彼女のことを可愛いと思う一瞬がある。
私の方が、年下なのに。

――***

「あーずにゃん!」

部室に入り荷物を置いたのと同時に、背中への衝撃。
抱きつかれた拍子に頬に触れた茶色がかった髪から
微かに甘い、クリームのような香りが届き、私の鼻腔を擽った。

「……唯先輩。先にケーキ食べましたね」
「えっ。何で分かったの」

ぱっと私から手を離し、驚いたように目を瞬かせながら先輩は言う。

「でもでも、全部じゃないよ? ちょっと味見しただけ!」

唯先輩の肩越しにムギ先輩へ視線を向けると
彼女はポットを手にしたまま「本当よ?」と笑った。

「みんなが来てからお茶にしようって言ってたんだけど、ちょっとだけ、ってね」
「だって今日のケーキ、いつもよりクリームたっぷりだったから、つい……」

ムギ先輩の言葉に、彼女は照れたように頬をかく。
その仕草を見ていたら、何故だろう。
胸の奥に感じる、ちりちりとした鈍い痛み。

「ほら、これだよこれ!」

私の腕を掴んでテーブルの方へと足を進める。
その掴まれた一瞬、私の心臓がとくっと速いテンポを刻んだことに先輩は気付かない。
否、気付かなくていい。

ちりちり。

「ね、ね。すごいよね!」

きらきらとした嬉しそうな表情を浮かべ、再びケーキを覗き込む彼女は
まるで宝物を見つけた子どものようで、そんな彼女に思わず笑みが零れてしまう。
仕方ないなあ…なんて。

「あ、今あずにゃん『子どもっぽいなあ』って思ったでしょ!
 むぎちゃーん。あずにゃんがいじめるよお……」

いつの間にか、彼女はムギ先輩の隣に移動していて
私を指差しながらムギ先輩に泣きついている。

ちりちり。

ちりちり。

イライラ。


―――イライラ?


なにそれ、意味分からない。まさか、そんな。
一瞬浮かんだその感情に何かしらの理由を付けようと
次々と言葉が浮かんでは消えて行く。

誰が、誰に、何に?

私の視線の先、唯先輩とムギ先輩。
唯先輩はムギ先輩の腰に手を回して、ムギ先輩はそんな唯先輩の頭を撫でている。
いつもの軽音部の珍しくない光景。

それなのに、私は。

「あーずにゃん!」

―――どうしたの、ぼーっとして。

後ろから不意に抱きしめられて、思わず裏返った声を上げてしまった。
恥ずかしさで顔を伏せる私に、彼女は何を思ったか自分の掌をぴたりと私の額に当てる。
普段温かい彼女の手が、どうしてだろう。ひどくひんやりとしていて気持ちがいい。

「顔、赤いよ。もしかして具合悪いの?」
「ちっ、違います!」

肩越しに覗き込まれて、唯先輩の声がすぐ耳元で聞こえる。
さっき腕を掴まれた時とは比べ物にならないほど速く、自分でもはっきりと
分かるほどリズミカルに鼓動を刻む心臓に、唯先輩には気付かれたくないなんて
よく分からない考えがぐるぐると頭の中を駆け巡る。

ああそうか。
きっと、私は。

「本当に? ならよかった」

私は、彼女に。




安心した、と笑って私から離れようとする彼女に
もう少しそのままでいてくださいとは、言えなかった。










抱きしめたあずにゃんの顔が、後ろからでも分かるほど真っ赤になっていて
当の本人は俯いたまま何も言わなかったから、てっきり具合でも悪いのかと思って
彼女のおでこに手を当てた。うん、熱はない。

「きっと、あずにゃんの顔があったかいから、そう感じるだけだよ」

振り返った彼女に慌ててそう答えたけれど、心臓は未だに
いつもより少しだけ早いリズムを打ち続ける。

あずにゃん相手に緊張しているのか、私は。

らしくない。

らしくないとか考えている自分がらしくない。

「別に具合が悪いわけじゃないです。大丈夫です」
「本当に? ならよかった」

肩に回していた腕を解いてあずにゃんから少しだけ距離を置く。
あずにゃんに触れていた手やお腹の部分に残っていたほわほわとした
温かさが、すっと消えていくことに何となく感じる寂しさ。

本当は、もう少しあのまま。

あのまま、あずにゃんにくっついていたかったなあ―――なんて。

「……あ。律先輩たち、来たんじゃないですか?」

そう言いながらあずにゃんが扉の方へと視線を向ける。
耳をすませば確かに、二人の親友の慌しい声と足音が聞こえてきて
ムギちゃんが「あら本当。じゃあ、お茶入れるわね」と立ち上がった。

「すまん、澪が遅くて遅れた!」
「はぁっ!? 元はと言えば律が真面目に掃除しないから……」

バタバタ、どすん、ばたん、なんて音を立てながら開いた扉から
雪崩れ込むように駆け込んできたりっちゃんと澪ちゃんに
部室の中が一気に、騒がしくて賑やかないつもの軽音部へと変わる。

「とりあえず、お茶にしましょう」

さあ、放課後ティータイム。

今はみんなとのおしゃべりをめいいっぱい楽しんで、それから少しだけ練習しよう。
少しだけですかっ、なんてあずにゃんや澪ちゃんのツッコミが聞こえてきそうだけど
とにかくお茶とケーキを食べないことには、始まらない。



さっきの気持ちは、今は少しだけ置いておこう。


  • つづきは!? -- (名無しさん) 2012-10-31 20:11:38
  • 続きお願いします。 -- (あずにゃんラブ) 2013-01-17 18:05:52
  • 続きキボンヌ -- (名無しさん) 2014-10-08 12:51:28
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最終更新:2010年08月18日 04:23