今の主人に仕え始めてはや10年がたっただろうか。
広大な敷地を持つこの屋敷にもすっかりなれた。
私の主人にはすこし変わった趣味がある。
それはゆっくりと呼ばれる饅頭状の物体を屋敷へと招いて豪勢に持て成すのだ。
屋敷に招くのは野生で暮らすゆっくりだ。
豪華な食事や高級なワイン、有名な演奏者による音楽で持て成す。
ゆっくりは元より人間でも早々味わったことの無い贅沢だ。
それでも必ずしも喜んで貰えないと主人は言う。
ゆっくりの価値観は人間とはかなり異なっているそうだ。
屋敷に招待するゆっくりを探すのは私の仕事だ。
今日もこうして近くの林にゆっくりを探しに来ている。
開けた林道から木々の間を抜けて林の奥に入っていくと、
背の低い草むらの中で寄り添う2匹のゆっくりの姿を発見した。
2匹に近づきながら様子を伺うと、二人で空を見上げながら
風にそよぐ様にゆらゆらと揺れている。
なにをしているのだろうか?そんな事は考えるだけで無駄である。
2匹に直接聞いたとしても、ゆっくりしていると言う意味不明な答えが帰ってくるだけだろう。
私はなにも考えずに2匹の前に行き、適当な言葉で屋敷へと招待した。
屋敷に戻った私は、
招待したゆっくりの底部を、新品のタオルで拭き土汚れを落とし主人の元へと運んだ。
野生のゆっくりにとって屋敷にある物は見る物全て珍しい物なのだろう。
運んでいる間、2匹は廊下から見える家具や調度品を物珍しそうに見つめていた。
主人の居る部屋に2匹を運び、椅子に座っている主人の前に降ろす。
私は部屋の扉の脇まで下がり主人からの申しつけを待つ。
主人が2匹に向けて手招きをすると、
それを理解したのか2匹は主人の方へと近づいていった。
主人が二人の名前を聞くと、
黒い髪に赤いリボンをした方が「れいむ」
金髪に黒い帽子をかぶった方が「まりさ」と名乗った。
今までに何度と無く聞いてきた名前だが、主人はその返事に嬉しそうに2匹の頭を撫でていた。
しばらく主人と2匹のゆっくりの雑談が続く。
時折、主人の楽しそうな笑い声が聞こえる。
家族を先立たれてから、あの様な楽しそうな顔をする事は滅多にない。
主人から私に声が掛かる。
「れいむ」と「まりさ」の為の食事の用意をしろとの事だ。
私は主人の居る部屋を後にし屋敷の厨房へと向かった。
厨房では既に食事の準備が進んでいる。
私が来たことで料理が一斉に盛り付けられていく。
私は出来立ての食事を持ち主人の居る部屋へと戻った。
2匹の前に運んできた食事を置く。匂いに釣られて2匹のゆっくりが近づいてくる。
私は主人が進めた料理を順に2匹の口に運ぶ。
新しい料理を口にする度、2匹は料理の美味しさを声に出して褒め称えていた。
主人は、食事を平らげ、満足そうにしているゆっくり達を膝元へと招いた。
2匹を同時に乗せるには主人の膝は聊か狭い、主人が選んだのは「れいむ」の方だった。
主人の可愛がりが始まる。
ゆっくりにとっての最上級の愛情表現はお互いの頬と頬をこすり合わせることだという。
主人はこの愛情表現を大層気に入っていた。
膝に招かれた「れいむ」は、頬擦りを始める前に頬の感触を確かめるように主人の手で撫でられていた。
スリスリという肌がこすれる音とゆっくりの気持ちよさそうな鳴き声がもれてくる。
これから主人の長い長い頬擦りが始まる。
スリスリという音の代わりにジョリジョリという音が聞こえてくる。
主人の頬から顎にかけて生えた短い髭が「れいむ」の頬を引っかいている。
主人の髭はかなりの剛毛だ。表面上綺麗に剃られている様に見えても触ると鮫肌のような感触を覚える。
短い髭が針のようにゆっくりの頬に刺さり削り取っていた。
すこしずつすこしずつ削られていく「れいむ」の頬。
削り取られた頬だったものが辺りに撒き散らされていく。
悲痛な叫び声を上げる「れいむ」の後ろで「まりさ」は声も出せずに震えていた。
突然の光景に何が起こっているのかわからない、先ほどまであんなにゆっくりしていたのに、
今はこれまで聞いたことのない様な声を「れいむ」があげている。
理解できない恐怖に耐えかねたのか「まりさ」は部屋の出入り口に立っている私の元へと跳ねて来た。
不安げな表情で喋るその口元をかすかに震えていた。
「まりさ」は家に帰る、家に帰ると何度も繰り返した。
あまりに取り乱した様子に連れの方はどうするのかと問い掛けると、
何かを勘違いしたのか早く外に連れて行って欲しいと答えた。
主人からは帰りたいと言った場合、無理に引き留めず、屋敷の外まで案内するよう言われている。
私は「まりさ」を抱きかかえると部屋から出て屋敷の外へと歩いていった。
屋敷の門の外まで運び「まりさ」を見送った後で、主人のいる部屋へと戻った。
主人の頬擦りはまだ続いていた。
既に「れいむ」の頬の皮は擦り切れている。
主人の頬は「れいむ」の中身で黒く汚れていた。
これほど長い時間頬擦りをしているという事は「れいむ」の事を余程お気に召したのだろう。
ようやく満足した主人は、私に「れいむ」を渡し、何時もの様にとそれだけ仰った。
私は主人の部屋からすこし離れた薬品臭い部屋へと「れいむ」を運び部屋にある台の上に置いた。
何時ものように準備を済ませ、ナイフで「れいむ」の残っている方の頬を切り取った。
既に虫の息だった「れいむ」はナイフを刺しても軽く身震いする程度で抵抗する事はない。
切り取った頬をホルマリンで満たされた容器へと移し蓋をする。
私はそれを主人のコレクションが置いてある部屋へと運び一番奥の空いている場所に置いた。
その部屋には今日運ばれてきた「れいむ」と同じ様に何匹ものゆっくりが容器に入れられ並んでいた。
主人がこの様な趣味に目覚めたのは3年ほど前、今では100匹以上のゆっくりがそこに並んでいる。
部屋を出ようとする私の目に入るものはというと無数に並んだ生首の数々。
その中でも古くからある容器の中では頬の皮一枚だったものが体の一部と言えるまでに復元している。
体の断面を晒しながら容器の中で浮かぶ表情の断片は何とも不気味なものだ。
先ほどの部屋へと戻った私は台の上にいる「れいむ」を持ち、屋敷の外へと運ぶ。
屋敷の外に出た私の目に入ったのは、先ほど家に帰っていったはずの「まりさ」の姿だった。
あの時、確かに森に帰っていくのを見送ったはずだが、「れいむ」が心配になって戻ってきたのだろうか。
それでも屋敷の中に入るのが怖かったのか門から中には入ってこない。
「れいむ」を持って外に出てきた私の姿を見つけてもそれは変わらない。
ゆっくりと近づいてくる私をオロオロとした様子で待っていた。
私が「れいむ」を地面へとおろすと、
すっかり変わってしまった「れいむ」に驚きながらも
「まりさ」は心配そうに声を掛けていた。
「れいむ」の意識はまだ戻らない。
すっかり暗くなってしまった空のもとで「まりさ」の声だけが響いていた。
翌朝、朝焼けと共に目覚めた渡しは、身だしなみを整え箒を手に屋敷の外へと出た。
私の朝は屋敷の周りの掃除から始まる。
主人が起きる前に素早く済ませなくてはいけない。
昨日の場所に「れいむ」と「まりさ」の姿は無い。
そこに残されいたのは、昨日の「れいむ」の餡子のかけら。
尾を引く様に毀れた先に誰かの食べ残しがポツンと落ちていた。
最終更新:2022年05月18日 22:19