その金曜日、私はそわそわしていた。
なぜかというと、その日付は2月12日だから。バレンタイン前に
あずにゃんに会える最後のチャンスだから。
「こんにちは!」
元気よく部室の扉を開けるあずにゃん。
あまり意識してるのを悟られたくないしいつも通り接しよう。そう決めていたはずなのに、足がすくんで動けない。
あわあわと言葉にならない言葉を出す私に、あずにゃんは怪訝な様子で話しかける。
「どうしたんですか唯先輩。今日は大人しいですね」
「う、うん…」
「まぁ私としてはその方がいいんですけどね」
「…あ、あず…」
「あ、そうだ」
「…!」
あずにゃんがカバンを探るのを見て、私の胸はドキンと高鳴る。
絶対あり得ないからって考えないようにしてたけど、あずにゃん、もしかして私に…
どうしよう、ドキドキしてあずにゃんの顔見れないよ…
「あの!」
「な、なに!?」
「皆さんにチョコ持ってきました!」
「え…?」
皆に包みを渡していくあずにゃんに、私は肩透かしを食らったような気分になる。
…まぁさすがに虫が良すぎるよね。自分だけもらえるだなんて。
…それでも、いい。義理でももらえるなら、お返しができるから。
「さっすが梓!いい後輩持って幸せだー!」
「ありがとな、梓」
「ありがとう梓ちゃん♪これ、手作り?」
「いえ、時間がなくて作れなくて…じゃあ、唯先輩にも」
「う、うん…」
これを渡すなら、あずにゃんがチョコをくれるこのタイミングしかない。
ポケットの中の包みを握りしめて、私は意を決して顔を上げた。
「あれ?」
「…?」
3人に渡し終えて、次は私…と思いきや、その手には何もない。
あずにゃんは覗き込むようにしてカバンを探った後、バツの悪そうな表情で呟いた。
「えっと…すいません。1個足りなかったみたいです」
「…!そ、そう…なんだ…」
最高潮に達していた緊張が一気に解けて、体中が冷たくなっていく。
…そっか。やっぱり私は…
「あ…あはは、あずにゃんったらひどいなぁ~」
「ホントすいません!また今度用意するんで!」
「…いいよもう」
「え?」
「それより…あ~ずにゃん♪」
「きゃっ?ちょ、離してくださいよぅ」
「えへへ~、チョコくれなかったんだからこれくらいいいでしょー?」
バカみたいだ、私。
あずにゃんの制服に顔を押し付けて涙を拭いながら、私は痛感した。
最初から可能性なんて、なかったんだ。
「…はぁ」
それから2日後のバレンタイン当日、私は夕陽の光を浴びながらぼんやりと自分の部屋のベッドに横たわっていた。
…結局、あずにゃんにチョコを渡すことはできなかった。
でもまぁ、いいか。こんなの渡したって、大して喜んでくれるとも思えないし。
机の上に目をやると、ポケットの中でくしゃくしゃになってしまった包みが目に入って、胸の奥が情けない気持ちでいっぱいになる。
その中身は、生まれて初めて自分で作ったチョコ…なんて言っていいのかな。
見た目はお世話にもきれいだなんて言えないし、味だって憂の作ったチョコとは比較にならないくらいひどい。
「チョコっぽいなにか…かなぁ」
自嘲気味に呟くと、ズキンという痛みが胸に走って涙が溢れた。それを拭っていると、私はさらに情けない気持ちになる。
こんな気持ちになるなら、捨てちゃえばいいのに。わかってても、どうしてもそれを実行することが出来ないでいた。
…もういいや、寝ちゃおう。純ちゃんの家に遊びに行った憂が帰ってくる頃にはもう夜だし。
そしたらバレンタインなんて終わってるよね。…うん、起きたら捨てよう。
あの包みも、自分の気持ちも両方。
どれくらい時間が過ぎた頃だろう、ふと誰かの視線を感じて目が覚めた。
部屋はすっかり暗くなっていたけど、私が横たわるベッドの横に、確かに誰かの影が見える。
憂が帰ってきたのかな…?
「うい…?」
かすれるような声で問いかけたけど、その影は返事をしない。代わりに、そっと私の頭を撫でた。
この感じは…憂じゃない。お父さんでも、お母さんでもない。じゃあ、誰…?
「…やっと起きましたね。だめですよ?寝る時は何か掛けなきゃ。風邪ひいちゃいます」
この声は…まさか…
「あずにゃん…?」
「呼び鈴鳴らしても誰も出てこないから帰ろうかと思ったんですけど…鍵が開いてたんで」
「な、なんで?」
「不法侵入は謝ります。でも、どうしても一人にしときたくなかったので」
「そうじゃないよ…なんで?なんで私ん家に来たの…?」
「…言ったじゃないですか。チョコ、また今度用意するって」
「え…?」
あずにゃんは手元からそっとピンクの袋を取り出した。
赤いリボンに包まれたその袋からは、ほんのりと甘い香りが漂ってくる。
あずにゃん、まさか…
「どうぞ。唯先輩へのバレンタインチョコです」
あずにゃんの言葉を聞いて、私は思わず飛び起きる。
「唯先輩?」
「ど、どうして…どうして今なの…?」
「え?バレンタインチョコをバレンタインに渡すのって変ですか?」
「変っていうか…だってこないだ皆にあげたのに…」
「あぁ、澪先輩たちに渡したのは義理チョコですよ」
「義理…?」
「唯先輩に渡すのは、やっぱりバレンタインにしたかったから…忘れたフリしたんです」
「な、なんでそんなことしたの?」
「…そんなの決まってるじゃないですか。唯先輩に渡すチョコは本命だからですよ」
「……!」
あずにゃんは優しく、でもしっかりと私を抱きしめた。
「…ごめんなさい。先に渡すって言っておけばよかったんですけど…なかなか言えなくて」
「…う…うそ…だってあずにゃんは…」
「うそじゃないですよ。私は唯先輩のことが大好きです」
「…!」
やっぱりうそだ。こんなのあり得ないよ…もしかして私、夢見てるのかな。きっとそうだ。
私何考えてるんだろ。いくらなんでもこんな夢見るなんて…
「唯先輩?」
「…私、夢見てるんだよ。だってあり得ないもん。あずにゃんが私のこと好きだなんて」
「…じゃあ、これで信じますか?」
「え…モゴモゴ」
あずにゃんが私の口に押し込んだのは、持ってきたチョコ。それは、驚くほどに甘かった。
「…おいひい」
「唯先輩のために作ったんですよ。夢じゃこんなの食べられません!」
「え…あずにゃんが?」
「はい、唯先輩のために頑張ったんです。おかげで澪先輩たちのを作る時間が足りなくなりまし…唯先輩?」
「う、えぅっ…うぅっ…う…うわぁぁん!」
「ちょ、泣かないでください!唯先輩!」
私はホントにバカだ。勝手な解釈して、全部を自分の中だけで終わりにしようとしてた。
自分の気持ちを伝えることもしないで。
「ずずっ…あずにゃん」
「は、はい?」
「…私も渡したいものがあるの」
「これ…」
「…自分で作ったの。へたくそだし、別に食べてくれなくてもいいよ。ただ、もらってほしいだけ」
あずにゃんは私の差し出した包みを受け取った。そして――
「…いただきます」
「あ、食べなくていいって…」
「モグモグ…正直、おいしくはないですね」
「…うぅ」
「でも…唯先輩の味がします」
「え?私の味?」
「はい。マイペースで鈍感で適当な、でも優しくて、やる時にはやる味です」
「よくわかんないよ…」
「…こういう味ですよ」
「……!」
あずにゃんは、私にキスをした。
「こんなことしてなんですが…私まだ、唯先輩の気持ちを聞いてません」
「…わかってるくせに」
「それでも、聞きたいんです」
…やっと、やっと伝えられる。初めて出会った日からずっと抱いていた、この気持ちを。
あずにゃん、私はあなたのことが――
「好きだよ」
そして私は、あずにゃんに唇を重ねた。
終わり
最終更新:2010年02月17日 01:52