこと色々教えてくれてありがとう! またね!」
そう言うと女の子は妹と一緒に雨の中に消えていった。
「おまたせ」
「ありがとう、お母さん」
「さ、帰りましょう」
梓も傘を受け取って母と一緒に歩きだした。
「あっ……」
「どうしたの?」
立ち止まった梓を不思議そうに見つめる母に気付いて、慌てて答えた。
「……ううん、何でもない」
まだ不思議そうに見ている母を追い越して、梓はまた歩き出した。
あのハンカチ……。返してもらうのを忘れていたが、梓はそれでもいいと思った。
もしかしたら、また会えるかもしれない……。
あの女の子だって”またね”って言ってくれたし……。
桜が丘高校に行けばあの人に会える。ギターについて色々と話して、もしかしたら一緒に練習なんてできたりして……。
そんなことを考えてみると、梓の心はとても楽しくなった。
雨の音に負けないぐらい弾む胸を抱いて、梓は温かい気持ちで帰宅した。


END


  • こういう前に一度会ってたみたいなの好きです -- (名無しさん) 2015-01-30 14:22:44
名前:
感想/コメント:

すべてのコメントを見る

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2011年07月13日 00:45