ゆっくり推進委員会2(fuku2158)の続きです






「わからないよぉぉぉお!!」

そう叫びながら少し高い場所から落下したゆっくりちぇんは、強かに背面を水槽の底に打ちつけた。
木屑のような物が敷き詰められており、衝撃が緩和されるといってもやはり痛いものは痛い。

痛みに少し涙を滲ませ、ちぇんは体勢を整え辺りを見渡す。

棒に噛り付く前に説明された様に、ここには恐ろしいモノが居る筈だ。

頭の中に、今まで落ちていったゆっくり達の悲鳴や嘆願が思い出される。
アレ程に恐ろしいゆっくりの声など、ちぇんは今まで聞いた事も無かった。

自身の足元でどのような事が繰り広げられていたのか――。

グルリと一通り見渡した後、これが始まる前に説明されていた時には無い、白い球体が幾つも有るのが気になった。

ちぇんには一体これが何なのか理解出来ないでいた。
今まで必死になって落ちないように棒にしがみ付き、下の様子など全く見る事など出来なかったため、それが他のゆっくり達であると知らないのだ。

他に気になることは有った。

落下した先に存在すると言われたあの奇怪な生物が何処にもいないではないか。

ちぇんは不思議に思い、「わかんないよー」と小さく呟く。

「ゅ…っ……」

何処からか声が聞こえてくる。
上を見上げるが、らんしゃまとみょんが必死に棒に喰らい付いているのが見えるだけで、流石にその二人の声とは考えづらい。

では、何処だろう?
そう思い、ちぇんはピョンピョンと、奥の方の白い繭のようなものへと近付いて行く。

謎の声が段々と大きくなり、ちぇんはその小さな耳をピクピク動かしてその主を探す。

すると微かにだが、ちぇんの右側に有る繭が動いたような気がした。

「ゆっ!?そこにだれかかくれているんだね、わかるよー!!」

自身の頭の中では、水槽の底は恐ろしい事になっている。
上で棒に喰らい付いていた時はそう想像して頑張っていたのだが、実際落ちて見てみればそうでもなかった。

それでも、現在のよく判らない状況に対する不安感が有った為、他のゆっくりが居る事が判ってちぇんは嬉しかった。

自分と同じくらいの大きさの繭までやってきたちぇんは、目の前のそれを軽く小突き、

「みつけたんだよ、ゆっくりでてきてほしいんだよー♪」

と、まるで隠れんぼでもしていたかのような風に、陽気な声を出して催促した。

だが、その白い繭からは一向に返事は返ってこない。

どうしたんだろうか、確かにこの中に誰かが居るはずなのに。
と、ちぇんは不思議に思いながら何度かその繭を叩いてみた。

それに対して、中から少しだけ音が漏れ出る。

勘違いなんかじゃない。
やはり、中に誰か居るではないか。

「ゆっくりしないで、ゆっくりでてくるんだよー♪」

ちぇんはそう言いながらも、居ても経ってもいられなくなり、その繭を噛み切ろうとした。

糸と糸の隙間に歯を差し入れ、思いっきり引っ張ってみる。
かなりの弾力性を感じ、とても噛み切ったり、引き千切る事は出来そうに無い。

ちぇんは困り顔になりながら、繭の隙間を掻い込む様に、糸をずらして中へと分け入ろうと考えた。
何度かそれを繰り返すうち、大した厚さでも無い繭の中身が段々と見えてきた。

「わかるよー、そろそろなかがみえる……ぅっっ!!?」

あと少し、という所でちぇんは口に咥えていた糸を離して後ろに飛び退いた。
何やら変な違和感と、悪臭のようなものしたからだ。

それ以上に、繭を掻き分けて行った薄い場所から、何か変なモノが覗いている。

ちぇんは、足元の木屑の中から出来るだけ長い物を選ぶと、それを咥えて、あと少しで向こう側に辿り着く繭の部分を突き刺す。

「ゆ”っぐり”ざぢでえぇぇぇ!!」

そこを突き破ると、ブチュリという音と共に、その穴から突然酷く濁った、気味の悪い声が聞こえてきた。
その後に、何やらどす黒く粘性の高い謎の液体がだらだらと漏れ出してきたのである。

「ごごぢゃぁ、ゆ”っぐり”、でぎな”い”よぉぉお!!」

その穴から、モゾモゾと奇妙な物体が動くのが見える。
そして、空いた穴から血走った眼を覗かせたかと思うと、とても通れる大きさの穴ではないそこから無理やりに這い出ようとしだす。

ただ、どう考えてもそこから出られる筈も無く、出てくるのは黒く濁った液体と、

「ゆ”っぐじ、ごごがら、だぢでぇぇぇ!!」

という、怨嗟の入り混じった懇願の声だけである。

ちぇんはそれを見て後退りながら、身体を震わせていた。

――あれは一体何なのか?

自分と同じゆっくりがその中に隠れていると思っていたのに、そこに居たのは得体の知れない怪物ではないか。
他の落ちて行ったゆっくり達は何処に居るのか?

「わ……わかんないよぉぉぉお!!」

余りの光景に、ちぇんは錯乱しながらも走り出した。
すると、大した距離も走らずに何かにドスンとぶつかった。

先程と同じ白い繭である。

ちぇんの頭に、あの光景が思い出される。
中に詰まったドロドロした謎の液体に、其処から吹き出る悪臭。

それに何といって――小さな穴から覗いた、謎の生物の呪いを込めた様な憎しみの眼。

「ゆっ、ゆぅええぇぇぇぇぇぇ!!」

そのような映像が頭の中を駆け巡ると、思わずちぇんは身体の中から込み上げて来る不快感に耐え切れず、餡子を吐き出してしまった。
ダラダラと相当な量の餡子が口から吐き出されては、足元の木屑の中へと染み入って行く。

暫く吐き出すと幾分か気分も落ち着き、最後はケホケホと咳き込む。
口の周りの餡子を舌でグルリと舐め取ると、流石に飲み込むのは気持ち悪く感じ、最後はぺっと吐き出す。

しかし、今度は寒気を感じ小刻みに震えだした。
とてもじゃないがそれを止める事は出来ない。

自分の周りにはあの白い繭が幾つも存在し、その中の様子を想像するだけで溢れ出る恐怖をどうする事も出来なかったのだ。

震える身体を必死に押さえ、出来るだけその繭から離れようと水槽の端の方へとヨロヨロと歩いて行く。

その隅っこで身体を震わせながら、自身の中の餡子を最大限に使って思考を開始する。

今、どういう状況にあるのか?
他のゆっくり達は一体何処に行ってしまったのか?
自分はこれからどうすれば良いのか?

様々な事を思案するが、もちろん答えが出るわけも無く、さほどの時間も考えずに頭が痛くなる。

「わかんないよぉぉー!!」

そう叫んで眼から涙を零すが、寄り添ってくれる者など居ない。

普段で有れば、こんな悲嘆に暮れた時や、何か判らない事が有った時。
いつだって、寄り添って慰めてくれる者が居た筈なのに。

そう、そうだ――まだらんしゃまがいたんだ!!

パッと、その涙を滲ませた眼を輝かせ、上を見上げる。
未だ諦めずに棒に喰らい付いている、みょんとらんしゃまの姿が確認出来る。

自分はまだ一人ではなかったのだ。
と、嬉しそうに跳ね回ると、ちぇんは心から湧き上がってきたその喚起の声を吐き出そうとする。

その名前を呼べば、すぐさま自分の下へと駆け付けてくれるだろうと。
そして、優しく頬を摺り寄せ慰めてくれた後は、あのモフモフした尻尾の中でいつもの様にぬくぬくと眠りに付けるだろうと。

そんな期待を込めた言葉では有ったが、それが届く事は無かった。

ちぇんがそれを成し遂げる前に、その足元から這い出してきた何かが、その夢を断ち切ったからだ。











上空を見上げるちぇんの足元から獲物を狙う蜘蛛が飛び出した時、
次の瞬間には先刻のれいむと同じ運命を辿るものだと、その水槽を見つめていた私は思った。

しかし、有ろう事かその突然の襲撃に対してちぇんは間一髪の所で跳ね上がり、その一撃を避けたのだ。

それは棒に噛り付いているゆっくりらんの名前を目一杯の声で叫ぼうとした際のものであり、全くの偶然による回避行動であった。

ちぇんの大きく開いた口ではあったが、その目の前で起こる異変によって言葉が出る事は無い。

そのまま飛び出して来た蜘蛛の背に着地したかと思うと、異質な感触にすぐさまそこを足場にして前方に飛び降り、
体勢を崩しながらも少し離れた位置に着地すると、くるっと振り返りソレを確認する。

其処には、棒に噛り付く前に見せられたあの大きな蜘蛛が存在していたのだ。

そして、その生物の八個の眼が自分をねめつける様に観察し、八本の脚で自分を捕らえようとしている事をちぇんは何と無く理解出来た。
つい先程の攻撃も、もし偶然避ける事が出来なければ、自分は捕まっていただろう。

何と無くではあったが、本能的にそう悟る事が出来た。

少しの間、二匹は見詰め合っていた。

「わ、わかんないよぉぉぉ!!」

蜘蛛を見ながらジリジリと後退していたかと思えば、そう叫ぶと共にちぇんは踵を返して走り出す。

結局の所、幾ら運良く最初の攻撃を逃れられたといっても、ゆっくりであるちぇんにはどうする事も出来ないのである。
唯一出来る事といえば、今行っているようにただ逃げ惑う事だけだ。

その逃げる姿に反応して、蜘蛛の方も一気に距離を詰め始める。
ゆっくりの中でも幾分かは素早いちぇんではあるが、所詮はゆっくりの速度である。

みるみる内に差が縮まって行く。

「ゆっくりしてよぅ!!ゆっくりしてよぅ!!」

後ろに居るだろう蜘蛛に投げ掛けた言葉かどうかは判らないが、目尻から涙を零しつつちぇんは叫ぶ。

だが、そんな言葉など聞き届けずに、背後からは無情にもあの大蜘蛛が迫ってくる。

「だずげでよおぉぉぅ!!らんしゃまあぁぁぁ!!」

ゴスンっと、ちぇんは何かに顔面をぶつけ、後方に跳ね返された。
水槽の壁に気付かずにぶつかってしまった様だ。

そのまま上を見上げるように眼を開けると、そこには恐ろしい異形の生物の顔が存在していた。
一対の鎌の様な物がその生物の口元から覗き、それが段々とちぇんの顔へと近付いてくる。

「ゆ”あ”ぁぁぁぁぁあ!!」

間一髪。
奇声を発しながらも地面に転がった身体を反転させ、今正にちぇんを補足しようとしていた蜘蛛の前足を回避する。

ゆっくりとしては素晴らしい程の反射神経かもしれない。
あれらに神経というものが存在するのかどうかは別としてだが。

そのまま即座に立ち上がり、再び前方へと跳ね飛び、逃げ出そうとする。

しかし、その努力もそこまでであった。

「ゆぐぅっ!!?」

急に身体が動かなくなったちぇんは、頭や背中に当たる違和感でそれを悟る。
蜘蛛の脚でガッシリと身体を掴まれ、一切動く事が出来無くなったのだ。

「わがんないよぉぉぉ!!」

それでも無理やりに前へと進もうとするが、皮に蜘蛛の脚が酷くめり込むだけで、一向に前へとは進まない。
そんなちぇんの耳にみしみしという音が聞こえてくるかのようだ。

錯乱しながらも、ちぇんは二本の尻尾を何度も叩きつけるが、そんなものが効く様な相手では無い。

どうしたらよい?
もう終わりなのか?

頭を巡るそれらの事が、内部から鐘を鳴らすかのようにちぇんを内から刺激する。
ギリギリと身体を外から締め上げられるのも合わせて、酷い頭痛が感じられた。

「わがらだいよぉぉぉおおお!!だんじゃまあぁぁぁぁあ!!」

幾ら考えても、顔を歪ませて、涙や涎といった様々な液体を撒き散らしながら叫ぶことしか出来ない。

やはり、終わりなのか。

段々と蜘蛛がちぇんの後頭部へと顔を近づけ、次の瞬間には他のゆっくり達と同じ様な運命を辿るであろう。
誰もがそう考える様な状況で、意外な事が発生した。

「ちぇえぇぇぇぇぇぇん!!」

ちぇんと蜘蛛の真横から飛び掛るように、体当たりする影が存在したのだ。
かなり強烈な衝撃だったのか、どうやっても外れなかったその蜘蛛の拘束が外れ、ちぇんと蜘蛛はバラバラに転がる。

そして、その間に割って入るように、先程の影がちぇんの前に立つ。

ちぇんと同じ楕円形のその身体に、八本の黄金の尾が付いたそれは。

――ゆっくりらんである。

「たすけにきたよ、ちぇん」

「らんじゃまぁぁぁぁぁああ!!!」

夢かと思うほどに、嬉しかった。
諦めかけていたその時に、求めて止まなかったその姿が眼の前に居る。

嬉しさの余り、涙と涎で汚れたその顔のまま、ちぇんはらんに飛び寄り、
そんな状態のちぇんを、らんは何ら嫌な顔をせずに受け止めた。

そして、ちぇんは元より、それは水槽を眺めていた二人には更に意外な出来事であった。

「後、二分程度だったのだが……」

二分というのはこの実験が終る時間であろう。
近くに置いてある砂時計を見ながら、副長は呟いた。

10分間、物に喰い付いて落ちないように耐えるこの実験も、何も思い付きで時間を決めた訳では無い。

野菜や果物を噛み切る事が出来るというのは、人間では当然過ぎて驚きに値しないが、ゆっくりのようなソフトボール大の重量の生物にしては相当なものである。
そのように食事などで試算された咬合力により、十分に可能と判断された数字なのだ。

ただ、その可能な筈なのに、何故これ程まで早くゆっくり達が落ちていってしまったのか?

それも偏にゆっくりの精神的な弱さ、人間的に言えば根性の無さが原因である。

この実験は、その精神面の強弱を調べる意味合いも存在した。

その中でも特に、自制心の強いゆっくりらん種はこの程度であれば問題無く突破出来るものと予想されていた。
上に居た時の様子にしても、それ程辛そうな様子も無かっただけに、何事も無ければ恐らくクリアしていたであろう。

ちぇん種に特別な感情を抱くらん種だけに、ちぇんの悲鳴を聞いて、助けに来るため危険を承知で降りてきたのかもしれない。

「……馬鹿な事を」

副長の横で眺めていた私はそう呟いて、ゆっくりらんを見た。

二匹は数瞬、嬉しそうに身体を寄せ合っていたが、未だ危険が去っていないのを感じて、らんがちぇんに離れるよう促す。

「ちぇんはさがっているんだよ。あとは、らんしゃまがあれをゆっくりとしまつするから」

「らんしゃま……わかったよー!!」

らんしゃまがそう言うなら大丈夫だ。

ちぇんはそう考え、安心した顔でピョンピョンと跳ね、らんと蜘蛛から距離を取った。
らんはそんな様子のちぇんを笑顔で見ていた後、敵である蜘蛛の方を向き直り、気持ちを引き締める。

――これは負ける訳にはいかない闘いだ。

そう心の中で復唱し、体勢を立て直し「シャワシャワ」と威嚇音を発する蜘蛛へと距離を詰めて行く。
後ろで心配そうに眼を潤ませるちぇんに対して振り返ることも無く、ただ目の前の敵の動向を窺い続ける。

ちぇんが「らんしゃまがまけるはずないよー、わかるよー」と小さな声で発する、その願望のような応援もらんには届いていなかっただろう。

「こおぉぉぉぉんっ!!」

先に仕掛けたのはらんの方だった。
予備動作も見せずに前方へと飛び上がり、全体重を掛けて押し潰そうという攻撃だ。

ただそれも、相手がゆっくりであったなら必殺となっていたであろうが、相手は蜘蛛という別の生物である。

複数の眼で即座にその行動を読み取り、素早く攻撃の当たらない位置まで横移動する。
らんが着地した際、最も無防備であろう側頭部に直ぐにでも跳び掛かれる位置だ。

その一連の動きに、闘いを見守るちぇんは息を呑み、水槽を眺める二人も思わず唸った。

「らんしゃまぁぁぁぁぁ!!」

らんが着地後、その次の惨劇を予測したちぇんは思わず叫ぶ。

幾ら尊敬する強くて格好良いらんしゃまでも、あの脚で組み付かれたらどうしようもない。
一度それを味わったちぇんは、誰よりもそれを理解していた。

しかし、そうは成らなかった。

着地後、その隙を狙った蜘蛛の突撃を、
何とらんは狙い済ましたかの様に、時間差で尻尾を蜘蛛の頭へとぶつけ、叩き伏せた。

そして、そのままの勢いを維持し、身を翻して、九つの尻尾を横薙ぎに払う。
それが直撃した蜘蛛は、木屑を舞い散らせながら吹き飛ぶ。

「す、凄い……」

思わず、私は呟いた。

あのゆっくりが大蜘蛛を圧倒する光景を目の当たりにするなんて。
こんな事、他の人間に話した所で信じて貰えないだろう。

チラリと、副長の方に目をやると、何やら嬉しそうに頷いていた。

「ソフトボール大のサイズのらん種ならば、その尻尾の大きさは普段私達が食べる稲荷寿司と良い勝負だ。」

「あれって、稲荷寿司だったんですか?」

「そうだよ。しかも、そんな物が九つも付いているとは、かなりの強力な武器を持ったゆっくりだとは思わないか?」

稲荷寿司に対して「武器」などと、のたまう人間を見る事になるとは思わなかった。
だが言われてみれば相当なものだ。

蟲と同じ大きさのご飯を手に取って重力に任せてぶつけてやれば、相当なダメージになる筈だ。
そのような代物が九つも有ると考えれば、体力的に考えてもあのらん種というのはかなり凄いように思えてきた。

それにしても無表情ではあるが、微かに抑揚の付いた言葉。
ついでに、喋りながらも少しも水槽から眼を離さない様子。

公平な態度を取っている様でいて、心の中ではゆっくりに勝って欲しいと願っている面も有るのかもしれない。

「さすがらんしゃま、つよいよー♪」

離れて様子を観ていたちぇんも、らんの優勢に嬉しそうに跳ね回る。
らんも、少しだけ横目でそのちぇんの様子を眺めたかと思うと、弱っている様子の蜘蛛へと駆け寄り、一気に捲くし立てようとする。

「ゆっくりしねぇぇぇぇぇぇ!!」

掛け声と共に強烈ならんの突撃だ。
このまま自分と水槽の壁で押し潰そうという攻撃のようだ。

終ったか――と思われた瞬間、蜘蛛が奇妙な行動を取り始めた。
何やら脚を自身の腹部に擦り付けるように、忙しなく動かし始めたのである。

「そう来たか……」

その謎の行動に対して、副長は俯き加減にそう呟き、
何が何なのか判らない私は、どうせまた始まるであろう解説に何処か期待しつつ、流れを見守る。

「ゆぐぁぁぁぁあ!!めが、め”がぁぁぁぁぁ!!」

すると突然、攻撃を仕掛けようとしたらんが、器用に尻尾で眼を押さえながら悶え始めた。
そこからは大量の涙が流れ出し、いきなりの戦局の変動に、跳ね回っていたちぇんも呆気に取られて身を固まらせていた。

蜘蛛の方はそんな様子を、無機質な眼で「シャワシャワ」という声を出しながら眺める。

「……毛だよ」

「毛?」

「そう、毒毛だよ。彼女らは……ああ、あの蜘蛛は雌なんだけどね。その脚で腹部に生えたそれを空間に散布し、外敵を撃退するのだよ」

「へぇー」

「これがまた痛い。私も彼女に初対面した時は何も知らずに喰らってしまったが、眼に入った瞬間まるで劇薬でも浴びせられたかのような激痛を味わったよ」

そーなのかー。
と、素直に感心した。

確かに、よく眼を凝らして見れば、何やら空気中にキラキラ光る物が漂っている。
ここでこの様な切り札を出すとは、見た目通りの恐ろしい生物だ。

そんな激痛に苛まれて木屑を舞わせながら転がり回るらんに対して、蜘蛛が逆襲へと移る。
背後から素早く忍び寄り、飛び掛ろうとした。

「ごおぉぉぉん!!」

さしものらんもそれを察してか、視界を奪われながらも闇雲に尻尾を振り回す。
だが、そんな物に当たる程愚鈍な敵ではなかった。

振り回し体勢が崩れた瞬間を的確に見抜き、背後から飛び付く。

らんのお尻の方に蜘蛛の頭が向くような変な体勢ではあるが、
遂に、八本の脚を全て使って、完璧に張り付かれてしまう。

それだけならまだ良かったのかも知れないが、その時には既に、ブチリと音を発して一度に二本もらんの尻尾が根元から噛み切られていた。

「ゆ”う”ぅぅいぃぃぃ!!」

更なる激痛に、大声を上げて転げ回るが、張り付いた蜘蛛は一向に離れようとはしなかった。
蜘蛛の脚の爪先が、らんの皮膚にめり込んでいるのが見える。

その喰らい付く様に差し込む脚ですら、相当な痛みをらんに与えるものであろう。
転げまわっている最中に、又一本尻尾が千切れ飛び、其処から内容物が吹き出始めた。

「ぎぃぃぃ!!」

しかし、歯を喰いしばって痛みに耐えている辺り、まだ諦めてはいないようだ。
未だ視界も回復しない中、背中に蜘蛛を張り付かせたまま、渾身の力を込めて上空へと飛ぶ。

普通のゆっくりならば、疾(とう)の昔に戦意など潰えてもおかしくない状況を、
それでも尚抗うのは、守るべきモノが存在するからだろうか。

重りを乗せたまま、自身の3倍近い高さを跳び上がり、そのまま蜘蛛を下にして地面へと落下し、木屑を舞わせる。

「……やったか?」

一瞬の静寂が辺りを包み、私も思わず声が漏れた。
声も出せずにその状況を見守っていただけのちぇんも、涙を零しながら笑顔を見せる。

だが、現実は非情である。

「うっ……わ”あ”ぁぁぁぁぁぁ!!」

らんが今までに無い絶叫を上げ始めた。
その声に、ちぇんは身を震わせ「らんしゃま、らんしゃま」と、オロオロと呟くだけだ。

私は水槽の外から身を屈めて、らんの下の蜘蛛を観てみる。

そこではもう、尻尾の切れた傷口から蜘蛛が頭を突き入れ、中でモゾモゾと頭を動かしていた。

「ゆ”っぐぅじぃぃぃ、はな”れ……ゆ”びい”ぃぃぃぃ!!」

もし此処が、この様な環境で無かったららんが勝てていたかもしれない。
例えば、硬い石の有る砂利道での闘いであれば、一撃では無いにしても、相当な痛手をあの蜘蛛に与えていた筈。

その筈なのだが、ここは違う。

蜘蛛の成育環境の為か、それとも、かなり高い位置からゆっくり達が落下しても大丈夫な様にか、
どちらにしても、下はかなりの衝撃を吸収してみせる木屑や藁を敷き詰めた足場だ。

らんの渾身の力を込めた跳躍も、全体重を掛けた攻撃も、全てそれによって無へと返されたようなものである。

「ゅ"あ"っ!!な"がぐぁ…な"がに、ゆ"っぐりでぎな"いも"のがぁ!!」

「らんしゃま!!らんしゃま!!」

「ぢぇん、ぢゅぇんぅぅぅぅぅ……ぎゅびゅぅぅぅぅぅぅぅ!!」

らんの一際大きな悲鳴が聞こえたかと思うと、毒毛によって赤黒く充血した眼を大きく見開き、ガクガクと痙攣し始めた。
恐らくは、他のゆっくりと同じ様に体内へ消化液を流し込まれている段階なのだろう。

「ぁぁ……ぢゅぇん、ぢゅぅぇん……」

「わ"がん"ない"よぉぉぉー!!わ"がる"わ"げな"いよぉぉぉぅ!!」

口とは裏腹に、この時のちぇんには一つ理解出来てきた事があった。
あの繭の中の不気味な何かは、この眼の前の蜘蛛が作り出したものだという事だ。

そして今正に、自分にとって最も大切なゆっくりであるらんが、それに成ろうとしている事も何と無く理解していた。
穴という穴から液体を噴出して、ブヨブヨと身体を震わせるだけの何かに。

そんな事を理解した所でどうと成る訳でもない。

あの大蜘蛛は自分より遥かに強かったらんしゃまが適わなかった生物だ。
そんなモノを前にして、何も出来る事など無い。

ちぇんは最早どうする事も出来ず、悲嘆に暮れて眼の前でらんが処理されていく様を見続けるしかなかった。

「ぢゅぅ…ぇぇぇん……」

儚く消え入りそうな声で、らんがちぇんの名前を呼び、それに反応してちぇんはビクリと身を震わせる。

らんが未だ声を発する事が出来たのは純粋に嬉しかったが、その言葉の続きを聞きたくは無かった。
もしその次の言葉が、自分に対しての助けを求める声だったとしたら――。

ちぇんにはその願いを叶える事など到底出来る訳も無く、それを想像すると恐ろしくなった。

「わがんないよぉぉぉ!!」

「ちぇ…ん……」

「ぎぎだぐないよぉぉぉ!!」

フルフルと首を振って、眼の前の現実から逃げようとするが、そんな事など出来るはずも無く、
ちぇんはその場で震え続けた。

自分を助けに来てくれた相手に、ちぇんは何も出来ない事を悟っていたからだ。

そんな様子のちぇんを、らんは息も絶え絶えの状態でありながら、少しだけその眼で確認すると、

「ぢゅぇぇぇぇん、らんじゃまの"ぶんま"で……ゆ"っく"り"、い"ぎる"んだよ"ぉぉぉぉぅ!!」

そう大声で叫んだ後、「い"ぎぃぃぃぃぃ!!」という断末魔を上げ、
その後は、時折蜘蛛がモゾモゾと動くとビクリと跳ね上がる程度の反応しかしない状態に成ってしまった。

「らん…しゃま……?」

先程、自分は何と言われたのだろうか?

いや、はっきりと聞き取った。
自身が死に絶えようという時ですら、らんしゃまはちぇんの事を思っているという事実を。

ちぇんはブワッっと、恐怖とは別の涙が溢れて来たのが判った。

助けを求めるだけで何も出来ない、こんな状況でも泣いてオロオロするしか出来ない自分の事を、そこまで想ってくれていた。

突然、少し前まで森の中で暮らしていた頃を思い出す。






らんとちぇんはここに来る前から、ゆっくりの群れの中でも寄り添って生きてきた。
両親を早くに亡くして、兄弟も無いちぇんは、そのままのたれ死ぬだけの運命であった筈だ。

それを、ほとんど年齢は変わらないというのに、らんはちぇんを養子にでもするかのように、自身の家へと招き入れた。

未だ成長し切っていない二人であり、他に頼る者など存在しては居なかった。
だがそんな中で、らんはちぇんを養うためにメキメキと自身の能力を高めていった。

恐らくは、自分はちぇんを守らなければならないという責任感がそうさせたのだろう。

暫く後には、群れの大人と比べても遜色無い、
下手をしたら群れ一番の狩りの名手へと成長していった。

一方のちぇんであったが、何をやらせても半人前以下で全くの駄目ゆっくりであった。
必死で狩りに励んでも獲物など少しも手に入らず、食料のほぼ全てはらんに頼りきりという状態が続いた。

そんなちぇんを、らんは「ちぇんはなにもせずに、ゆっくりしているだけでいいんだよ」と笑顔で優しく諭すだけであった。

もちろんそれは嬉しかったが、そんな反面、何時までもこのままではいけないという自立心みたいなものを掻き立てられたという面が存在したのは確かだ。

その為にちぇんは、群れの中でも悪知恵の働くゆっくりまりさに唆され、他のゆっくり数匹と一緒に人間の物を盗むという愚行に出てしまったのである。

言うまでも無く、ほとんどのゆっくり達は捕まってしまった。
主犯格のまりさだけは、他の者達が捕まった隙に森の中へと消えていった。

捕まったゆっくり達の処分と言えば、最近は直ぐに殺すなどという事もせず、初犯で有れば生活に支障が出ない場所に焼印などを押す。
そして、他のゆっくりと識別出来るようにした後に、森に返すなどといった対応をするのが一般的であった。

そこも例外では無かったのだが、運の悪い事に、ちぇん以外の者達が全て焼印持ちであったのだ。

結局、更正の可能性が無い集団という事で、ちぇんだけ特別という事にはならず、一緒にこの施設へと送られる事となった。

その際に、ちぇんを助けるべくらんが乱入してきたのだが、流石のらんでも人間相手では適う筈も無く、取り押さえられてしまった。

そんな成り行きで捕まりはしたが、最初は「仲間を助けるためにやってきたのだろう」という事で、らんだけは森に返される事になっていた。

だが、それを聞いたらんが「ちぇんをどこかにつれていくというなら、じぶんもついていく」と言い出し、
頑として言う事を聞かなかった為に、らんもここに連れて来られる事となったのだ。




そんな過去が自分の中を巡り、ちぇんは思った。

自分はなんて最低なゆっくりなのだろう、と。

こんな事になってしまったのは全て自分のせいでは無いか。
それを半ば忘れてしまっていた。

其れだけではない。
その元凶の自分が、こんな場所に連れて来られても何も責める事も無く、ただ守り続けてくれた相手を見捨てようとしたのだ。

「わがんないよ……」

自身の不甲斐無さに、ボロボロと涙が出た。

ああ、何故自分はこんなにも馬鹿なのだろう。
もし自分がらんしゃまの傍に居なければ、らんしゃまがこんな酷い目に遭う事なんて無かったのに。

何で自分のような駄目な存在が生まれて来たのだろう。

そんな事、ゆっくりであるちぇんには理解出来る筈が無い。

「わがんないよ……でも……」

突然、今まで動こうとしなかったちぇんが、らんとそれに取りついている蜘蛛の方へと駆け始める。

「でも、ここでなにもしなかったら!!らんしゃまがいなくなっちゃうってことくらいわかるよー!!」

「窮鼠猫を噛む」とはよく言ったものである。
この場合は、猫のようなちぇんがネズミに当たるが。

頭につらづらと浮かんだそれらを払拭するかの如く、ちぇんは勝ち目の無い戦いに挑む事を決め、
眼前の敵へと飛び掛ったのであった。






後書き

この話は恐らく次で一端終了します。
最初のれいむの話が短編1としたらこれは短編2という事になりますか。





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最終更新:2022年05月03日 09:42