「ドス、たすけ――」
目の前でまた一人、大切な仲間の命が失われた。助けを請う言葉を言いきる間もないままに、そのまりさの上半身は消えてなくなった。
この群れは強い力と深い思慮とを兼ね備えたドスによって率いられていた。
人里には決して近寄らず、森の奥深くにある広大な洞窟に隠れるようにしてコロニーを作り、妖怪や獣達に見つからぬように
細心の注意を払いながら狩をする。
群れの成員はその個性に適した仕事があてがわれる。狩りをする者、育児・教育をする者、怪我人や病人の治療・看護に当たる者。
よく訓練された、兵士といっても良いくらいのゆっくり達もいる。尖った枝で武装し、複数で連携をしてかかれば単体のれみりゃを
撃退することも可能なほどの精鋭達。
食料やすっきりの管理も徹底し、餌不足による餓死を遠ざける。
そうしたおかげで群れのゆっくりは赤ゆも含めれば三桁にも達し、単一の群れとしては幻想郷で他に類を見ないほど、ゆっくりとしての常識を
大きく外れたほどの規模となっていた。
リーダーのドスは幸せだった。平和で豊かな自分の群れ。それを育て、守っている己への誇り。
けれどもそんなものは、あっさりと、あまりにも、バカらしいくらいにあっさりと崩れ去ってしまった。
「やべでどべでやべぼぎゃぶぶ!!」
「じゅっじゅぅ~♪ あまあまとってもおいしいんだどぉ~♪」
「ごろざ、ぶぎゃ! ごろざないでぐだざびべ!?」
「しねッ! ゆっくりッ! ゆっくりしねェェェェエエ――ッッ!?」
生きながらにしてその身に牙を突き立てられ、体内の餡をすすられていくれいむ。
必死の命乞いも空しく、執拗な攻撃の前にゴミ屑のように崩れていくありす。
一体何が悪かったのか。ドスは自問する。一体、自分は何のミスをした。何が問題だったのか。
幻想郷内最大規模のゆっくり群れは、同じく幻想郷内で類を見ぬ程の大きな群れに襲われていた。胴付きのれみりゃとふらん、捕食種の群れに。
捕食種は通常のゆっくりと違い、基本的にあまり群れは作らない。集まったとして精々が三、四匹。群れというより、家族といった程度の規模。
それが、今ドスの群れを襲っているれみりゃ達は違った。その数は十か二十か。いや、もっともっとたくさんいるかもしれない。
わからない。まともに数えている余裕もない。
何なんだ、このバカげた数は。常識的に考えてこんなの、あり得ない話じゃないか。畜生、何でこんなことになってしまった。自分は一体、何が悪かったのか。
群れを守るために必死の抵抗をしながらドスは自問する。
しかし答えは出ない。出るはずもない。
何故ならドスは、何も悪く無いからだ。
強いて言うなら、運が悪かった。今までは極端に良い方向ばかりに転んでいた運が、今度は極端に悪い方向に転んだ。ただそれだけのこと。
「みんなは、みんなはドスがまもるからアアァァ!!」
大きく開いた口から極太の閃光が放出される。射線上にいた数匹のれみりゃとふらんが一瞬にして消し炭になる。
そう、ドスにはスパークがある。ドスは強い。上位捕食種であるふらんと比べても、遥かに、圧倒的に。
「ゆっくりしねェェ!」
「はぎょぶ!」
けれどもそんなドスの背後、また一つ、あっさりと仲間の命が失われた。
多すぎる。あまりにも、敵の数が多すぎるのだ。
訓練された兵達は、突然に大挙して押しよせた捕食者達の前に恐慌に落ちいり、その連携もまともに機能しない。
それにそもそもが多対一でようやく撃退が可能になる程度の戦力。今のこの場では何の役にも立たない。
まともに戦えるのはドスのみ。そしていくらドスが強くても、一人だけで無数の敵から群れの全てを守りきれるはずもない。
住処としている洞窟内で襲われた、そのことも災いした。正に袋のネズミ。正面から押しよせてきた大群から逃げる術はない。
せいぜい取れる策といえば、岩の陰や小さな穴に入って身を隠す程度。けれどもそれも、あまりに多すぎる捕食者の目を前にしては大した効果も無い。
生き残った群れのゆっくりは既に半分以下。このままではどうなるか。
恐らくドスは生き残れるだろう。いくら捕食種の群れでも、ドスを直接襲いもしないから。何せリスクにリターンが見合わない。
はっきり言ってしまえば必要が無いのだ。そんな危険を冒さなくても、無力な食料達ならいくらでも大量に、目の前に転がっているのだから。
ドスは生き残るだろう。が、それ以外のゆっくり達に待ち受ける運命は、皆殺しか、残るとしても極僅か。それはもはや、群れの全滅に等しい。
そんなことは許さない。絶対にさせてなるものか。そんなドスの周りで。
「だちゅけてみゃみゃあああ~~!」
「あがぢゃんだげはおねがいでずがぼきゅ!?」
「みゃみゃ! みゃみゃ! みゃ――――」
ぐちゃり、と嫌な音。途切れる声。
恐怖のあまりに動く事もできず、ただ涙と小便を垂れ流す事しかできない赤れいむ。その目の前に立ち、子どもだけはと懇願する母れいむ。
どちらの行動も僅かの意味も持たない。何の感慨も躊躇いもなく振り下ろされる捕食者達の爪。阿鼻叫喚の地獄絵図は止まるところを知らない。
ドスは知った。自分は今まで、単に運が良かっただけに過ぎなかったことを。
そうして呪った。皆を守ることのできない自分の無力を。
「うっぎゃあおおおおああああああああ!!??」
唐突に叫び声がこだました。群れのゆっくりではない。捕食種の叫び。
ドスの思考が一瞬混乱する。自分は何もしていない。なのに何故?
群れの誰かが反撃に出たか? いや、不可能だ。それだけの余力が残っているわけがない。
「いだいどぅッ! いだいいだいいだいいいびひいいイイッ!!」
「ざぐやッだずげエエエェェェエ――!?」
「はなせッ! しねッ! しねッ! しねしねしねしねじねじねじねええええあががガガガガガ!!??」
叫びは止まない。それも一匹や二匹ではない。れみりゃが、ふらんが、無数にいる捕食者達が、一匹の例外も無く身をよじり泣き叫ぶ。
そこにドスは見た。
ネズミだった。百? 二百? いやもっと、もっと?
小さな小さなネズミが、寄り固まってまるで一つの巨大な群体、今の今まで捕食者としての優勢を誇っていたれみりゃ達を飲み込んでいた。
「ざぐぅぅ……ざ……ぐやぁぁぁ――……」
「じぃ……ねぇ……じぃ…………」
ドスも生き残った他のゆっくり達も、何もできずに、ただ呆然として目前に突如現れた異状に目をやり続ける。
彼らの前であれだけの脅威をもたらした捕食者の大群は、それ以上の大群の内に呑まれ、ゆっくりと、けれども確実に、その命を貪られていった。
「やれやれ。酷い有様だな、これは」
ドスの背後、これまた唐突に声がした。慌てて振り返る。
洞窟の入り口。そこに一人の人間が立っているのが見えた。
「……ううん。にんげんさんじゃ、ない」
けれどもドスはすぐに気付く。
目の前にいるのは、一見すれば人間。髪も服も、全身が灰色の小柄な少女。両手に一本ずつ、奇妙に曲がった細長い棒。胸から下げる青白いペンダント。
――そうして頭の上に二つの丸い耳。そして腰からは伸びる長い尻尾。
妖怪だった。それも見た目からして、ネズミの妖怪。
おそらくは今の、れみりゃ達を壊滅させたネズミの大群も、この少女の眷属なのだろう。そうドスは理解した。
それと同時に判断した。この少女が、自分達の危機を救ってくれたのだ、と。
「あ、ありがとう。ようかいさん」
大きな体をグニャリと前方に折り曲げ、恩人である妖怪に感謝を伝えた。
群れの半数以上が犠牲になった。それはもう覆せない事実。けれども、少女が来てくれなければ被害はそれだけにとどまりはしなかったのだ。
少女が来てくれたからこそ、半数近くは何とか生き残れた。だからドスは頭を下げる。
それを受けた妖怪の少女は、しかし、何も答えない。何か難しい顔をして、一人小声でブツブツと呟いている。
やがて。
「まぁ、ここまでになってしまったのだし」
小さく溜め息をついてそう言い。
「ここはもういい、か」
そうしてパチリ、小さく指を打ち鳴らした。
同時。
「ひぎぃやああああああばああああ――――!!??」
捕食種が消え静寂が戻ったはずの洞窟。そこにまた恐怖と苦痛の叫びが響き渡る。
ドスの思考が再び混乱に陥る。声は生き残った仲間達の者。
何が起きた? 捕食種はもういないのに? 一体、何故?
「いだッ!?」
答えはすぐにわかった。足元から感じる小さな、けれども無数の連続した痛み。
何者かが噛み付いていた。視線を下にやる。
ネズミだ。捕食者の脅威を排除してくれたはずのネズミが、今度は自分に、仲間達に噛みついていた。
「なんでええええ!? どぼじでっだぜええええ!!??」
「やべでッ! ネズミさんでいぶをたべないでべへええええ!!」
「おぎゃあぢゃ! おぎゃあぢゃあああぁぁん!!」
洞窟は瞬く間に阿鼻叫喚の地獄絵図へと逆戻り。
ネズミは小さい。ドスや捕食種はもちろん、通常のゆっくりと比べても決して大きくはない。
けれども鋭い牙、素早い動き、そして何より、その気持ちの悪いほどに膨れ上がった数。
生きながらに身を齧られていくゆっくり達。逃げる術は無い。場所が無い。辺り一面が、まるで灰色の海のごとき異様。
「やめさせてねッ! はやくッ、はやくネズミさんたちをとめてねッ!」
ドスは叫ぶ。自分たちを助けてくれたはずの妖怪少女に向かって。
ドスは頭が良い。だからすぐに理解した。このネズミ達は少女の眷属。彼女が操っているはずなのだ。
だから少女がドスの言葉に頷いてくれさえすれば、それでこの地獄も終焉するはず。
だが、少女は頷かない。
と言うよりドスの話そのものを聞いていない様子、ゆっくり達を貪るネズミの群れに向けて、にこやかな眼差しを投げかけている。
「とめてくれない、っていうならッ……!」
少女が頷いてくれないならば手段は一つ。ドスはその口を大きく開く。
足元から絶えず伝わってくる痛み。それは無視する。ドスの体は大きいし、通常のゆっくりとはまるで比較にならぬ程に頑強。
いくら数が多いとは言え、小さなネズミごときにそう易々と食い尽くされもしない。
全てのネズミを蹴散らすのは不可能だろう。けれども、頭さえ潰せればそれで――!
「ああああああ――――ッッ!!」
雄叫び一閃。既にれみりゃ達との戦いで消耗しきった体、そこに残された力の全てをスパークに変え、ネズミの主たる妖怪少女にたたきつけた。
少女の姿が光に飲み込まれる。ゆっくりはもちろんのこと、例え人間であっても直撃すれば即死は免れぬその破壊力。
ドスは確信した。これであのネズミ妖怪は倒せた。眷属の子ネズミ達も、頭を失えば後は――……。
「――なるほどね」
まばゆいばかりの光の奔流が通り過ぎたその後に。
「これは大した威力だ」
ドスは見た。
妖怪少女の姿、ではない。
そこにあったのは星だった。五つの角を持った、青い色をした大きな星の形。
それをドスが認識した刹那。
「感動したよ」
星が割れた。
五つに割れたその形、それは妖怪少女が首からかけていたあのペンダント、それをまるで巨大にしたかのような。
「ッッ!?」
そこまでを見て次の瞬間、ドスの周囲は漆黒の闇に包まれる。
突然の事態に一時停止をするドスの餡子脳。やがてその餡子脳に、ゆっくりと、遅ればせながら。
「ゆびあばはああああアアアああガ!?!?」
痛みが到達した。
ネズミに齧られている足元の小さな痛みなぞ真っ白に消し飛んでしまうほど、大きく激しい痛み。
妖怪少女の周囲を回る巨大なペンダントが、ドスの両目とその周囲の皮と餡子とを大きく抉りとっていた。
けれどもそんなこと、ドスにはわからない。もう、何も見えないのだから。
「ドススパーク、だったかな。
――いや、ドスパーク?……ま、どちらでも良いか。
直に見たのは初めてだけれど、確かにこれだけの力、武器を持たぬ人間が単体で正面から行ったとして、まるで勝負にもならないだろうね」
光を失ったドスの耳に妖怪少女の声が聞こえてくる。
何かやけに楽しそう、軽く弾んでいるその声。
「ま、あくまでも普通の人間にとっての脅威、っていう話だが。残念ながら妖怪に通じるレベルではないね。
本家の、あの人間の魔法使いと違って、ペンデュラムで完全に防ぎきれる程度の威力だったし」
目は見えない。激しい痛みが思考をかき乱す。
それでもドスは必死に頭を回す。状況を理解しようとする。今のこの事態を打開するために。
「それに君達ゆっくりが相手なら、人間や妖怪を相手にした時と違って、弾幕ごっこだ何だなどと面倒な制限無しに本気を出せるって事情もある。
以上を踏まえれば、まぁ、この結果も妥当といったところかな」
足を動かそうとする。けれども無理。
スパークを打った時も、反撃で目を潰されたときも、それから思考をまとめている今この間も、ずぅっと、少しずつ、けれども確実に
ドスの足を蝕んでいた子ネズミ達の口。
今や、ドスの底部はズタボロ。もはや移動すらもままならない。
体内に残っていた力も、一滴残らずスパークとして放出してしまった。
だがそれでも、妖怪少女にはまともなダメージも与えられていないようだった。
対して反撃を受けた自分は。
ただの一撃で両目をやられ、多量の餡を撒き散らし瀕死の体。
状況は把握した。それにより、今この場で己の採れる行動も理解した。それは。
「なんで! なんでこんなごとずるのおおおお!?」
口を回す。ただそれだけ。
戦う力など微塵も残っていない。歩く事すらできない。
「へぇ、これまたすごい。人間だったら普通に死んでいるくらいの傷だと思うんだが……。
まだこれだけしっかりと、口を動かすだけの力が残っているとは。構造が単純なせい、かな?」
「わげわがらないこといってないで、ドスのいうことにごだえてねッ!
ドスたちが、なにがわるいごとしたのおおおおッ!?」
ならば残された方法はただ一つ。口だけ。それだけをもって、何とか相手を説得する。見逃してもらう。それしかない。
ドスは叫ぶ。自分達が何か悪い事をしたのか。もしそうだとしたら、その点は謝る。必ず改善する。だから――!
「ん? いやいやいや」
己のプライドも何もかもをかなぐり捨てたドスの叫び。
それに妖怪少女が返したのは、何か場違いと思えるほどに感じの軽い声。
「君達は別に、何も悪くはないよ?」
悪くはない。その言葉がドスの心を乱す。悪くないというなら、何故自分達がこんな目に。
「まぁ、強いて言えば運が悪い、かな?」
己と仲間達の命を背負って言葉を吐き続けるドスに対し、少女はどうにも軽い、少々の笑いすら含んだ声で返してくる。
「本当、君達に何も落ち度はなかったんだ。
ちょっとね、こっちとしてもちょっとした予想外というか、いやいや、羽根付きの連中はさすがに行動力が高いというか。
とにかく、誰も悪くないんだ。君達も。あと、まぁ、きっと、私も。
うん、本当、悪かったのは運。それだけさ。お互いに」
「だがらわげわがんないことばっかりいってないでエエエエ――――ッッ」
自分達は悪くない。妖怪少女も、また悪くない。悪かったのは運、それだけ。
ふざけるな。そんなことでこの大虐殺を納得できるはずがない。刻一刻と死に近付くその体で、それでもドスは最後の力で声を上げる。
「そこまで言うのなら」
そんなドスの気が届いたのだろうか? 妖怪少女は小さく溜め息をつき。
「そうだな。こんな不幸が起きてしまった経緯全て、君に話して聞かせるのも良いかもしれない」
パチリと指を鳴らす。
途端、ドスの足元、小さな痛みの連続が止まった。
それから少女はゆっくりと話し始める。
「ちょっと前のことなんだが。
私は幻想郷の管理人――あぁ、あの隙間妖怪のことだがね――彼女から一つ、依頼を受けたんだ。
曰く、『幻想郷に存在するゆっくりを、老若男女、性の善し悪し、一切の差別することなく全種根絶やしにせよ』って。
はは、おかしな話だと思わないか? 君達ゆっくりに男も女もないってのにさ、老若男女だなんて」
言って心底おかしそうにころころ笑う少女の声。
おかしいのはそんな所じゃないだろう。少女の言い出した理不尽の前に、ドスは黙ってもいられない。
「なんで!? なんでゆっくりをッ!?」
「いやほら君達。田畑を荒らしたり、人の家に勝手に入ったり、色々悪さをしているだろう?」
「ドスたちはそんなごとしでないのにいいいいい!!」
「そうだね。うん。全てのゆっくりが性悪というわけでもない。
中には君達のように森の奥深く、人と関わらないようにして生きているゆっくりだっているさ」
「だっだらアァ――――!?」
文字通り命を、全てを賭けて自分達の不幸の原因を探ろうとするドス。
それに対して、あくまでも楽しそうに、面白そうに、軽い調子で話を続ける妖怪少女。
どうにも噛み合わない二者の問答は続いてゆく。
「いやそれがね? どうも、管理人さんが言うには。
君達ゆっくりっていうのはさ、ほら、元々幻想郷に住んでいたわけではないだろう? 現れたのはごく最近。せいぜいがここ数年。
かと言って外の世界から幻想になって流入してきたってわけでもない。
正に出所不明。その生態も、動物とも植物とも、人間とも妖怪とも、何とも言えない。全くの正体不明。
そんな物をね、幻想郷に置いたままにはしておけないって、そう管理人さんは言うんだ。
まぁ確かに、この世界は彼女達が色々苦労をして、結果できあがった絶妙のバランスの上に成り立ってるものだからね。
君達みたいな突然の、出所不明な新参部外者を受け入れるわけにもいかないっていうのは一理ある、かもしれない」
少女の話、その内容は、ゆっくりとしては非常に高い知性を持つドスには何とか理解はできた。
だが、理解はできても納得はできない。
バランスが崩れるかもしれないというのは、あくまで可能性の話。
そして自分達が幻想郷に住んでいるのも、こうした生態なのも、全ては己が望んでなったものではない。元々そういうものなのだ。
故にそれは、あえて言うならば(そんな者がもし存在するとしたならば、の話だが)造物主の責任。ゆっくり自身の咎ではない。
それなのに、そんな理由で。
「ぞんなりゆうで――」
「そんな不確かで、かつゆっくり自身に罪は無い、そんな理由で駆除だなんてひどい……かな?」
ドスの心を読んだかのような少女の答え。言葉の先を取られ、思わずドスは黙ってしまう。
「確かにね。
普通だったらこういう場合、いくらかの反対意見も出るものさ。ゆっくりに罪は無い、共生の道を探せって。
でもね。ほら、ゆっくりの一部はさ、さっきも言った通りの悪さをしてしまっている」
「でもッドスだちは――」
「で、だ。
君達のように賢い連中はハナから里には近付かない。バカで性悪な連中ばかりが里に現れて人間に迷惑をかける。
そのせいで里の人間からすれば、ゆっくりっていうのは基本的に害獣だって認識ができてしまっていてね。
特に反対もしないんだよ。ゆっくりの駆除に。
……それに、何より」
そこまでを言って少女は少し口を止める。その口から、プッと小さく吹き出す音が漏れた。
「この幻想郷の主たる住人、妖怪――と、それから妖怪じみた人間もか――彼女らはさ、ふふ、本当に面白い話だが……。
――君達ゆっくりのことが大っ嫌いらしい」
「なんで!? なんでぞんなごど――」
「ま、当然と言えば当然かな?
自分と同じ顔、名前をした気持ちの悪い生首。しかもその顔は潰れ饅頭、その行動は幼稚で愚鈍、時に性悪。
そんな物がさ、大量にその辺を跳ね回っているんだ。元?になった当人からすればとんでもない侮辱だよ。
憎悪こそすれ、少なくとも愛護しようって気にはなれないだろう」
「ぞんな……」
「以上の理由で人間も妖怪も誰も、君達ゆっくりの駆除には反対しなかったんだ。
まぁ、自分達でわざわざ殺そうというほどの気も起きないけれど、目に付かない所で駆除してくれるならそれはそれでありがたい。
それ位の感覚なのだろうね」
ドスにはもう、何を言う力も出なかった。そんな気すら失せてしまった。
幻想郷に住んでいるのも、この生態も、見た目も、全ては元々そういうものなのだ。ゆっくり達がどうしようとして、どうにかなるものではない。
けれどもそなんどうしようもない理由のせいで、ゆっくりの皆殺しが決まってしまって。
――運が悪かった。
少女の言葉が脳裏に甦る。
ドスはゆっくり理解した。確かにそうだ。自分達はこんなにも、吐き気がするほどに酷く運が――……。
「ま、ここまでは君達も運が良かったんだけどね」
「!?」
もはやこれ以上のない不運。そうドスが断じたこの状況を、しかし少女はあっさりと跳ね除けた。ここまでは幸運だ、と。
「何せこの私の元に、ゆっくり駆除の依頼が舞い込んできたのだから」
ドスにはわからない。
どこの誰が下手人になろうと、先に全滅という結果が設定されている以上、そこには最悪以外の何もありはしない。
幸運なんてありえないはずなのに。
「君達ゆっくりは力こそ弱いが、非常に数が多いし体も小さい。
単に目についたゆっくりを殺すだけなら、人間の子どもにだって簡単にできる。が、全てを根絶やしに、となると高位の妖怪ですらかなりてこずる。
その点私は、戦いは苦手だが探し物は得意。手足となってくれる子ネズミ達もたくさんいる。
今回のような仕事には正にうってつけ。だからこそ、管理人さんも私に依頼したのだろうが……。
――そこが君達の運の良いところだ」
だから何でだ。もうまともに声を出す気力もなく、ただ心の中でドスはうなる。
ゆっくり駆除に効率の良い能力を持つ者が仕事を請け負った。それのどこが幸運なのだ。むしろ事態の悪化ではないか。
「私はね、ゆっくりを皆殺しになんてするつもりはない」
予想もしていなかった言葉がドスの耳に飛び込んだ。
「私は他の連中とは違う。
私はゆっくりが大好きだ。愛していると言っても良いくらいに」
皆殺しにはしないと言った。
好きと言った。
愛していると言った。
この少女は、皆が嫌うはずのゆっくりを。
「だってそうだろう?」
少女の手が触れた。ドスの巨体からすれば余りに小さな手。それが優しくドスの体を撫でる。
「君達は、とても素晴らしい食料なんだから」
「! ゆぎゅびィ!?」
その手に急に力が籠められる。ドスの体内にめり込む。皮を突き破り、その内の餡を鷲掴みにする。
「私や子ネズミ達の好物は人間。
だがね、里の人間を襲って食べるというわけにはいかないんだ。
そんなことをすれば巫女に本格的に退治されてしまうし、更には人間と妖怪の力関係が崩れ、幻想郷の崩壊にも繋がりかねない。
それでも私は、ほら完全な妖怪だから、人を脅かし、その恐れの心を食べるだけでも充分やっていける。
けれど」
少女が指を鳴らした。同時。
「ゆッッぎ、ぎぎぎぎぎぎ……」
止まっていた足元の痛みが、またドスの体を蝕み始めた。
「この子達はまだ未熟だからね。そういうわけにもいかない。
だからまぁ、たまに配給される外の人間、それを食べさせるわけだが……。
ほら、うちは大所帯だからね? そんな、たまの人間だけじゃとてもまかないきれない。
しかたなくその辺の木の実や獣の死骸など、普通のネズミが食べるのと変わりない食事ばかりをさせていたんだが……」
少し沈んだ声の色。それが。
「そこに現れたのが君達だ!」
一瞬にして軽く明るく跳ね上がる。
「君達は弱い。ドスという例外を除けば生き物としては最低ランク。非っ常に弱い。すぐ死ぬ。
そしてそれ故に多産でもある。簡単にすっきりをして、植物型出産なら一時で複数が作れる。オスもメスも無いから組み合わせも楽。
多産多死。『弱い』生き物として、ある意味とても理にかなった生態ではある」
少女の声が跳ねる、揺れる。本当に、心の底から嬉しそうに。
「しかもだ!
君達はそんな、多産多死の弱い生き物でありながら、非常に、信じられないくらいに高度に発達した精神を持っている!
これは驚くべきことだよ。誇ったって良い。
明らかに食物連鎖の最下層付近に属しながら、その精神は人間とほぼ同等と言えるくらいのものなのだから。
――そしてそれは、すなわち」
「ゆびッ!?」
ドスの体内に潜り込んだ手。それが一層の力を持ってドスの餡をかき乱す。
「君達は非常に高度な『恐れ』の感情を持ち得るってことさ」
妖怪は人を食す。それは単に肉を食すのみではない。
妖怪は精神も食す。人が化け物を恐れる心、それも妖怪にとっては大事な食べ物なのだ。
ゆっくりは増える。人間よりも遥かに簡単に増える。しかも、それを殺すことによるデメリットがない。
その上、ゆっくりは人間とほぼ同等の感情を持つ。通常の獣とは違う、容易にはっきりと理解できる恐れの感情を見せてくれる。
数が多い。しかも、物理的、精神的、両方の意味で食べられる。
少女にとってゆっくりは、子ネズミ達の餌とするのにこの上ない食材なのであった。
「それにね、君達を適当に生き残らせて、それが他の連中の目に付けば、そのたびにこちらに駆除の仕事が舞い込む可能性だって出てくる。
つまりだ。君達ゆっくりは私にとって、物理的にも、精神的にも、経済的にも、とても美味しい生き物なんだ。
皆殺しにするなんてとんでもない!」
少女はゆっくりに高い利用価値を見出している。故に、決して全滅させはしない。
「だからね、私はゆっくりを守ることにしたんだ。私は戦いは苦手だが、こと守りに関してはそれなりの自信があるからね。
里の近くや大勢力の本拠近く、そういった誰かの目につきやすい所のゆっくりはさっさと駆除する。
けれども君達みたいな、森の深くなんかの見つかりにくい所にいるゆっくりの群れ、それは密かに保護することにしたんだ。
いくら目につきにくい所に住んでいたって、私の能力なら簡単に見つけられる。
そうして見つけた後は、こちらは姿を隠しつつ餌を与えたり、外敵を排除したり。
君達の群れもね、そうやって影で私が手助けをしていたからこそ、ここまで大きく育ったんだよ?」
「!? ぞんな!? ぢがうよオッ! むれのみんなはドスが――」
「自分が育てた?
ハハハ! いやいや、あり得ないだろう。普通に考えて、それは」
「ゆぎッ!?」
ドスの体内から手を抜きそれを顔の前で振りながら少女は笑った。
「群れが大きくなれば、仲間の数が多くなれば、それだけ外敵に遭遇する確率が高まる。餌だって足りなくなる。
だからね、自然の状況下ではどうしても、その増える数に限界ができてしまうんだ。
せいぜいが三、四十匹。五十はまず超えられない。自然状況下ではね」
「でもッでもドズはああああ!」
「でもも何も無いさ。
確かに君は強いし、ゆっくりとしては非常に賢い。
でも、それは君だけの話だろう? 仲間のゆっくり達は、いくら訓練されていても結局は通常のゆっくりだ。
単体の捕食種ゆっくりならともかく、君の目の届かない所で山犬にでも襲われれば何の抵抗のしようもない。
遊び半分の妖精や妖怪に見つかったら、君ですら危ない。
で、今までそんなこと、一度でもあったのかな?」
「ながっだげど! ながっだげどおおおオオオ!!」
「だろう? それこそが私のおかげなんだよ」
ドスには誇りがあった。
他に類を見ない巨大な群れ。それを己の手で育てたという誇りが。
けれども、それはドスの力ではないという。全てはこの妖怪少女が裏で手を出していたおかげという。
仲間を失い、己の体も散々に損なわれ。
……ついには誇りまでも打ち砕かれた。
もはや、ドスには何も残らない。
「ああ、いやでもね?
君が特別に優秀だってのは本当さ。この群れがここまで巨大に育ったのだって、半分は確かに君の功績だよ」
今や全てを失った。何を聞く気すらも起きないドスの前、けれどもそんな様子を顧みもせずに、一人少女は話を続ける。
「普通の群れだとね、私が手助けをしてもここまでにはならない。
ゆっくりは間抜けが多いからね。危険なものをそれと知らず近寄って死んだり、下らない理由で仲間同士殺しあったり。
ほら、私としてもさ、立場上、直接自分や子ネズミ達の姿を見せて介入援助、ってわけにもいかないからね。
どうでもいい下らない理由で勝手に死ぬのまでは防げない」
ドスはもう、少女の話を聞いていない。それよりも今は仲間だ。仲間の声を。
「けれどもこの群れは違う。君が優秀なおかげでよく教育され、統率も取れ、餌の提供と外敵排除さえしてやればほとんど死者は出ない。
だからどんどんと数が増えていく。常識的に考えればありえないくらいの勢いで。
それを見ててさ、私としても段々面白くなってきてね。一体これはどこまで増やせるのか。記録に挑戦!って感じかな。
そんなわけで、他の群れはある程度数が増えたら適当な数を収穫して食べるのだけど、ここのゆっくりには一度も手を出していなかったんだ」
ドスは耳をすます。けれども仲間の声は聞こえない。ただの一人も。呻き声も、断末魔さえも。
「でまぁ、ここからが君達の不幸についての話なんだが」
少女との長い問答を続けている間に、仲間は一人残らずネズミ達に食い尽くされてしまったのだろう。
「うちの子達は何でも食べるが、好きか嫌いかで言えばやはり肉の方が好みでね。
そこであの羽根付きの連中を大量に養殖してみるか、そう考えたんだ。
ただね。ほら、あの連中って自然下では滅多に群れも作らないだろう?
というわけでこっちも予備知識すら乏しいまま、とにかく大量に、大量に作ることだけを考えて養殖していたんだが……」
ドスは後悔した。仲間を助けられなかったどころか、その死に様をとらえる機会すら、自分は逃してしまったのだ。
「正直、所詮ゆっくりと油断していたよ。私の監視下から集団で逃げ出されてしまってね。
ようやく見つけてみれば、何とお気に入りだったこの群れを襲っているときた。
ま、羽根付きの連中も通常ありえない数にまで膨れ上がっていたんだし、なら同じく異常レベルの大きさの群れを襲うのは当然といえば当然なんだろうが」
少しバツの悪そうな顔で少女は頭をかく。
その様子、とうに光を失ったドスに見えはしないし、例え見えていたとして、そんなものはもはやどうでも良い。
「慌てて子ネズミ達を向かわせて羽根付きどもを駆除したわけだが……。
いや、今になって冷静に考えると、うん、確かにこの群れはお気に入りだったけど、私が到着した時点で既に半数以下になっていたし、
そこまで減ってしまえばもうどうでも良いというか、これまた苦労して繁殖させた大量の肉を、全て失ってまで助ける必要もなかったかなぁというか……。
それに私が介入しなくても君と、あと運が良ければ数匹のゆっくりは生き残れたろうけど、こうして私が直接介入した以上、
残らず殺さなければならなくなった。
何せこっち、一応は駆除を引き受けている身だからね。
『努力したけど駆除しきれませんでしたー』なら言い訳も立つが、さすがに直接ゆっくりの前に姿を現して、その上で見逃した
なんてことが依頼人に知れでもしたら、契約違反で賠償請求すらされかねない。
それは困る。とても困る。
だからね。君達には全員、今この場で死んでもらわないといけないんだ」
すまないね。そう言って少女は軽く頭を下げた。
ドスには見えないし、どうでも良い。
「……っていうか、うん、あれだな。ここまで話して、改めて思ったが……。
さっき、君も私も誰も悪くない、悪いのは運だけって言ったけど……すまない、嘘――というか少し見栄をはってしまっていたよ。
悪いのは私だね。私の判断ミスが重なった結果がこれだよ。いやホント、申し訳ない」
少女の声は、さほどに軽くもない。かといって深刻というほどでもない。
けれどもそれも、今のドスにとってはどうでも良いことだ。少女がどれだけ悪いと思っているのかなんぞ、どうだって。
それに。ドスは思う。
運が悪い。それは確かに、その通りだとも思うのだ。
自分達の在り方、そのせいで起こった駆除の話。それを受けたネズミの少女。彼女の下した、ゆっくりを守るという結論。
そのおかげで大きくなった自分達の群れ。そうして、彼女のミスから起こった今回の惨事。
全てドスには、ゆっくりにはどうしようもない出来事なのだ。介入のしようもない雲の上の話なのだ。
だから結局のところドスにとってこの悲劇は、今まで極端に良かった運が今度は極端に悪い方向に転がった。それだけのこと。
足元を蝕んでいるはずの子ネズミの牙、その痛みももはや感じない。
仲間を全て失い、己の無力を思い知り、誇りすらも幻と消え、這い上がる術のない絶望の内にドスの意識は闇の底へと沈んでいった。
「――ふふ、ごちそうさま」
物言わぬ屍となったドスの前、少女が妖しく微笑んだ。
どうせ殺さなければならなくなったのだ。それならば、できるだけ美味しくいただいてやるのがせめてもの慈悲。
だから少女は死にゆくドスに全てを話した。その深い絶望を、真っ暗な感情を、存分に味わった。
「本当に、本当にステキだよ。君達は」
穴だらけになっていくドスの巨体に、愛しそうに手を這わせる。
思えば今回は下らない失敗をしてしまった。欲に駆られて無茶をし、予想外の事態にあせって判断ミスを重ねた。
ただでさえ依頼人を欺き危ない橋を渡っている現状、それなのにこんな体たらくでどうするか。
こんな気の抜けたザマでは、いつ自分の秘密が、ゆっくりの保護繁殖の様が他者にもれるかも知れたものではない。彼女は己を叱咤する。
同じ過ちはもう決して繰り返さない。我が愛すべきゆっくり達は必ず守る。決して、誰の手にも渡しはしない。
少しずつ崩れていく大きかった躯に向け、少女は心の中でそう誓ったのだった。
(作:おっ゜て)
最終更新:2009年05月11日 18:30