最近、唯先輩に抱きしめてもらうたび、すこしだけ緊張が走る。
敏感な人だから、きっとそれに気づいているだろう……でも、唯先輩は何も言わない。
何も言わないでくれている。
私の体を一瞬だけ凍らせてしまう原因……それは、唯先輩の香り。
『 二人の香り 』
入部してすぐの頃だから、高校時代の丸々2年間。
私はいつも唯先輩に抱きしめてもらっていた。
最初は、恥ずかしくて。
それでも、私はすぐに唯先輩の香りの虜になった。
ほのかに甘いミルクのような唯先輩の香りに包まれるたび、とろけていく私の体。
初めての夏合宿が終わってすぐ、校舎屋上で想いを通じ合ってからも、それは変わらなかった。
一緒に寮ですごした3年間も、やっぱりそうだった。
やっぱり、人前で抱きしめられるのは恥ずかしかったけど。
無事大学も卒業し、私たちがHTTとしての活動を本格的に始めてから、私と唯先輩は一緒に暮らし始めた。
寮時代も半同棲のようなものだったけど、二人暮らしという甘い響きは、生活をより華やかにしてくれた。
おはようのキスをして、交互に朝ごはんの支度をして。
帰ってくれば、お帰りなさい、ただいまと言葉を交わし。
そして、おやすみといって一つのベッドに入る生活。
それは、学生時代からずっと楽しみにしていたことのはずなのに。
私は気づいてしまった。
いつしか、唯先輩の香りに……どこか、慣れてしまったことを。
昔は、その香りをかぐたびに、心がときめいた。
胸の奥が軽くうずき、体の奥底までその匂いを吸い込まなければ物足りなくて、5時間近く抱きしめあっていたときもある。
私はその香りに酔うのが大好きだった。
でも、今は、何かが違う。
抱きしめられるのは嬉しいのに。
その香りを、あたかも当然のように受け止めてしまっている自分がいる。
心が大きく浮き立つわけではなく、逆に落ち着いて受け止めてしまう。
最初は、あまり気にしていなかった違和感。
でも、それがある言葉と結びついた瞬間から、私の体はハグの度に軽く凍るようになった。
初めて抱きしめられた高1の春のように。
”倦怠期”
以前、ライブの打ち上げで、他のバンドの人が繰り返していた言葉。
律先輩がうまく話を逸らしてくれるまで延々と続いていた、酒の上での愚痴。
ごめんね、酔っ払いの愚痴だから気にしないで、他のメンバーはそう口々に謝ってくれた。
それでも、耳から滑り込んだ言葉は、感じていてた違和感に形を与えてしまう。
私が、唯先輩に飽きてしまった?
こんなに、好きなのに。
いてくれなきゃ嫌なのに。
顔を見るだけで安心するのに。
ずっと、支えあって行こうねって約束したのに。
どう否定しても、先輩の香りをかぐたび、違和感がよみがえる。
心で認識していなくても、私の身体は……。
そう思うたび、私の体は硬くなる。
テレビの前の卓袱台で楽譜を眺める私に、唯先輩が話しかける。
なんと答えたらと迷う間に、目の前にマグカップが下りてきた。
湯気を立てるココアの匂いと同時に、柔らかな感触が私を包む。
後ろから抱きしめる唯先輩は、私の頭を撫でながら、もう一度つぶやいた。
「何か、悩みでもあるの?」
大人になった唯先輩は、本当に綺麗になったと思う。
身長も伸びなかったし、顔もあまり変わってない、おまけに胸も成長しなかった私が引け目を感じるほどに。
そして、そんな私の引け目を吹き飛ばしてしまうくらい、私を愛してくれた。
そんな唯先輩に対して私は……。
「ほら、泣かない泣かない……。いい子だから……ね?」
ココアの匂いをかき消すように、唯先輩の香りが染みてくる。
こんなときでも、やっぱり感じ方はいつもどおり。
また一瞬だけ凍りつく体、それを端から溶かそうとするかのような、唯先輩の体温。
どうしようもなく申し訳なくなる。
自分が、唯先輩を裏切っているようで。
「一人で抱え込んじゃわないで……。言いたくなったらでいいから、私はいつでも聞いてあげるよ」
私を包む唯先輩の腕に力がこもる。
いつも柔らかな唯先輩の体が少し強張る。
あぁ、私のせいで、唯先輩まで心を痛めてる。
自責の念に押され、私は口を開いた。
「ごめんなさい……」
泣きじゃくりながら全てを告げはじめる私を、唯先輩はずっと抱きしめて、撫でてくれていた。
聞き取りにくいだろう言葉を、一つ一つ、拾いながら。
「そっか、あずにゃんも私と同じこと思ってたんだねー」
全ての懺悔を終え、裁きを待つ私に降ってきた言葉は、想像していた最悪を超えていた。
唯先輩も私に飽きていた?
一瞬で体が凍りつき、理解したくない言葉が頭の中をぐるぐると回る。
「でも、それは悲しむことなんかじゃないんだよ?」
今度は、唯先輩の言葉が分からない。
互いに飽きちゃったなら、それはきっと悲しむべきことなのに。
「私も、昔はあずにゃんの香りをかぐたび、胸がきゅ~ってしたもんだけどね」
「最近は、きゅ~ってするのもあるけど、安心する」
「きっと今まで、私と憂の匂いはちょっと似てたし、あずにゃんもご両親と似た香りがしてたよね?」
「今は、私とあずにゃん。それと、ギー太とむったん。みんなの香りが似てきたってことじゃないかな」
「自分に、自分の家に似た香りになってるから、その香りで安心するようになった。」
「恋人!って感じのときめきは、少し薄れちゃったかもしれないけど……。その分だけ、私たちが家族になったってことなんだよ」
「ま、恋人のときめきも大事にしたいから、今後はお互いイメチェンとかもしてみよっか?」
小さく笑いながら、言葉を続ける唯先輩。
その手はずっと私を抱きしめ、頭を撫でてくれている。
凍っていた私の体を、言葉で、体で、そして香りで、暖めてくれている。
ようやく動けるようになった私は、唯先輩の腕の中で反転し、正面から抱きついた。
違和感というフィルタなしに吸い込んだ、一ヶ月ぶりの唯先輩の香りは、やっぱり甘いミルクの香り。
私をくすぐり、暖め、とろけさせる、恋人の、家族の香り。
私を安心させて、事あるたびにときめかせてくれる、唯先輩の香り。
「大好きです……」
私の香りと、唯先輩の香り。
唯先輩の香りに包まれるたび、きっと私の香りは甘くなる。
だから私も、ずっとそばにいて、唯先輩の香りを甘くしたい。
恋人の香り、家族の香り。
二人で作る二人の香りを、最高のものにするために。
- すでに最高ですわ/// -- (鯖猫) 2012-09-28 14:57:01
- こういう話すごい好きです。 -- (名無しさん) 2012-10-29 11:21:52
- 飽きてない寧ろ好きすぎて慣れたんだ。 -- (あずにゃんラブ) 2013-01-07 02:36:01
- 系疾椣 -- (名無しさん) 2014-04-26 07:56:45
- キマシタワー -- (名無しさん) 2014-04-26 07:57:16
最終更新:2012年09月26日 22:37