「あ~ず~にゃ~ん~」

 間延びしながら私を呼ぶ声に目を向けると、そこには滑り台の上にちょこんと腰を下ろしてこちらに手を振る唯先輩の姿があった。

「……何してるんですか」
「うん、すべりだい!」

 答えになってませんよと私は口にせず、呆れ気味の苦笑だけを浮かべて答えにする。
 私のそんな反応などまるで気にしないよという顔をして、先輩は上機嫌に鼻歌を歌いながらにこにことこちらを見下ろしていた。

 何となく外を出歩いていた休日、本当に偶然に唯先輩と出くわして、何となく一緒に歩いたりしながら、たどり着いた小さな公園。
 寒風の中寂しそうに佇む遊具たちはもう今の私には小さすぎて、そして年齢的にも今の私がそれで遊んでいたとしたらただの変な人だろう。
 だからこの場所は、私の中ではあっさりと通過点として認識されていた。
 だけど、次は何処に行こうかなと寒空を見上げながらぼんやりと考えていたその間に、唯先輩はあっさりとここに何らかの意味を見つけ出していたらしい。
 真っ直ぐ立てば、その頭が頂上に届いてしまうほどの小さな滑り台の上で、唯先輩は相変わらずの笑顔をこちらに向けている。
 本当に楽しそうに。いつも私の心を暖かくしてくれる、その笑顔を。
 うかつにも、それだけで私にとってもこの場所は、意味のあるものへとその姿を変えようとしていた。
 どうしてか、なんて思うまでもない。先輩がそこで笑っていると言うだけ、私にとってはそれだけで十分ということなのだろう。

「ほら、あずにゃんもおいでよ」

 おいでおいでと小さく手招きしながら、ちちちと舌を鳴らす唯先輩。また人のことを猫扱いして。

「いやですよ、いい年して恥ずかしいじゃないですか」
「むー、それじゃ私がまるで恥ずかしい人みたいじゃない」
「違うとでも言うんですか」

 私がそう返すと、先輩は頬を膨らませて見せた。拗ねましたよ、と私に知らせてくる仕草。
 だけど、それが仕草だけだってことに私は何となく気付いていた。
 おそらくは、先輩も気付いていたのだろうから。私のその拒否も、形だけのものだということに。

 無造作に手すりを掴むと、私はひょいっとその小さな階段を登る。先輩が私をそう扱う、猫の様に身軽にとは行かないけれど。
 一瞬よりも少しだけ長めの時間をおいて、私は滑り台の上、先輩のすぐ後ろに現れていた。

「さむっ」

 そしてすぐにしゃがみこむ。ほんの少し高度を上げただけなのに、その分遮蔽物のなくなった北風は嫌がらせのような勢いで私の体から体温を奪おうと吹き抜けていく。
 そんな私に向けて先輩はふらりと倒れこんできて、私は避けるわけにも行かずぽすんとその体を受け止め、支える。
 すると、すぐに服越しに先輩の体温が伝わってきた。先輩の服と私の服、二つ通してなのにあっさりと。
 そうあっさりとそれを感じ取れてしまうくらいに、ここは冷えるということなのだろう。

 だって、実際寒いし。

「先輩は寒くないんですか」
「さむいよ~」

 きゅっと肩を絞って、一度ぶるりと身震いをしてから、それでも肩越しににこっとした笑顔を見せながら先輩はそういった。

「だからギュッとしてっ」
「な、何言ってるんですか」

 かもん!とぽんぽんと胸元辺りを叩いて見せる唯先輩に、私はぎょっとする。それは確かに、この体勢のまま抱きしめれば私の手はその辺りに落ち着くだろうけど。
 そうしてしまえば、私も唯先輩も今よりずっとあったかでいられるだろうけど。

「いやです」
「えー、いつもしてあげてるじゃん」
「べ、別に頼んでませんから」

 先輩は少し拗ねたように、もしくはねだるように私にもたれたまま体をよじって、私に擦り寄ってくる。

「あずにゃんがギュッとしてくれないから、寒いよ~」
「何を言ってるんですか、もう」

 なら降りればいいじゃないですか、と思ったけど、私は結局口にしなかった。
 唯先輩はそれでもここがお気に入り、とばかりに立ち上がる気配すら見せなかったし。
 私もなんだかんだ言いつつも、ここで先輩とこうしているのは悪い気がしなかった。
 そう言ってしまえば、そして唯先輩がそれに従ってしまえば、この時間は終わりになってしまう。
 今はそれが、惜しいと思ってしまっていたから。

 また吹き抜けて行った風に、唯先輩はまたびくっと身を震わせた。
 目をおろすと、その首筋は微かに鳥肌の様相を見せている。

「ホントに寒いんですね」
「うん~」

 肯定しつつも、やはり唯先輩の顔は嬉しそう。私と一緒にこうして滑り台の上で、いつもよりちょっと視線の高い風景を眺められるのが楽しいって、そんな笑顔のまま。

「仕方ないですね」

 だから、私は先輩の首元から胸元に手を回し、ギュッと抱きしめた。
 間髪いれず、先輩の手が私の手に添えられる。そしてきゅっと握り締めてくる。
 まるで、私がそうしてくれるということが始めから分かっていたかのように、そんなスムーズさで。

「えへへ、あったか~」

 私の胸の中、もう振り返るスペースがなくなってしまったから先輩の顔を見ることはできないけど。
 おそらく先輩はやはりにこにことしているのだろう。
 先輩はきっと、私が折れてそうしてくれると言うことがわかってて、そして今そうなったことが嬉しいというそんな笑顔を浮べているに違いない。

「特別、ですからね」

 一応念を押しておくと、先輩はえーと小さく不満をあげた。

「いつもがいいよぅ、今だけの特別じゃいやだよ」
「なんですかもう、年から年中抱きつけってことですか」
「そうだよっ」
「……そんな元気よく答えないでください」

 それじゃ唯先輩じゃないですか、もう。あいにく、そこまで唯先輩化するつもりはありませんから。
 小さく溜息をついて、もうこの話題は終わりですときゅっと抱きしめる腕に力を籠めてみる。
 まるでそれが伝わったかのように、唯先輩はそれ以上しゃべること無く私に身を預けてくる。
 私が力を込めた分、先輩が私に身を預けた分、さっきより深いハグになる。
 それはとても暖かくて、心地いい。
 いつもとは立場が逆だけど、だけどそれでもそれに負けないくらいに。

「今だけのって意味じゃないです」
「ほえ?」

 それに浸るままに、うかつにもそう口にしてしまっていた私に、唯先輩は疑問の声を上げた。
 しまった、と思っても吐いた唾は飲めない。かといって、そこで言葉を切るのも不自然すぎる。
 体がじわっと熱くなる。吹き抜けていく北風でも、冷やせないほどの熱が私の頬辺りで渦巻いている。
 いいか、と思う。もう少しだけ素直になってみるのも。どうせこんな、人様から見ればどう思われるか一目瞭然の体勢なんだから。

「唯先輩だから、ですよ。私がこんなことをするのは」
「え?」
「そういう意味です、特別って」

 続けた私の言葉に、先輩は一瞬きょとんと私を見上げようとして――この体勢だと頭頂部を私の顎にこすり付けるだけだったけど――
 私はといえば、どう聞いてもそうとしかとれない発言に、致命的なまでに赤くなった頬をせめて見られないようにと、先輩が振り返れないように更にギュッと強く抱きしめていた。
 やがて先輩はそうするのを諦めたのか、私の腕の中で大人しくなって、そして今度はふふふと笑い始める。

「それは私もだよ。あずにゃんは特別。いつもぎゅーっとするのは、あずにゃんだからだよ」

 そしてあっさりとそう返すものだから、一瞬私の心臓は止まりそうになって、だから慌てて何処かその揚げ足を取れないかとまた素直じゃない自分を持ち上げたりしていた。

「……嘘です。先輩は誰にだって、ぎゅーっとするじゃないですか」
「むー、それはそうだけどさぁ」

 先輩はちょっと考え込むような仕草。私はといえば、先輩がそう返してくれたことが嬉しくて、でも表面上はむすっとした顔を作ったりしてで、なんか変な忙しさの中。
 ああもう、普段から素直になってないからこういう時困るんだと、私は自嘲したりしていた。

「よっ…と」
「え……わっ!」

 不意に唯先輩は、無造作にスロープへと身を乗り出した。当然先輩の体は重力に従って前方下方へのベクトルを得る。
 咄嗟にそのまま先輩の体が自分から離れることを嫌い、しがみついた私もそのまま滑り落ちそうになる。
 さすがにこのまま滑り落ちると危ないと、私は慌てて体勢を整えようと後に重心を移動させた。
 そうして空いたほんの小さな隙間。それを利用して、先輩は私の腕の中くるりと体ごと振り返ると、私が何らかの反応を返す隙も無く――

「……え?」

 小さく、ほんの一瞬だけど、私に口付けをして見せた。

「ね、これはあずにゃんだけだよ?」

 なんて言ってのけるその笑顔は、おそらくは私に負けないほど真っ赤に染まっていて。
 いつもの笑顔のままでいると思っていた私は、それに不意打ちじみた衝撃を受けていて。
 何も言えないままに、今度は正面から強く先輩を抱きしめていた。

「えへへ、特別同士だね」
「……そうですね」

 先輩の手がするりと私の背中にまわり、ぎゅっと私を抱きしめてくる。私のそれに、負けないほどの強さで。
 それは背中から抱きしめたさっきよりもずっと、柔らかくてやさしくて暖かくて。
 不意に泣いてしまいそうなほどの何か強くて大きなモノを、私の中に生み出してくれていた。

「じゃあ、いつもぎゅっとしてくれる?」
「それはダメです……恥ずかしいですから」
「もう……いいじゃん~」

 そういう私に、先輩は少し拗ねた振り。

「だけど、たまになら……二人きりのときなら、そうしてもいいですよ」

 そしてそう続けた私に、本当に嬉しそうに頬をすり寄せてくれた。


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最終更新:2010年01月09日 06:45