「ゆぅ…みんなはやくでてきてね!」
まりさは精一杯の大声で自分の家に住む仲間達を呼んだ。
しかしその声は山々に吸い込まれていき、何の返事も返さなかった。
辺りは木の生い茂る森の中でまだ昼前だというのに薄暗く、それがまりさの恐怖心を煽った。
「ゆうう…どおしよう…こわいよ…
ゆっくりできない…
おねえざん…おばざん…お゛じざん…だずげで…」
もうまりさは耐え切れなくなり目を潤ませて辺りを何度も見回す。
「も゛う゛お゛に゛い゛ざんでぼいいがらだずげでえええええええ!!!」
まりさは遂に泣き出してさっきの大声と違い限りなく悲痛な叫びをあげた。
「…そろそろいいかな」
僕はこっそりまりさを覗いていた茂みから出てまりさの方へ手を振った。
「やあ、随分と怯えて泣いてたみたいじゃないか
迷子の迷子のまりさちゃん」
僕の姿に気付くとまりさは満面の笑みで駆け寄ろうとし、慌ててかぶりを振って涙を振り払うと
ぷくぷくと頬を膨らませながら言った。
「まりさないてないよ!ぷんぷん!おにいさんがはぐれちゃったからまりささがしてただけだよ!」
「そうかそうか」
随分な言い様だが腹は立たなかった。
まりさの目の周りがまだ涙の跡を残して腫れぼったくなっていた。
「それにしてもさ、まりさ」
「ゆ?なあにおにいさん?」
安心したのかほっとした表情を慌ててまりさなりにきりっとした表情にしながら僕の足元にまで来た。
「山なんて降っていけば絶対迷う訳無いと思ってたんだけどそうでもないんだよな」
「ゆゆ?だからなんなのおにいさん?ほんだいをはなしてね!」
話の要領がつかめずまりさは苛立ちながら僕に問い詰めた。
「いやまあそんな怒らないでくれよ」
僕は手をまりさの方にかざしてなだめた。
「迷子同士力をあわせて頑張って帰り道を探そうなって言おうと思っただけだから」
その瞬間、山の中に僕らが立ち入る前の静寂が戻った。
「どお゛い゛うごどおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
そして数瞬後、再び山の静寂を打ち砕く、これまでで一番憐れっぽくて悲痛なまりさの悲鳴が木霊した。
人間こういう時に図星の図星を指摘されると逆に腹も立たないもんだなと感心しつつ
僕はまりさを見てカラカラと笑った。
「お゛に゛い゛ざんのばがあああああああ!どぼぢでお゛に゛い゛ざんばでま゛いごな゛っぢゃうのおおおおおお!?」
「ミイラ取りがミイラって奴だねうん、面目ない」
僕は片手を立てて謝罪の意を示した。
「まあこうなったら行くしか無いだろ、どっかの道に出れば帰れるし」
そうあっけんからんに言い放つ。
要するにヤケ糞気味なのである。
「ゆう…おにいさんをしんじたまりさがばかだったよ…」
もうこの世の終わりでも来るのかというくらい俯いてまりさは呻いた。
信じてたかなぁ、と首を傾げつつ僕は一歩踏み出した。
「ゆぅ、おにいさん!いつになったらもといたところにもどれるの!?
ちゃんとしてね!まりさもうおうちかえる!!」
「あーうんごめんごめん」
普段は一々苛立たされるまりさの愚痴も、この状況ではいっそ腹も立たない。
自分に呆れていたところなのでむしろ調度いいくらいだ。
「やっぱ一人で行くんじゃなかったなぁ…」
こんなことになったのかを説明すると原因は一時間ほど遡る。
僕ら一家は秋の行楽に山登り来ていた。
父は急に仕事が入ったので残念ながら僕と母と妹の三人とペットのまりさで登ることになった。
この面子だと母はリーダーシップをとるのは苦手だし妹も小学生だしでどうしても僕が舵取りをすることになる。
そして僕もそれなりにいい気になってリーダー気分を味わっていた。
「あれ、まりさは?」
最初にまりさが居ないことに気付いたのは妹だった。
「あ、あら
ほんとにいないわね…どこに行ったのかしら…?
困ったわぁ」
一向は来た道を戻りながら母はおろおろとしながら辺りを探し回り妹もその辺を探し回る。
僕はその場に立ったまま、腕組みをしてあたりを見回した。
「なるほどね、そういうことか」
ふふん、と鼻で笑うと指パッチンをして母と妹の視線を集め言った。
「謎は、すべて解けた」
「ど、どういうこと兄貴!?」
妹が驚愕の表情で僕に言った。
「松ぼっくりだよ」
「松ぼっくり?」
僕の言葉に母はきょとんとして首を傾げた。
一方の妹ははっとしたように地面を見回した。
「そっか、そういうことね!」
「どういうこと?」
パンと手を叩いて僕の顔を見つめる妹と未だに首を傾げたままの母に
僕は山道の両側に広がる森の一角を指差しして言った。
その一角にだけ他の場所にはたくさん落ちている松ぼっくりが無くなっていた。
「まりさはここで松ぼっくりを拾って森の中に入っていったんだ
見てみなよ、ここの草も今しがた誰かに踏まれたみたいに倒れている
多分ここを通って森の奥へと入っていったんだ」
僕の推理を聞いて母は困ったようにあらあらと口に手を当てた。
「どうしましょうか、ここで戻ってくるのを待つ?」
「いや、多分まりさの事だからもう森の中で迷ってるんじゃないかな
ゆっくりにとっては広くて仕方ないだろうし
僕がちょっと行って連れ戻してくるよ」
「頑張ってね兄貴!」
「おう!」
拳を天に向かって振り上げて僕を応援した妹とは逆に
それを聞いた母はかぶりを振って言った。
「駄目よ、あなたまで迷ったら…」
「大丈夫だよ、まりさもそんなに奥には行って無いだろうし痕跡もたくさん残ってるからすぐ戻ってこれるって
先に頂上に行って待っててよ、すぐ追いつくから」
そう言って心配する母を尻目に僕は森の方へと向くとシュッと片手を振りかざして森の中へと入っていった。
もしタイムマシンでこの時に戻れるなら僕に「調子に乗るな」と言ってぶん殴りたい。
本当にいい気になっていた。
電車の中で読んでいた推理小説が思いのほか面白くて気持ちが高揚してたのがあるかもしれない。
しかし妹も今になって考えると明らかに僕のことをノせてまりさを探してこさせようと動いているように思える。
完全にしてやられてしまった。
そんなこんなで今に至るわけである。
「せめて携帯が繋がればなぁ…」
未練がましく携帯を弄りながら僕は言った。
山の中は完全に圏外だった。
「ぷんぷん!ほんとにおにいさんはやくにたたないよ!
ほんとなんなの?ばかなの?しぬの?」
まりさはこちらを見上げて頬を膨らませながら口を尖らせた。
「そうだな返す言葉も無いな
ほんとこのまま行くと山の中でお前と仲良く飢え死にだな」
「い゛や゛あああああああああああああああああ!!!
ま゛り゛ざまだぢに゛だぐないよおおおおおお!!!
ゆ゛っぐりぢだい!ゆ゛っぐりぢだいいいい!!」
僕のことを罵倒して紛らわしていた迷子であることの不安感を
僕が言った『飢え死に』という単語で思い出してしまったのか
その場でゴロゴロ転がりだして呻いている。
僕はそれに見向きもせずに歩きながら言った。
「無駄に体力使うと死期が早まるぞ」
「ゆ゛っばあああああああああ!!!」
まりさは仰向けに寝転がって空を見上げながら絶叫した。
そんなこともあってかすっかり萎れて陰鬱な表情で俯きながら僕の後ろを付いてくるだけになったまりさのおかげで
僕は順調に歩みを進めて山の秘境の奥へ奥へと意に反して進んでいった。
「…ふう」
三十分ほど歩き回って僕はその辺にあった石に腰掛けた。
「おにいさん?なんでとまるの?まだぜんぜんおやまからでれてないよ?」
まりさが達観した表情の僕を見て不安と違和感を混ぜこぜにした表情で見つめながら尋ねた。
「短い人生だったなぁ」
「ま゛だあぎらめぢゃだめ゛えええええええええええ!!!」
すっかり疲れ果てた僕の姿にまりさは大慌ててで僕の周りを跳ねながら
何とか僕にやる気を出させようとしていた。
どう考えてもゆっくり一匹でここから帰るのは無理だろうから当然の行動だろう。
「とりあえず口から松ぼっくり吐き出すのやめろよ気持ち悪いだけでやる気とか出ないから」
「ま゛り゛ざのだがら゛ものにどぼぢでぞんなひどいごどいうのおおおおおおおおお!?」
べとべとの粘液まみれになった松ぼっくりを舌の上に乗せながらまりさが信じられないという面持ちで泣き叫んだ。
慌てふためくまりさを見て心を落ち着けながら真面目にどうしたものかと思案していると
茂みがガサガサと動いているのに気が付く。
風か何かによるものではない、明らかに何かが潜んでいる。
この期に及んで獣とかに襲われればもう本当に生還の目は無い。
流石に慄きながら息を呑んで立ち上がりながら茂みの方を凝視する。
神妙な雰囲気に気付いたのかまりさも黙って僕と同じ方向を見た。
そのままの体勢でとても長い時間が過ぎたように感じた。
ついに茂みの動きが一際激しくなり僕は逃げ出すか否かを思案した。
そして逃げ出そうと決めたとき、ついに茂みの中からそれは出現した。
「ゆっくりしていってね!」
茂みから出てきたのは、一匹のゆっくりれいむだった。
「ゆ?ゆっくりしていってね!」
「え…はあ、どうもこんにちは」
本能的に元気良く返事をするまりさとは別に
僕は予想外の展開にしどろもどろになった。
そしてはたと気付き、親愛の挨拶に頬をすり合わせていたまりさを押しのけて尋ねる。
「あ、君の飼い主はこの辺に居たりするのかな?」
このゆっくりの飼い主の所に連れて行ってもらえばその人に道を聞いて帰ることが出来るに違いない。
そう考えて僕は目の色を変えてそのれいむに詰め寄った。
「おにいさんなにするの!まりさはれいむとゆっくりすりすりしてたんだからじゃましなぶえぇ!?」
「山から帰れるか帰れないかの瀬戸際だから黙っててくれ」
僕は不平を漏らすまりさの口の中にありったけの松ぼっくりを拾って詰め込んだ。
「ゆ?かんぬし?れいむかんぬしじゃないよ!れいむはれいむだよ!」
「いや神主じゃなくて、君のご主人が…」
話の要領を得ずに僕は頭をかきむしった。
「ゆ?れいむのだーりんはまだいないけどきっととってもゆっくりしたれいむなんだよ!
このまえゆめのなかでしろいうーぱっくにのってくるのをみたの!」
「あーもーちーがーうー!」
僕は自慢げに伴侶のことを話し出したれいむに対して頭を抱えて仰け反って
ふと、あることに気付いた。
「…ひょっとして君野生のゆっくり?この森に住んでるの?」
「そうだよ!れいむはもりのゆっくりなんだよ!」
指を刺しながら尋ねる僕に対してれいむは胸を張って自分の生まれを答えた。
「そっか…」
僕はガックリして後ろに倒れこんで仰向けに寝転んだ。
これでまた振り出しである。
僕は嘆息した。
「おにいさんどうしたの?おなかいたいの?」
れいむが心配そうに尋ねた。
「いや別に…強いて言うならおなかが空いたかな」
「ゆ、じゃあれいむのむれにきてね!おさぱちゅりーにそうだんしてあげるよ!どう?」
好意的な申し出だが野生のゆっくりの食べ物貰ってもなと思って考え込んでいると
口の中の松ぼっくりを吐き出したまりさが割り込んできて言った。
「もちろんいくよ!すぐにおにいさんをおこすからちょっとまっててね!」
まりさも乗り気だしこのまま寝てても仕方ないと思い僕は体を起こした。
山のさらに奥、といっても既に方向感覚は無いので一般の山道から遠のいたのか
それとも近づいたのかはわからないが、何にせよ幾許か歩いていくと
そのゆっくりれいむの言う集落にたどり着いた。
僕とまりさはその集落を見て思わず感嘆した。
「ゆっくりしていってね!」
窮屈そうな巣穴から壁に頬がこすれて形が変形しているのも気にせずに
顔を出しゆっくりが僕らに向かって挨拶した。
地面に掘られた巣穴の入り口は木の太い根と根の間から覗いておりその下は
木に影響ない程度の小さな空洞になっているのだろうか。
例えるとしたらば恐らくウサギの巣辺りが近いのではないだろうかと思う。
爪も無いのに良く掘ったものだと僕は感心した。
道具でも使ったのだろうか。
相当苦労して掘ったのだろう、僕が巣穴を見ているのに気付くとそのゆっくりは
「すごいでしょ!」
と言って誇らしげに胸、に当たると思われる顎の辺りを張った。
家のまりさでは絶対に途中で根を上げるであろうことは想像するまでも無い。
辺りを見回すとそんな巣穴がいくつか散見される。
僕はここが野生のゆっくりの集落なのだということを実感した。
来客に気付いてそこらかしこから集まってきたゆっくりから次々と
「ゆっくりしていってね!」
と声をかけられて僕は少し気恥ずかしそうに頭を掻いた。
まりさはというと声をかけられるたびに律儀に
「ゆっくりしていってね!」
と返事を返している。
家ではろくに挨拶も出来ないのだが
この挨拶だけは本能レベルで反応してしまうということだろうか。
「あ、おさぱちゅりーがきたよ!」
「おにいさん!おさぱちゅりーにあいさつしてね!」
歓迎ムードに対してどう返したものかと少し困っていると
奥のほうから少し顔に皺のある年老いていそうなゆっくりぱちゅりーが
付き添いにゆっくりありすを従えてのろのろと現れた。
それを見て僕らをここに連れてきたれいむは僕を見上げて挨拶をするように促した。
その表情からは群の長と訪問者である僕らの交流を喜んでいることが見て取れた。
僕も好意にこたえようと思って手を上げて
「あ、どうもこんにち」
「どおぢでに゛んげんざんづれでぎぢゃっだのでい゛ぶのばがああああああああああああ!!!」
口から餡子を飛ばして目玉を剥き出し絶叫する老ぱちゅりーを見て
僕とまりさとれいむはぽかんとその場に固まった。
目を血走らせながら僕のことを睨む老ぱちゅりーに気圧されながらも
このままでは仕方ないので恐る恐る僕は口を開いた。
「えーっと…ひょっとして歓迎されてなかったり…?」
「あだりばえでじょおおおおおお!!
おにいざんはさと゛どばぢゅりーだぢのおやぐぞぐやぶっだんばよおおおおおおおおお!!!」
老ぱちゅりーは怒り狂い、獣のように体をうねらせながら僕に掴みかからんとするぐらいの勢いで言った。
「げごぉ!ごっぼっ!がばぁっ!」
話が飲み込めずに僕が困惑していると、老ぱちゅりーは咳き込んでしまい
隣に居たありすが慌てて老ぱちゅりーの背中を擦った。
そしてありすはすまなそうに僕のことを見上げて言った。
「ごめんなさいね、こんなだけどぱちゅりーもむれのことをしんぱいしていってるの」
「はあ」
僕は生返事をした。
僕が今ひとつ状況を理解できていないのを理解したのかありすは説明を続けた。
「にんげんとゆっくりはかかわりあいにならないほうがゆっくりくらせるのはわかるかしら?」
「ゆ?なにいってるの?にんげんさんがごはんもってこないとゆっくりできないでしょ!
そんなこともわからないの?なんなの?ばかなの?しゆぶぶぶぶぶぶ!?」
「悪いけどこいつの言うことは気にしないで」
僕は近くにあった掘りかけと思われる小さなゆっくり一匹分ほどの深さしかない巣穴に
まりさをねじ込んで上から土をかけてぺたんぺたんと固めるとありすに対して同意を口にした。
「うん、分かるよ
野生動物に人間はなるべく干渉すべきではないとかそういう話でしょ?」
「わかってくれてうれしいわ
おにいさんはとかいはね」
「はあ、どうも」
何だか褒められたようなので僕は一応軽くお辞儀をした。
「それでね、わたしたちはずっとむかしにふもとのさとと
おたがいにかかわりあいにならないためのじょうやくをむすんだの」
「ゆう…そんなのしらないでかってにおにいさんをつれてきちゃったよ…」
れいむは掟を破るのに加担した罪の意識からか目を潤ませて今にも泣き出しそうな表情で言った。
「いいのよれいむ、ずっとにんげんさんがくることもなかったから
わたしたちおとなもそのことをつたえるのをないがしろにしてきたから…
おにいさんはおかあさんやおとうさんからこのことはきいてない?」
れいむを赤ん坊に話しかける母親のように優しい声音で慰めると
ありすは上目遣いに諭すように僕に尋ねた。
「いや、僕は今日はこの山に行楽に来ただけだから
っていうか里?っていうのかな
麓はでかい駅もあって結構大きな町なんだけど」
どうにも疑問を感じて僕はありすに尋ね返した。
「ゆ?えき?まち?」
聞き覚えの無い単語だったのだろう、ありすは怪訝な顔を浮かべた。
「むきゅう、さととおやくそくをしたのはずっとむかしだから
いまさとがどうなってるのかなんてしらないわよ」
ムスっとした表情で呼吸の落ち着いた老ぱちゅりーが会話に割って入った。
「なにせおやくそくをしたのはぱちゅりーのおばあちゃんのおばあちゃんの
おばあちゃんのおばあちゃんのおばあちゃんのおばあちゃんの…」
「あー要はすごい昔ってことね」
おばあちゃんの、を延々と続けていきそうな老ぱちゅりーを遮って僕は言った。
要は麓の町がまだ畑だらけの牧歌的な里だった頃に不可侵条約を結んで
その後お互いに全く関わらずにやってきたと言うことなのだろう。
その歴史の長さを考えて少し感動する。
「むっきゅー、とにかくちゃんとおやくそくはまもってもらわないとこまるよ!
そこのどんぐりのきの方にずっとまっすぐいけば
さとにかえるみちにたどりつくからとっととでていってね!」
「いやなんか申し訳な…え、マジで?」
さらっと出てきた願っても無い申し出に僕は心中でガッツポーズを取った。
すっかり忘れていたが僕は今絶賛迷子中なのだ。
いくらこの群がずっと町と関わり無く生きてきたと言っても
少なくとも麓に繋がる道の跡くらいは見つかるはずである。
「むきゅぅん…どうしてもかえらないっていうならようしゃは…」
「帰る帰る帰る帰りますよ今すぐにでも」
一触即発の構えで真剣な面持ちで僕に相対した老ぱちゅりーに
僕は乗り気も乗り気、最高のスマイルを浮かべて答えた。
拍子抜けしたのか眉を歪めみょんな表情を浮かべてから
老ぱちゅりーは咳払いをしてから言った。
「そ、それならいいのよ」
「さよならおにいさん…」
名残惜しいのか、それともゴタゴタに巻き込んでしまった罪悪感からか
れいむは悲しそうなニュアンスを多々に含む表情でお別れの挨拶をした。
「ばいばいおにいさん!」
「もうきちゃだめだよ!」
「おうちかえるの?ゆっくりばいばい!」
れいむに続いて次々にお別れを言うゆっくり達を見て
僕は柄にも無くしんみりした気分になった。
万が一にでも泣き出さないうちにこの場を後にしようと思って僕はさっと手を振って言った。
「ごめんな迷惑かけちゃって
さよなら、ゆっくりしててくれよ」
「さよならおにいさん!もうにどとこないでね!
まりさはこのむれでずっとゆっくりするね!」
顔中土まみれになって汚れた見覚えのある黒いのが視界の端に映り
僕はしんみりした気分をぶち壊されて苛立ちながら何を言っているんだこいつはと半眼でうめいた。
「ん…えーっと、ここに残る気なの、お前」
僕はうんざりした気分でまりさに尋ねた。
「ゆっくりできないおにいさんのせいでいままでゆっくりできなかったけど
ここならきっとゆっくりできるよ!
だからゆっくりできないおにいさんはとっととでていってね!!」
何やら野生のゆっくり達のゆっくりさに感銘を受けたらしく
物凄くいい笑顔でそう言ってのけるまりさをジト目で見つめた後
僕は野生のゆっくり達の方を振り向いて尋ねた。
「いいの、これ?」
「ゆ、ゆー…まあおなじゆっくりだからいい…のよねおさぱちゅりー?」
「むきゅう、とくにこばむりゆうはないけど…」
独断で勝手に群への加入を決めたまりさの態度に困惑しつつも
一応野生のゆっくり達は受け入れる姿勢を示しているようだ。
「そっか…なら僕から言うことはないよ」
そう言って僕はきびすを返し、まりさを置いて帰路についた。
「さよならおにいさん!もうにどとまりさのゆっくりぷれいすにあしをふみいれないでね!」
まりさのふてぶてしいどころではない言い草に
複雑な表情を浮かべる周りのゆっくり達が印象的だった。
そのまま僕は老ぱちゅりーに言われたとおりに進み
と見せかけてしゃがみ込んで背を丸めて近くの茂みに隠れて群の方を覗き見た。
正直、今後まりさがこの群に適応できるのかどうかは興味深く感じた。
あのペット生活でたるみにたるみきったまりさが野生で生きていけるのか
予想通りに失敗して泣いて帰ってくるのか
それともここの生活で野生の本能が目覚めてうまくやっていくのか。
僕は息を潜めて様子を見た。
「まりさもゆっくりするからみんなもゆっくりしていってね!」
「ゆっくりしていってね!」
「むきゅ、そうね
あなたもさいしょはなれなくてたいへんだとおもうけどゆっくりしていってね!」
「とかいはとしてかんげいするわ、ゆっくりしていってね!」
何はともあれとりあえず再び挨拶をして場を仕切りなおした。
「えーっとそれじゃこれからまりさがどうせいかつするかを話し合おうとおもうんだけど…」
挨拶を終えてから、まりさはでっぷりと口元に笑みを浮かべて動かず
他の誰も話し始めないので仕方なさそうにありすが口を開いた。
巣のことや、餌のとり方を学ぶなどやるべきことは山ほどあるだろう。
まりさにそれらのことをちゃんと向き合い解決することが出来るだろうかといぶかしみ
僕は顎を撫で息を呑んだ。
「ゆ?なにいってるの?
そんなことよりまりさおなかすいたからごはんちょうだいね!」
ありすの言ったことの意味を全く理解できなかったのか
まりさは頬を膨らましながらありすにそう言った。
他のゆっくり達はあからさまに厭そうに眉根を顰めたが
腹が減っていては話も進まないだろうと思い直したのか
老ぱちゅりーがれいむに言って食べ物を分けてやるように言い
れいむも気を取り直していい笑顔で承諾すると巣に食べ物を取りに行った。
「ゆっくりまってるよ!」
なんだか釈然としてなさそうな表情のありすと老ぱちゅりーを尻目に
まりさは元気にれいむを見送った。
まりさ以外気まずい空気に悶々とする中、時間だけは流れていった。
「ゆっくりもってきたよ!」
頬袋を軽く膨らませたれいむが跳ねながら戻ってくるのを見て
その場にいた全員がぱっと表情を明るくした。
まりさは食べ物がやってきたことに
それ以外の者はこの空気から開放されることにだ。
「ちょっとゆっくりしすぎだよれいむ!
もうまりさおなかぺこぺこだよ!」
老ぱちゅりーとありすはまりさの言動にピクリと体を震わせた。
笑顔を微妙にヒクつかせているのが茂みの奥からでも見て取れた。
そんな周りの空気は気にしないのかそれとも気付いていないのか
れいむは快く頬袋に入れていたどんぐりを口の中から何個か吐き出し
舌の上に乗せてまりさの目の前に差し出した。
唾液で濡れたどんぐりが木漏れ日を受けて照り返した。
「ゆ!これをくれるの?ありがとうれいむ!」
「ゆゆ!まりさがよろこんでくれてれいむもうれしいよ!」
そう言ってれいむとまりさは頬をすり合わせ始めた。
気持ちよさそうに目を細め二匹は顔を赤らめた。
むちむちとやわらかそうな饅頭皮がこすれあいくっつきあった頬が変形した。
その微笑ましい光景にありすと老ぱちゅりーもやっと表情を緩めた。
僕も前途多難とはいえこうやって馴染んでいけば何とか成るかな等と思い始めた。
「で、どんぐりはいいからはやくごはんをちょうだいね!」
ほお擦りをやめてまりさは真面目な顔でそう言った。
動き出そうとしていたその場の空気が再び凍りついた。
「ゆ?だかられいむのどんぐりさんを…」
「そんなのたべられるわけないでしょ!
ばかなこといってないではやくたべものちょうだいね!」
そういってまりさはれいむからもらったどんぐりを地面に置いてぷんぷんと怒り出した。
「ど、どぼぢでぞんなごどいうのおおおおおおおおお!?
ぜっがぐどんぐりざんだべざぜであげようどおぼっだのにいいいい!!」
せっかくの好意を無為にされてれいむは泣き喚いた。
そして呆れて何も言えずにぽかんと口をあけている老ぱちゅりーの胸に顔を埋めた。
そういえば木の実とかよく集めるんだが大事に保管するだけで
食べてるのは見たこと無いな、と思い出して僕は苦笑した。
まあもとよりまりさは毎度食事の時には一言二言文句を言う偏食なので
こうなるのは目に見えていたといってしまえばそうだが、やはり呆れざるを得ない。
「ゆ…まりさ!いまのたいどはとかいはとしてみとがめたわよ!
れいむにゆっくりあやまってね!」
義憤にかられたありすが頭から湯気が出そうなほど顔を真っ赤にして怒りながらまりさに詰め寄る。
「ゆー!まりさはおなかぺこぺこなのにれいむがごはんもってきてくれないのがわるいんだよ!」
「だからどんぐりさんをもってきだでしょ!!」
「どんぐりさんをたべれるわけないでしょ!!」
生活環境が致命的なほどに違う二匹は鼻がくっつくほど顔を突き合わせて平行線のまま言い争った。
「ゆー!どんぐりさんをたべるなんてなんなの?ばかなの?
あんなものたべるなんてほんとにとかいはなの?」
「ゆゆ!?あ、ありすはとかいはよ!!」
都会派というのは正直良く分からなかったのだがどうもありすにとっては譲れない部分らしい。
その点に疑いをかけられたありすは口を歪め、烈火のごとく怒り狂った。
「じゃあけーきさんたべたことあるの!?」
そんなありすに物怖じせずにまりさは聞いた。
「ゆ?け、けーき?
ももももちろんしってるわ!」
慌てながら言うその姿を見れば恐らくケーキのことなど知らないのはすぐにわかった。
まあずっと人間と関わらずに生きてきたのだからケーキなんぞ知らなくて当然だ。
まりさも多分以前妹に分けてもらった時以外は食べたことは無いだろう。
しかしなんだか論点が一気にずれて来てるなあの二匹はと思い僕は嘆息した。
「じゃあけーきさんがどんなのかいってみてね!」
まりさはぷんぷんと怒りながらさらにありすに詰め寄った。
「ゆ…その…ほろにがくって」
「ぷっぷー♪」
ありすは額に汗を浮かべながらしどろもどろに言った。
それを聞いてまりさは目を細め、口をすぼめて噴出した。
跳んだ唾がありすの顔にかかる。
「けーきさんはとぉ~ってもあまいんだょぉ~!
ぜんぜんけーきさんのことしらないんだね!
ぷっぷー♪それでとかいはなんてわらっちゃうよ!
ぷっぷぅ~う♪」
鬼の首を取ったかのようにまりさは捲くし立てた。
まりさが口をすぼめて噴出す度にありすの顔に唾が飛んで
屈辱にありすは唇を見てるこちらが痛くなりそうなほど噛んで体をわなわなと震わせた。
甘みの中にほろ苦さを持つケーキも有るんだが
まあ一般的にケーキといわれるものの特徴としてはハズレている。
僕はなんともいえない気分で腕を組んだ。
「あ、ありすはとかっ、とか…」
可愛そうな位顔面を蒼白にして震えながらありすは何かを言おうとした。
「なーにけーきさんもたべたことのない『とかいはかっこわらいかっことじさん』
ぷっぷぷぅ~う♪」
「ゆがががあああああああああああああああ!!!」
遂にブチギレたありすが天を仰ぎ獣のごとく咆えた。
「あ゛り゛ずば!あ゛り゛ずばどがい゛は゛よ゛おおおおおおおお!!!」
さっきまでの知的さを感じさせる表情とは一変して
目を血走らせ口からよだれを垂らしたまるで狂犬病の犬みたいな表情でありすはまりさに突っ込もうとした。
「おさえてありすううううううううう!!」
「あんなのあいてにしないでええええ!!」
「いづものありずじゃないいいいいい!!」
「ゆっぐりじようよおおおおおおおお!!」
周りで見ていたゆっくり達が慌ててありすを止めに入る。
普段知的である様子のありすのこんな顔を見せられて
その表情はどこか悲しげだ。
「ぷっぷ~う♪とかいはじゃないやばんなゆっくりはこれだからいやだよ」
自分は絶対安全だとでも思っているのか
まりさはそんなありすの姿を腹の底から笑っていた。
「えっと…むきゅ、いいかしら」
呆然とし続けていた老ぱちゅりーがやっと口を割った。
「ゆ、ぱちゅりーはえらいゆっくりみたいなんだし
ゆっくりしてないであのとかいはをかたるやばんじんをどうにかしてね」
「むきゅう、そのまえにまりさのこんごについてひとこといいたいんだけどいいかしら」
老ぱちゅりーは目を伏せ、神妙な態度でまりさに言った。
「ゆ、おなかがへってしかたないけどひとことくらいならゆるしてあげるよ!」
老ぱちゅりーは発言を許可されたことに礼を言った。
「それじゃあまりさをこれからどうするかなんだけどね…」
そしてゆっくりじっくりとそう言い、次の句を告げずに周りを見た。
一部始終眺めていた険悪な表情の群のゆっくり達が目に入ったことだろう。
「たたきだせー!!!!」
「「「ゆっしゃー!!!!!!」」」
老ぱちゅりーの号令に周りのゆっくり達は歓声を上げ一斉に潰しにかかった。
僕はゆっくり達が持っているはずの無い手でガッツポーズを取るのを幻視した。
「どぼぢでごんなごどずるのおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
大量のゆっくりに押し出されゴロゴロと木の枝や石ころの落ちた地面を痛そうに転がりながらまりさは悲鳴を上げた。
僕はその様子を見て思わず「自業自得だろ」と呻いた。
そして心中でこう繋げた、『ざまあみろ』と。
そうして僕はまりさに気付かれないようにそそくさとその場を後にした。
「ゆう、ひどいめにあったよ…あんなにゆっくりできないゆっくりがいるなんてしんじられないよ…」
僕はまりさの声が聞こえる程度の距離を保ちながら気付かれないよう背を丸めてまりさの先を歩いていた。
「にどとこんなとここないよ!もうおうちかえる!」
そしてまりさはぷんぷんと言った。
そのまま数分このまま歩き続けた。
「ゆ、こっちでいいんだよね…ほんとにこっちにいけばおうちにかえれるんだよね…」
不安そうなまりさの声が後ろから聞こえてきた。
「…おにいさん!さきにこっちにいったんでしょ!でてきてへんじしてね!」
一人で不安だったのか遂に僕のことを呼び出そうとするまりさ。
「ゆー!まりさがよんでるのにどおしてでてこないの!?
ちゃんとでてきてね!」
そう言ってまたまりさはぷんぷんと口で言った。
そんなことを続けながらさらに数分が過ぎていく。
「ゆううううううう!どぼぢででてきてくれないのおおおおお!?
いいかげんにしないとまりさおこるよ!!」
怒っているつもりなのだろうがその声は震えていた。
それでも僕は返事をしない。
遂にまりさは立ち止まった。
そして泣き声をあげながら叫んだ。
「お゛に゛い゛ざんは゛やぐででぎでだずげでよ゛おおおおおおおお!!!
お゛う゛ぢがえりだいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!」
それを聞いて一頻り満足して、そろそろ出て行ってやろうか悩みながら進んでいると
僕はあるものを発見して思わず歓声をあげた。
「これ…道だよな」
寂れて雑草だらけだったが、確かに昔は人が行きかっていたであろう道らしきものが山の麓に向かって伸びていた。
結構坂が急で道も荒れているが充分に踏破可能な程度だ。
僕は喜び勇んでその道を駆け下りた。
足音に気付いたまりさが叫ぶ。
「だれ!?おにいさん?おにいさんなの!?
ゆううううなんでかってにさきにいくの!?
まってね!まってね!まってねぇえええ!!
ま゛っでえ゛ええええええええええええええええええええええええええええええ!!!
お゛い゛でがな゛い゛でよ゛お゛おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
つい走り出してしまったが、泣き喚くまりさの声に流石に置いていくとまずいか
しかしここで置いていけばまりさを始末する千載一遇のチャンスだな
と色々迷いながら後ろを振り向いた。
「ばっでえ゛え゛え゛えええべぶぼばばばばあああああああああ!!!!!!!!」
すると、後ろの方から顔中からありとあらゆる体液を垂れ流しながらゴロゴロと
小石が飛び出してごつごつしている坂を転がっていくまりさが僕を追い抜いていった。
まだ道は長いというのに既に小石にぶつかり頭をへこませ土に皮を擦りきれ枝が突き刺さり
雑草が髪に絡まって凄まじいことになっているまりさの顔が一瞬だけ見えた。
その表情はさながら絶叫マシーンに乗った怖がりのおっさんといったところだろうか。
考えるまでも無く慌てて坂道を転がり始めたら止まれなくなってああなったのだろう。
「おーい、置いてくなよー…」
せめて帽子だけは拾っておいてやろう。
余りの憐れさにそう思って僕は奇跡的に殆ど無事な状態で落ちていたまりさの帽子を拾い上げて
ゆるゆる歩きながら坂を下っていった。
それから数時間後、僕は無事に麓の町に辿り付き
山の探索を始めようとしていた山岳救助隊の人々と
大見得切っておいて思いっきり心配かけた母にしこたま謝った。
そうこうしているうちにあの道を一直線に転がってボロ雑巾のように怪我だらけで
さながら泥団子といった様相で気絶したまりさを妹が発見してやっと帰路についた。
帰り道では怪我をしたまま気絶しているまりさにオレンジジュースをかけながら
妹はしきりに自分も野生のゆっくりを見てみたかったとぼやいていた。
僕はあの野生のゆっくり達の言葉を思い出して、その度にやめておけと言ったのだった。
最終更新:2008年10月17日 13:26