目が覚めて最初に気づいたのは、
自分の体が動かなくなっていることだった。
(え!? うそ、なに!?)
胸中で叫びながら、私は自分の手足を動かそうとした。
でも、頭は完全に起きているのに、体はぴくりとも反応せず、
声を出すことすらできなかった。
視線も動かせず、目に映るのは、夜の薄暗い部屋、その天井だけだった。
……そしてその天井は、自分の部屋のものとは違っていた。
(な、なんなの……?)
今いるのが自分の部屋でないことに気づいて、私は恐怖を覚えた。
夜、確かに自分の部屋で寝たはずなのに……
目が覚めたら別の部屋にいて、体も動かせなくなっている。
声すら出せず、私の心中が恐怖でいっぱいになりかけたとき、
(……え?)
温かい感触が、私の体を包み込んだ。
覚えのある、人の肌の温もり。
すぐにある人の名前が頭の中に浮かんだ。
(……唯先輩)
それに答えるように、
「むにゃ……わぁ……アイス、いっぱぃ……」
唯先輩の声がすぐ側で聞こえた。
いつも以上に間延びし、はっきりしない調子から、
それが寝言であることにすぐに気づいた。
私のすぐ横に唯先輩が寝ていて、そして私に抱きついてきている。
唯先輩の温もりが私の体を温めてくれて、
のんきな寝言にくすりと笑ってしまい……
気がつけば、さっきまでの恐怖はもう消えていた。
(唯先輩……)
その名前を胸中で呟いて……
落ち着きを取り戻した私は、
改めてなにがどうなっているのかを考え始めた。
隣で寝ている唯先輩、そして見える範囲での部屋の様子から……
どうやら、ここは唯先輩の部屋であるようだ。
でもなんで、私はここで寝ているのだろう?
確かに自分の部屋で寝たはずなのに。
夢遊病という単語が思い浮かんだけれど、
いくらなんでも唯先輩の家にまで来てしまうとは思えなかった。
第一、鍵のかかった家に入り込めるはずもない。
体が動かせないのも謎だった。
金縛りにしては意識がはっきりしすぎていた。
……考え始めたはいいけれど、
結局なにがどうなっているのかはまるでわからなかった。
(なんなんだろう、ほんとに……)
あきらめにため息をつきかけた私の体を、
「ぅん~、ギー太ぁ……」
(……え!?)
そんな寝言とともに、唯先輩が強く抱きしめてきた。
腕が私の体の表面を撫で、くすぐったさに悲鳴を上げかけ……
鳴り響いた弦の音に、私は息をのんだ。
唯先輩の動きにあわせて鳴った音……
それは私の体から鳴ったように聞こえたのだ。
(え……うそ……まさか……)
あり得ない考えが私の胸中に浮かぶ。
思い浮かんだ先ですぐ否定する。
あり得ない。いくらなんでも非現実的すぎる。でも……
そんな私の想像を後押しするように、
「ギー太ぁ……愛してるぅ……」
唯先輩の寝言が、また聞こえた。
私を抱きしめる腕がまた強まり、
そしてまた弦の鳴る音が聞こえる……
私の体から、その音は確かに聞こえた。
間違いなかった。私は今……ギー太になっていた。
自分の状態に気づいてから、どれぐらいの時間がたったのだろう……
変わらない天井を見つめながら、
私はもう何度目になるかわからないため息をついた。
もちろん今はギー太なので、ため息はあくまで胸中で。
唯先輩は深く寝入ってしまったのか、今聞こえるのは寝息だけだった。
抱きついた姿勢はそのままで、吐息が私の肌をくすぐっていた。
(……私のじゃなくて、ギー太の、だよね……)
吐息が撫でるのは私じゃなくてギー太の表面。
唯先輩が抱きしめているのも私じゃなくてギー太。
そう、唯先輩の横で、唯先輩の温もりに包まれているのは、
私じゃなくてギー太だった。
私の体ごとギー太になってしまったのか、私の心がギー太に宿ったのか、
どちらかはわからないけれど……どちらにしても、
私自身が唯先輩に抱きしめられているわけではないことだけは確かだった。
(ほんとに、いつもいっつもギー太ギー太って……
いくら大切にしているっていっても、これはやりすぎです!)
学校でもギー太ギー太って言って、抱きしめたり話しかけたりして、
その上家ではほんとに一緒に寝ているなんて……
なぜか胸がムカムカして、私は胸中で文句を言っていた。
と、いつか唯先輩に言われたことが思い出されて……
かーっと頬が熱くなったような感覚を覚えた。
もし今自分の体だったら、私の顔はきっと真っ赤になっていたことだろう。
(ヤ、ヤキモチなんかじゃないもん!)
胸の中でそう怒鳴る。
でも、今抱かれているのが私自身でなく、
ギー太であることを面白く思っていないのは事実だった。
胸はムカムカしたままで、イライラまで募ってきて……
(……ち、違うんだから……)
続けた呟きは、自分でもわかるほど力のないものだった。
(……いつまで私、ギー太なんだろう……)
早くもとに戻りたいと思った。
こうしてギー太として抱かれているのがひどく嫌だった。
ムカムカとイライラを発散したくても、体も動かせず声も出せない。
ムカムカとイライラは体の中にたまっていく一方で、
今にも破裂しそうで……なぜだか泣きそうにまでなってきてしまう。
もし朝までこのままだったら……朝になってももとに戻れなかったら、
きっと自分は耐えられない……
「んぅ……あず、にゃん……」
(え……唯先輩……?)
暗く沈みかけた私の耳に、唯先輩の声が聞こえてきた。
唯先輩の寝言が、私の名前が聞こえてきた。
「あずにゃん……だ~い好き、だから……あずにゃ……」
緩んでいた唯先輩の腕が、また強くなった。
寝言と一緒に、ぎゅっと私を抱きしめてくれた。
寝言で呟いたのは私の名前。
そして抱きしめてくれたのは……私だった。
体はギー太になっているけれど、その中にいる私を、
確かに唯先輩は抱きしめてくれた。
私にはそう思えた。
「あず……にゃぁん……」
声と一緒に、吐息が私の肌を撫でた。
くすぐったい感触に笑いをこらえ……
気がつけば、もうムカムカもイライラも消えていた。
(もうっ……ほんとに唯先輩はしょうがないんですから……)
ギー太ギー太って言ったかと思ったら、
今度はあずにゃんあずにゃんって……
唯先輩の「好き」は多すぎる。
だからいつも私は、私は……
(……して、……やいちゃうんですからね……)
気持ちが落ち着いたせいか、
いつの間にか私の意識は寝入り端のようにぼやけていて……
(ほんと……しちゃうんですから……)
そう呟きながら、私の意識は闇に沈んでいった……。
目を開けると、自分の部屋の天井が見えた。
カーテンの隙間から入り込む朝日に照らされて、
自分の部屋がはっきりと見えた。
無言で体を起こす。
なんの抵抗もなく、当たり前のように私の体は動いていた。
顔を下に向ければ、昨夜着た寝間着に包まれた、見慣れた私の体が見えた。
「……夢?」
声に出して呟いた。そう考えるのが自然だった。
ギー太になって唯先輩に抱きしめられる夢を見ただけ。
間違っても、ギー太への……が募ったあまり、
昨夜自分がギー太になってしまったなんてことはあるはずがなかった。
そんな非現実的なことが、実際に起こるわけがない。
「でも……」
体に残る、微かな温もり……
布団によるものとは違う、
私を安心させてくれるような温かさがまだ残っているように思えて、
それは……
「にゃ!?」
と、突然携帯電話のベルが鳴って、私は驚きに声を上げていた。
乱れる心臓の鼓動を押さえながら、携帯電話を手に取ると、
「……唯先輩?」
携帯を鳴らしたのは、唯先輩からのメールだった。
メールを開くと、短くこう書かれていた。
『昨日、あずにゃんの夢見たよぉ♪
なんか朝からしあわせぇ(ハート×3)』
メールの文面に、私はくすりと笑った。
なんとなく、私負けてないと思った。
なににかは、まぁともかくとして……
「もうっ、ほんとに唯先輩は……」
苦笑しながら、私もメールの返事を打った。
「私も、唯先輩の夢を見ましたよ……」
そう呟きながら、でも送ったメールの文章は……
『朝から変なメールよこさないでください!!』
……だった。
END
- あずにゃんのツンデレ加減がよかった!ハァハァするゼ -- (とある学生の百合信者) 2011-03-08 16:38:41
- 鈍感! -- (あずにゃんラブ) 2012-12-29 23:55:42
最終更新:2010年10月12日 03:59