なにこれ・・・。2

※ただのコピペ改変です。不快に思う方は見ないことをオススメします。









よく家でやってたのがシークレットサービスごっこ。

ゆうかが起きたら枕元で
「お目覚めですか?本日も一日お供させて頂きます」
でスタート。

ゆうかが部屋出ようとしたら
「お待ちください、今外を確認します」
ドアをそっと開けて外をキョロキョロ。
「安全を確認しました、どうぞ」
「・・・・・・あの、お兄さん・・・・・・」

廊下は常にゆうかのそばを歩腹前進して進み、
そして茶の間のゴミ箱の横に差し掛かったときに
「危ぬわぁぁぁぁぁい!!!!」と絶叫しゴミ箱を蹴り飛ばしながら
ゆうかを抱っこしてスライディング。
「きゃっ」とちょっと驚いた声を出すゆうか可愛い。

吹っ飛ぶゴミ箱散乱するゴミを迷惑そうに見るゆうか 、
満足そうな顔をして横たわる俺。
俺「爆弾です、よくある手ですよ。・・・俺、は・・・もう駄目ですけど
あな・・・たが・・・無事で良かっ・・・たっ・・・!」

えんだぁぁーーいやぁーうぃうぃうぃらぁびゅぅーうぅうぅー
↑アカペラでボディガードの主題歌を熱唱、心の底から嫌そうな顔のゆうか

さらにヒートアップして死んだはずなのにゆうかと踊りだす俺。
至福の時です。











れいむ   「わたるの!?これ、わたるの!?ねぇ!しんごう!ゆっくりしんごうわたる!?」
俺     「あぁ、渡れば?」
れいむ   「ほんとう!?だいじょうぶなの!?あかじゃない!?」
俺     「あぁ、たぶん大丈夫だと思うよ」
れいむ   「そうかぁ!れいむゆっくりだからだから!ゆっくりだからわかんないから(知能と目線的な意味で)!」
俺     「そうだね。わからないね」
れいむ   「うん!でもあおなんだ!そうなんだぁ!じゃぁわたっていいんだよね!」
俺     「そうだよ。渡ってもいいかもしれないね」
れいむ   「よかったぁ!じゃぁわたろうね!ゆっくりしんごうわたろうね!」
俺     「うん、渡ってね。一人で」
れいむ   「あぁ!しんごうあおだからしんごうわたれるね!ね、おにいさん!」
俺     「うん。前見てていいよ」
れいむ   「あぁーおにいさんとれいむはいまゆっくりしんごうををわたっているよー!きをつけよぶぇ゛っ!!」
俺     「あ、轢かれた」










盲導ゆっくりの訓練で「渡ってはいけない状況」で主人が「GO」指令を出すのがある。

言う事を聞いて渡りだすと怒られる。

混乱するみょん、「ちーんぽ!?びっぐまらぺにす!?」

繰り返される「渡ってはいけないGO」

やがてみょんは気付く

「ただ主の望むがままに従うだけが忠義ではござらぬ。
 刃向かってこそ示せる忠義もござ候」










子供が生まれたらゆっくりを飼いなさい。
子供が赤ん坊の時、子供の良き遊び相手となるでしょう。
子供が幼年期の時、子供の良きオモチャ(弄り的な意味で)となるでしょう。
子供が少年期の時、子供の良きサンドバッグとなるでしょう。
そして子供が大人になった時、自らの死をもって子供に命の儚さとストレス解消法を教えるでしょう。










ある芸術家が餓死寸前のゆっくりを展示して「ゆっくりの餓死」という芸術を発表した。

しかもこれはまだ最初の布石に過ぎず、私が表現しようとする芸術の準備段階だと宣言した。
「ゆっくりの餓死」だけでも非人道的なのに、それが準備段階に過ぎないと宣言したことで、様々な人から非難が集中した。
ネットでは芸術家のブログは炎上し、自宅には反対するグループが押し寄せ、それらをマスコミが取り上げ更に盛り上がり、収拾がつかない程に社会問題化した。

それを受けて芸術家は新たなコメントをした。
次の展示に使うゆっくりは保健所で処分される予定のゆっくりを使用することにします。助けたい人がいらしたらどうぞご自由に。

次の展示が行われる日、展示される美術館では初めて開館前に行列ができていた。
鉢巻をして襷をかけたいかにも抗議団体ですという集団や、興味本位で初めて美術館に訪れましたというような一般人、そしてそれらを面白可笑しく撮ろうする撮影人。
100人以上の人が集まっていたので美術館はいつもより早く開館した。
開館するや否や、皆早足で「ゆっくりの餓死」が展示されている前に集まった。
前回と同じように動く元気もないようなゆっくりが元気なく伏せっていたが、そこに立ててあった看板だけは前回と違った。
「助けたい人がいらしたらどうぞご自由に。」展示の前に集まった皆が静かに周りを伺う。
多くの人が降りる停留所なのに停車ボタンを皆なかなか押さないバスの空気に似ていた。
そんな中一人の老婦人が静々と手を挙げた。このゆっくりを引き受けたいのですが。
すると奥から芸術家が現れてわかりましたとゆっくりの縄を看板から解き、老婦人へと手渡し、また奥へと下がっていった。
縄を受け取った老婦人が屈み「もう大丈夫よ。」とゆっくりの頭を撫でると自然に拍手が巻き起こった。

しかしそんな中、芸術家は奥から飄々と現れ、また連れてきたゆっくりを看板に繋いだ。
どういうことだと詰め寄られるが特に気にすることもなく、今日は10匹連れてきましたから後9匹いますよ、と答えた。
人々は唖然としたが一度できた流れは変わらず、次々と挙手する人が現れた。
自分が引き受ける、いいや自分が引き受けると、我先にと手を挙げた。
芸術家は機械的に受け渡しを9回済まし、その日の展示は終了した。
マスコミはその様子を何度も放映し、国民もその美談に酔いしれた。

芸術家はその後も精力的に展示を行ったが「ゆっくりの餓死」が完成することはなかった。
どこの美術館でも用意したゆっくりは全て貰い手が現れたからだ。
それは数を増やしても変わらなかった。展示の度に生成され続ける美談が一大ブームを作っていたからだ。
そしていつしかある噂が囁かれていた。あの芸術家は処分予定のゆっくり達を救うためにこんな展示を始めたんじゃないだろうかと。

しかしある時、芸術家は突然展示をやめた。
ブームの最中だったから人々は不思議がった。
そしてとある記者が尋ねた。「噂では処分予定のゆっくりを救うためにこの展示をしていたとのことですが本当でしょうか?」芸術家は答えた。
「いいえ違います。それにもしそれが目的ならば展示をやめるなんておかしいでしょ?」もっともな話だった。
「では何のために展示をして、そして何故展示をやめられるのですか?」芸術家は答えた。
「それはこれからわかります。そして私の準備はこれで終わったので展示をやめます。どうぞ皆様これから行われる出来事をお楽しみください。」展示は終わった。

謎めいた発言は一時的に話題にはなったものの、その後も特に何かが起こるわけでもなかったので、すぐに忘れ去られた。
そして数ヶ月後。奇妙な現象が起こり始めた。
全国各地の公園などに痩せ衰えたゆっくりが次々と放置され始めたのだ。
「助けたい人がいたらご自由に。」と書かれた言葉と共に。
引き受けたはいいものの、流行と偽善の気持ちから挙手した人が殆どで、数ヶ月もする頃には飼うことが嫌になっていた。
どうしたものかと考えつく先は皆同じで、それが芸術家と同じような手段だった。
直接捨てたり保健所に連れて行くよりも心が痛まない。悪いのは助けることができたのに、助けることなく見ていたやつだと。

かくして「ゆっくりの餓死」は完成した。多くの人の手によって。










―――――
書き溜めです。こべんなざい。
魔が差しました。

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最終更新:2009年05月11日 18:58
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