最近唯先輩と会っていない。
といっても喧嘩した、とかそういうマイナス的原因ではないんです。
私と会うと唯先輩はどうしてもギターを弾きたくなっちゃうみたいで。
それだけだと問題はないんですけど、どうやら唯先輩は一つのことに集中すると別のことが疎かになっちゃうらしくて。
受験が迫ってきたこの時期にそれはどうかということで澪先輩が提言してきたのが私とあまり顔を合わさないという案。
つまりギターを連想させる私を見なければ唯先輩も容易にギターを手にせず、故に勉強したことをあまり忘れないのでは、ということらしいのです。
正直そんなことで、と思わなかったといえばウソになりますけど物は試しということで数日間この案を実施してみることになった。
私は唯先輩のためなら、とこの案を受け入れた。
以上が唯先輩と最近会っていない理由です。
唯先輩は『そんなー、あずにゃん分が足りなくなるー』と嘆いてましたけど。

しかし、実際に会わなくなると何となく寂しい。
同じ学校なんだから会おうと思えばいつでも会えるんだけど、そこは唯先輩や他の先輩との女の約束。
せっかく唯先輩が頑張って約束を守っているのに私から破るなんてできません。
……とかいいながら三年生の教室に向かってる私ってどうなんだろう?
そう、これは律先輩に聞きたいことがあるから行くんです。
それは、えーと……部長の心得とか? ほら、このままいけば来年は私が軽音部の部長になるはずですから。
そこに唯先輩がたまたまいたら、挨拶ついでに『頑張ってください』くらい声をかけてもバチは当たらないはずです。

「こんにちは」
「お、どうした梓。珍しいな、三年の教室に来るなんて」
私の挨拶に答えてくれた律先輩もそこそこに、視線はやっぱり唯先輩を探してしまう。
そこには傍らに和先輩を伴って勉強に励んでいる唯先輩の姿があった。
「ん?」
自分へと視線を送ってこない私に違和感を覚えた律先輩は、私が見つめている背後に目をやった。
「ああ、唯か。凄いだろ、あの集中力。最近かなり勉強してるみたいだからな。で、梓。今日は何の用で来たんだ?」
「え、あ、あの、最近みなさんと会う機会が少なくなったので、この教室の前を通るついでと言ってはなんですが挨拶しとこうかなと思いまして」
ここで建前を言っても仕方ないと思った私は正直にここに来た理由を告げる。
……まあ、全部正直に言うのも恥ずかしいですから、少しばかり脚色させてもらいましたけど。
「んー、確かに最近音楽室に全員集合ってのも少なくなったからなあ。なるほど梓も私たちに会えず寂しかったんだねえ」
律先輩は小さい子供をあやすように私の頭を撫でてきた。
「や、やめてください」
私は恥ずかしさから律先輩の手を払いのける。外見的には拒否反応を示したけど、内心少し嬉しかった。
「へへ。じゃあ、唯たちにも挨拶しとくか?」
「いえ、せっかく集中してるのに邪魔しちゃ悪いです」
「そうか、じゃあ私たちももう少し音楽室にも顔出すようにするから。しばらくは一人の時間が多くて寂しいだろうけど部活頑張れよ。
 私たちに桜咲いたら、今まで一人にしてた分をチャラにするくらい一緒に練習してやるから」
「わかりました。律先輩も頑張ってください」
深々と頭を下げ、三年生の教室を後にする。律先輩の優しさと唯先輩の頑張る姿を思い返しながら。

その日の夜、私はベッドに寝転がり一人呟いていた。
「声ぐらいかけてもバチ当たらなかったかなあ」
一つ欲望が満たされたら違う欲望が生まれるのが人間だってどっかの誰かが言ってた気がする。
今の私はまさにそれ。
会えない時間が長かっただけ、あの時は姿を見られただけで満足だった。
だけどその姿を見てしまった今、それ以上のことを望んでいる自分がいた。
「ああ、もう。ウジウジしたってしょうがないじゃない、中野梓」
自分に言い聞かせるように――実際言い聞かせてるんだけど――私は声をあげ、体を起こす。
「メールくらいなら大丈夫だよね?」
これまた自分自身を納得させるため声に出しながら、私は携帯を手に取る。
「あんまり長いと迷惑だろうから、手短なのがいいよね」
文章を打ち込み、いざ送信というところまできて、再び私は思案する。
「やっぱ勉強の邪魔になるかなあ?」
あと一回ボタンを押せば送信という状態の画面を見つめながら私はしばらく考えをめぐらせた。
「うん、きっといい息抜きになるはずだよ」
決断のための独り言と共に私は指に力を入れる。
画面に写し出される送信完了の文字を見て、私はふうと溜息をついた。
「今日はホント、独り言が多いなあ」
ここ数分の言動を自嘲しながら私は仰向けに倒れこみ天井を眺める。
緊張感から解放された私はそのままゆっくり意識を闇に落としてしまった。

「……ん? 私寝ちゃってた?」
ぼんやりとする目をこすりながらベッドから起き上がろうとする。
そのとき指に触れた携帯電話。それが一気に私の意識を覚醒させた。
「そうだ、メール!」
急いでメールを確認する。唯先輩からの返信メールがあるかもしれないからだ。
寝てしまったとはいえ、もし唯先輩からのメールが届いていたら結果的に無視した形になってしまう。
さすがにそんなことで怒る人は少ないだろうし、唯先輩もそんな人ではないけど、私から送った手前、その状況は避けたかった。
「……まだ来てないか」
恐れていたことは起きていなかったという安堵と共に別の感情も湧き上がってくる。
「勉強も忙しいし、返事がなくても仕方ないよね。きっと読んではくれてるだろうし」
これも自分を納得させるための独り言。一体今日何回目だろう。
「寝よ」
枕元に携帯を投げ、つけっぱなしにしていた電気を消してベッドへうつ伏せに倒れこむ。
そのとき、
「……っ!」
携帯が着信を知らせてきた。
頭のすぐ近くで鳴っている携帯を手に取り画面を確かめる。
『新着メールあり』
その文字を確認した私は急いでメールを開く。

『あずにゃんメールありがと。
 ケータイマナーモードにしたままだったから気づかなかったんだ。ごめんね、返信遅れちゃって。
 あと、もしこのメールで寝てるとこ起こしちゃったなら、それもごめんね。
 やっぱ勉強って大変だね。和ちゃんや澪ちゃんみたいに真面目にやっとけばよかったなあって思ってるよ。
 あずにゃんは私みたいな苦労しないようにちゃんと勉強しなきゃダメだからね。先輩からの忠告だよ。
 それじゃ寝てるかもしれないけどおやすみ、あずにゃん。

 PS.あずにゃん分不足気味だよう。もうすぐでお試し期間も終わるから、その時にたくさん補給させてね。』

「フフ、唯先輩らしいなあ、マナーモードにしてて気づかないのも、最後の一文も」
返信がなかった理由がわかり心のモヤモヤはすっかりどこかに吹き飛んでいた。
「起きてたから大丈夫ってのとおやすみなさいって送っとこ」
数十分前はあんなに送るべきかどうか悩んでいたメール。
「……送信、っと」
二回目は簡単に送ることができた。
「よし、寝よう」
この日の私は数分前の状況からは想像できないくらい、温かな気持ちで眠りにつけた。

数日後、お試し期間終了の日。

「あずにゃーん」
音楽室の扉を開けるなり他の先輩を置き去りにして唯先輩は私に飛びついてきた。
「ちょ、唯先輩。苦しいですよ」
いつも以上に力を込めて抱きしめてくる唯先輩。
少し苦しかったけど、唯先輩の柔らかな感触がとても心地良く、懐かしかった。
「会いたかったよう。あずにゃんは寂しくなかった?」
「べ、別に寂しくなんかなかったです」
「私は寂しかったよう。それじゃああずにゃん、久しぶりに一緒に練習しよう」
「私はいいですけど、勉強しなくていいんですか?」
「大丈夫!」
「一体どこからその自信が出てくるんですか?」
私は確認の意を込めて他の先輩に視線を送った。
「まあ、唯もこの期間中頑張ってたし、息抜きも必要だろ。私たちも久しぶりに合わせたいし」
「久々に全員集まってるしな」
「それじゃお茶したら練習しましょ」
意気揚々とティータイムを待つ唯先輩に澪先輩は冗談めかして注意した。
「練習するのもいいけど、せっかく勉強したことを忘れないでくれよ。また忘れるようなら、もう一回梓とは会わない期間を設けないとな」
「えっ、そんな」
澪先輩の言葉に真っ先に反応したのは唯先輩、ではなかった。
「あずにゃん?」
「え?」
「お?」
「あらあら」
「あ……。えっと……」
そこには唯先輩より先に声をあげてしまい、先輩たちの視線を一身に受ける私がいた。


おわり


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最終更新:2010年03月27日 13:46