「えっとー。一番最初がWhoだから……誰? あ、かんけーだいめーし?」
そうだ、関係代名詞。前に澪ちゃんに教えてもらった。
うん、そうそう。これは正解の気がする!
「答え、答えー……あ、あってたー」
思わず、よしっと呟いて赤ペンで大きく丸をつける。
向かいにいたムギちゃんが小さく拍手をしてくれた。
嬉しいけど、なんか恥ずかしい。
「唯もかなりできるようになったなー」
「澪ちゃんとムギちゃんの教え方が上手だからだよー」
「……にしても、あれだな。なんか、梓に悪い事しちゃってるよな」
りっちゃんの言葉に、澪ちゃんが、そっと背後のソファを振り返る。
そこに
あずにゃんの姿はない。気にしなくて良いとは言ったけれど
それでもやっぱり真面目な彼女のこと、先輩たちの邪魔は出来ませんと
いつからか、あまり部室に寄り付かなくなっていた。たまに顔を出しても
「明日テストがあるんです」と言って単語帳を見ていたり。
もちろん、それが嘘であることは憂に聞けばすぐにわかることなのだけど。
「あずにゃんかー…」
「ん? どうした唯」
「んーん。なんでもない」
私の返事にりっちゃんは特に気にした風もなく、参考書に視線を落とす。
澪ちゃんとムギちゃんもそれぞれの勉強へ意識を戻す中、私はソファから
視線をそらすことができなかった。
なんか、いやだ。
あずにゃんの姿が見えないだけで、身体が寒いような、ぽっかり穴が開いたような。
そんな『なにかが足りない感じ』がどうしようもない寂しさを連れて来る。
あずにゃんに触れたい。
自分でも、時々過多じゃなかと思うことがあるスキンシップを
口で言うほどあずにゃんが嫌がっていないのはわかってたから
それをいいことに抱きついて、頬擦りして、手を繋いで。
それが、ほんのちょっと前まで当たり前の日常だったのに。
あずにゃんって名前を呼んで
あずにゃんって抱きついて
あずにゃんとギター弾いて
あずにゃんとお茶飲んで
あずにゃんと一緒に帰って
あずにゃんと―――
「唯?」
だめだ。
もう、限界だ。
「おい唯、どうした?」
「唯ちゃん?」
ぽかんと口をあけて、突然立ち上がった私に訝し気な視線を向ける3人に
「ごめん」と小さく謝罪の言葉を口にする。そうして私は近くにあった
自分の鞄を掴んで、音楽室を出た。
扉を閉める直前、りっちゃんがなにか叫んだ気がしたけれど、振り返らなかった。
―――***
さっきまで燃えるようなオレンジ色に染められていた空は
今では深い蒼色に変わり、遠くには幾つかの星。
その中でもとびきりの輝きを放つ一番星を見上げながら
私は、中庭に立つ銅像の前で息を切らせていた。
「やっぱりもう帰っちゃったかなあ……」
あずにゃんが2年生の教室にいないことを確認してから
職員室や図書館へ行ったり、一応、校庭や体育館なんかも
探したけれど、結局、あずにゃんを見つけることはできなかった。
真っ直ぐに彼女の下駄箱を見に行けばよかったのだけど
なぜだか私は、彼女がまだ校内にいる気がしていた。
そこに深い理由も根拠もない。ただ、なんとなくそう思っただけ。
「もう、帰ろうかなあ」
あずにゃんがいないのなら、仕方ない。
鞄も持ってきているし、今から戻って勉強する気にもなれない。
第一、あの3人になんと言い訳すればいいのか思いつかない。
「そうだ帰ろう、帰ろうかえろーっ」
自分たちの曲のワンフレーズの替え歌を心の中で歌って
私は足元に置いていた鞄に手を伸ばそうとして―――――とめた。
「先輩!」
今、聞こえた。
「ちょっ、こんな寒い中で何してるんですか!」
聞き間違いでも、見間違いでもない。
反射的に顔を上げた私の視線の先、ほんの数メートルの場所。
携帯電話を片手に、驚いたような、怒っているような、それでいて
どこか嬉しそうな―――というのは自惚れか―――表情で立っている。
「あず、にゃん?」
彼女の顔を見た途端、私の中でなにかがぷつりと音を立てて切れた気がした。
鞄をそのままに、私は彼女に駆け寄る。さっきまで散々走り回っていたけど
不思議と疲れはない。ただそこにあるのは逸る気持ち。
早く、彼女に触れたい。
あと少し。
あと一歩踏み出して、彼女に手を伸ばせば。
「あずにゃん!」
「うわっ!」
飛びついた反動で大きくよろめき、後ろに倒れそうになった
あずにゃんを、めいいっぱいの力で抱きしめて支える。
久々のあずにゃんの身体は温かくて、けれども
その頬はひんやりとしてほんのり赤に染まっていた。
「あずにゃん、あったかいねー」
「先輩が冷たいんです。身体、冷えてるじゃないですか」
「へへへー」
だって、ずっとあずにゃんを探していたから。
言葉の代わりに、私は鼻から思い切り息を吸い込んだ。
鼻腔をくすぐる甘い匂いに心地よさを感じながら
私は、あずにゃんの耳元に唇を寄せて言葉を紡ぐ。
それはいちばん伝えたかった言葉。
―――会いたかった。
- これも良いなあ -- (名無しさん) 2018-05-29 01:13:01
最終更新:2010年09月16日 14:05