今までに書いたもの

  • 神をも恐れぬ



 晩秋の妖怪の山を彩るのは、枝々に連なる赤、黄、褐色と色とりどりの葉。
 それは寂しさと終焉の象徴たる神が、秋の終わりに人妖へ贈る一時の別れの餞だ。
 この生に溢れた艶やかな山の装いは、あと二週間ほども経てば死と静謐を伴う白装束へと変わる。
 山の豊かな恵を得られるのもそれまでの間のこと。冬の精や妖でもない限り、春まで野山を駆け回ることなどできはしない。
 だから今この瞬間も山のあちこちで、人や寒さを苦手とする一部の妖、そして野山の獣たちは、木々を振り仰いで秋との別れを惜しみつつ越冬の準備を急いでいる。

「まりさ、ゆっくりしないでね!」
「ゆっくりいそいでたべものをあつめるんだぜ!」
 もうすぐ来たるべき季節の恐ろしさは、何かと危機感に欠けるきらいのあるゆっくり達にも流石によく知れ渡っていた。
 この時期、珍しくも彼らの口をついて出るのは滅多に聞かれぬ督促の言葉。
 一対のゆっくり――まりさとれいむのまだ若いつがいが、落葉を蹴立てて山中を飛び跳ねている。
 れいむは頬をぷっくりと膨らませ、狩り集めた大量の食料を口に含んでいた。
 まりさご自慢の帽子は、中に何かを詰め込んでいるようにぼこぼこと少々型崩れしたように角ばっている。
 二匹とも、親元から独立したばかりの個体という夫婦だった。親の教育がよかったのだろう、初めての越冬にしてはその準備は手馴れたものだ。
 彼らが目指す、柔らかい土中に掘り進んだ我が家には既に二匹の越冬に十分な食料が蓄えられている。
 この夫婦はそれでよしとせず、万が一つに備えて――そして実際、ゆっくり種には思いもかけない「万が一」が稀によくある事でもあった――今もこうして食料調達の準備に余念がないのだ。
「むーしゃむーしゃ、しあわせー」
 ……余念が、ないのだ。
 ただし、餡子脳の理解できる範疇でという但し書きが着くのだが。
「ゆっ! まりさ、つまみぐいはだめだよ!」
 すぐ側を飛び跳ねていたはずのまりさの声が遠ざかり、しかも聞き捨てならない台詞をほざいている事に気付いてれいむの血相が見事に変わった。
「ゆっ。でもおなかがへったらかりもできないんだぜ!」
 振り向いた姿のまま、威嚇するようにぷくーっと膨れる相方のれいむにまりさはすねたように視線を反らしてそう応えた。
「はんぶんのこしたかられいむはそれをたべるといいんだぜ!」
 その言葉はまりさのせいいっぱいの妥協だろう。
 確かに、ここ数日に獲得した食べ物はほとんど貯蔵用に回していて、少しばかりお腹が空いていたのはれいむも同じだった。
 少しばかりは仕方がないことなのかもしれない。れいむは難しい顔をややゆるめ、小さく軽い溜息をついた。
「れいむのおくちはたべものでいっぱいだからたべられないよ。まりさ、ほりだしてもってきてね!」
「わ、わかったんだぜ」
 どうやら、ご機嫌斜めの愛する伴侶はとりあえず納得してくれたらしい。
 内心ほっと溜息吐きつつ、これ以上怒らせないうちにと獲物を掘り出しに掛かるまりさである。


「……きのこかとおもったら、むしさんだったんだぜ」
 ようやく根まで掘り出し、まりさは思わぬ発見に軽く目を見開いた。
 その時、突然現れた仲間の影に気付いて慌てて手に入れた食料を器用に帽子の中へと隠し込む。
「あ、ぱ、ぱちゅりー。ゆっくりしていってね」
 とっさにぎこちない笑顔を作り、まりさはいつの間にかそこにいたぱちゅりーへとお定まりの挨拶を投げかけた。
 このぱちゅりーは、まりさとれいむ共通の幼馴染だった。その性格はよく知っている。食い物にそうがめつい方ではない――が、思わず獲物を隠したのは冬篭りを控えたゆっくりの習性というやつだ。
「……むきゅ、ゆっくりしていってね……まりさ。いま、それをたべたのよね?」
 果たして、ぱちゅりーはゆっくりならば無視できないはずのその挨拶に生返事で返し、一歩を詰め寄りながらそう問いかける。
 その目線は、先ほどの「むしさん」が隠し込まれた帽子をはっきり指している。
 何もないんだぜ、なんてまりさの弁明を聞いている様子はない。その表情は真剣を通り越して、深刻とさえ呼べそうなものだ。
「ま、まりさがみつけたんだぜ。これはまりさとれいむのたべものなんだぜ」
 言い逃れは、できないらしい。ぱちゅりーの態度にようやくそれを理解させられ、今度は逆に自分のものを奪われる理不尽に不快を覚えてまりさはやや語気を強めた。
「むきゅ。とったりはしないわよ。くれるっていっても――」
 露骨に横取りを警戒するまりさの表情に、ぱちぇりーは何かを言いかけて言葉をとぎらせる。
 ぱちぇりーが自分に向ける瞳の奥に揺れる光を、まりさがどう捉えたかは分からない。
 出会う他人を全て食料調達の競争相手に変換する程度の餡子脳ではせいぜい、よほど切羽詰ってるんだろうぐらいにしか考えられなかっただろうか。
 実際にはそれはまるでベクトルの違う、哀れみ、惜別とでも呼ぶべき類の感情だったのだが……。
「たべたのね?」
「たべたんだぜ?」
 再度、ぱちゅりーが問いかける。
 食べて、それの、何が悪いのか。まりさはますます腹が立ってきた。
 これは間違いなく、まりさがみつけたまりさたちの食べ物だ。それをまりさたちが食べて、何が悪いというんだろう?
「……ならいいわ。れいむをまたせちゃだめだから、いってあげて」
 今度ははっきりと怒気を孕んだ回答に得心したように頷いて、ぱちゅりーは視線でまりさを促した。まるで、今までの問答をなかったことにするように。
 その酷くコミュニケーションに欠けた――ゆっくりできないぱちゅりーの様子に、まりさは既に完全に腹を立てている。
「……きょうのぱちゅりー、わけがわからないんだぜ。ゆっくりできないぱちゅりーはさっさとしぬといいんだぜ」
 怒りに任せ、一言罵声を放って身を翻した。
 ほんの少し、ぱちゅりーの様子に疑問が芽生えかけていたが――それも罵声に一瞥を返しただけのぱちゅりーの態度にかき消されてしまう。
「……ほしくさを、おおめによういしておくひつようがあるかしら」
 ドスドスと、音を立てながら遠ざかる友人の姿をしばらく見詰めていたぱちゅりーは、ぷるぷると頭……というか体を震わせて深々と溜息を吐く。
 そのはずみに大きくごほごほと咳き込むと、常になく急いだ様子で跳ね出した。
 目的地は巣穴――ではなく、その正反対にある方向。即ちこの群れのドスが住まう大木のうろである。



   *               *               *



 ――翌朝の、ことだった。
 冬場、ゆっくりたちはねぐらに篭って備蓄した食糧を貪りながら、外界に出ることなく春の目覚めをひたすら夢見て暮らす。
 何しろ冬の寒さと乾燥した空気はゆっくりたちの皮から容赦なく柔軟性を奪うし、体が凍り付けばゆっくりといえど死に至ることも珍しくない。
 雪の上を進めば知らないうちに知らないうちに大量の水分を吸収して溶けてしまう事にも成りかねない。
 そもそも、外界からは餌となるべきものがほとんど姿を消してしまう。ないものを見つける事はできないのだ。
 先のまりさとれいむの夫婦は、それがわからないほど愚かではなかったし、すっきりを我慢できないほど奔放な性格でもなかった。
 ……だというのに。
「「どぼぢであ゛がぢゃ゛ん゛がでぎでる゛の゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛!!!!」 」」
 枯れた大木に穿った巣穴の奥、泣き叫ぶゆっくり二匹の額に二本の突起物が生えていた。
 植物型妊娠――その茎だろう。未だ生え始めたばかりで短く、実も小さく未成熟な言わば『赤ゆっくりの素』が、二匹から共に生えていた。
 お互い相手とすっきりなどした覚えのない、二匹の親それぞれに生えていた。
「どぼい゛う゛ごどな゛の゛ばり゛ざ! れ゛い゛む゛は゛ぎの゛う゛、だれ゛どもずっぎりじでな゛い゛よ゛!」
「ゆ゛ゆ゛っ!? ぞ、ぞん゛な゛ごどい゛わ゛れ゛でも゛じら゛な゛い゛ん゛だぜぇ゛ぇ゛!! ばり゛ざだっでずっぎり゛じだお゛ぼえばな゛い゛ん゛だぜ!!」
 覚えはない。絶対に。ただし、それは自分自身の話に限る。
 だからまず、二人が行ったのはお互い相手が赤ゆっくりの生る茎を生やしているその事実が意味する事についてで、
「どお゛やっであ゛がぢゃん゛ぞだでる゛の゛!? だべも゛の゛だり゛だい゛でじょお゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛!!」
「ぞんな゛の゛ばり゛ざの゛ぼう゛がぎぎだい゛よ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛! でい゛ぶの゛ばがあ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛っ!!」
 ついで結果として生まれてくるだろう赤ゆっくりがもたらす恐るべき状況――備蓄食料の絶対的な不足についてだった。
 子供ができた。だが、自分にその原因となる記憶は一切ない。だから、子供ができる原因は相手側にある。
 相手は子供を作ってしまった。だからその作った先の未来も全て相手のせい――のはず、なのだが。さすがの餡子脳でも、そこで一つ引っかかる事が出てくる。
「……ひょっとすると、ふたりともねぼけてわすれてるだけかもしれないんだぜ」
「ゆぅ……そうかもしれないね。ふたりともあかちゃんできてる」
 まあ、巣穴の出口は密閉されたままで開けられた様子はないことだし、冬篭りの初日にわざわざ巣穴から這い出して近隣の同族へと
夜討ちを掛けるありす種というのも――考えられない訳ではないが、やはり可能性は高くはない。
 なにより、相手だけならともかく自分も妊娠していると言う事実に、二匹は互いを罵り合ううちに否応なく気付かされてしまった。
 罵り合っていた時間は、決して短いものではなかったのだ。二匹のゆっくりはようやく心を落ち着かせて、あらためてお互いの額に生えた短い茎をしみじみ見遣る。
「まだあかちゃんはかたちもできてないんだぜ。きっととってもゆっくりしたこどもになるんだぜ」
「……ごめんねまりさ」
「わたしこそごめんだぜ、れいむ」
 二匹、互いに謝り合って、可笑しさを堪えきれずにくすくすと笑顔を零した。既にその頭の中には、これから迎えるだろう食糧難の事など残っていない。
 ただ楽天的な未来図を胸に、二匹は軽く体を寄せ合って改めて未だ形を持たぬ我が子にそろって祝福の声を掛ける。 
「「ゆっくりうまれてきてね!」」
 ……きっと、春先、冬篭りのあける頃。
 多くの赤ちゃんと共に久方ぶりの太陽の下に這い出すその日を思い描いて。



   *               *               *



 ――そんな幸せな記憶は、決して豊かではないゆっくりの記憶力の中にもつい先日のこととして鮮やかに残っている。
 だと言うのに。
 数日前まで白一色に塗りつぶされていた外界は、穏やかな日差しの下に豊かな色彩を取り戻したのに。
「……どぼぢで、どぼぢで……」
 未だ茎を生やしたまま、しわがれた声でうつろに呟くれいむの前で、
「どぼぢでばりざがじんじゃう゛の゛お゛ぉ゛……!!」
 まりさはただの黒一色の塊となって朽ち果てていた。
 二匹の姿は基本的に冬先と何も変わらぬようで、しかし揃って異貌へと変わっている。
 まず、異常に痩せこけていた。
 ゆっくりが冬場に痩せこけること、それ自体は異常でもなんでもない。多くの場合、それは冬篭りの前に食料を集める努力が足りなかったことに起因する。
 つまり、単純な飢餓の結果として痩せ、餓死するのだ。
 だが、この夫婦の場合はそれは当てはまらない。
 彼らは周到に冬篭りの準備をしていたし、実際れいむのすぐ後ろには未だ手付かずの食料が不自然なほど多く遺されている。
 食料が不足した結果の飢餓とは考えがたい状況なのだが……事実として死したまりさと生きているれいむはやつれ果てていた。
 外見上の異変は、それだけではなかった。もう一つある、冬前と同じで、だが同じではない身体の異常。
「あ゛がぢゃん゛、じゃな゛い゛。ごん゛な゛の゛あ゛がぢゃん゛の゛ばずがな゛い゛……」
 もはや生気の欠片もなく、うわごとのように呟き続けるれいむが見上げるのは、己の額から伸びる茎だ。
 長さは、おおよそ十尺を超える。明らかに、異常なほどに長すぎた。長すぎるあまり、自重によって地に垂れていた。
 赤ちゃんたる実もそこには生っていないというのに。

 そう、実は生っていない。
 生まれた結果、そこにないのではない。この夫婦の額に生えた茎は、一度として実をつけることなく茎のみが成長を続けたのだ。
 しかも、その茎が伸びるに連れてれいむとまりさは身体が動かなくなるのを感じていた。
 もとより妊娠したゆっくりは、子供の発育を妨げない為に活発な活動をしなくなる。ましてや、冬篭りの巣の中のことだ。
 巣穴の中にいてすら、冬の寒気は容赦なく二匹の身体を苛んでいた。身体が動きにくいのも、きっとそのせいだ。
 無理に動く必要もなく、また独立して初めての冬篭りでもあり、そんな希望的観測に縋ってとにかく春の訪れを待ちわびる内に、全ては手遅れになっていた。
 茎はひたすら伸び続け、れいむとまりさの栄養を吸い上げ、身体はどんどん言う事を聞かなくなり、餌場へと身体を向けることすらできなくなっていく。
 それでも赤ちゃんが生る事を信じ、まだ動く口から互いを励ます言葉を投げかけあい――やがて、憔悴がより激しい魔理沙は言葉を紡ぐことすらできなくなり。



 まりさが身じろぎ一つしなくなり、黒ずんだ物体と成り果ててから、れいむは日数を数える事を止めていた。



 どれ程の時間、そうやっていたことだろう。
 二本の茎は伸び続け、れいむはやせ細り、黒い物体はなおも成長する茎に中身を吸われてどんどんその形をぐずぐずに崩していった。
 しかしどんなに時間が流れても、れいむの時間は止まったままだ。まりさが死んだその瞬間から、何も変わらずまりさへの哀惜と子の生らぬ茎への呪詛の言葉を呟き続けている。
 外形的な変化と、内面的な不変が同居するその空間。
 やがてそれを破ったのは、春が来て数日たったある日、必然として訪れた来客だった。
「……ゆ゛っ?」
「むきゅ。誰か、生きてる?」
 幼いころから慣れ親しんだ声が、死に絶えたかと思えたれいむの心を覚醒させた。
 幻聴か。心に浮かんだその疑問に怯えつつ、れいむは心に浮かんだその名を力の限りの大声で呼ばわる。
「ばぢぇ゛り゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛!!」
「そのこえはれいむね……いいわ、はこんできて」
 応じる声は、紛れもなく幼馴染のものだ。
 伴侶が目の前で死を迎え、自身も限りなく衰弱し、もはや二度とは会えぬものと思い定めていた相手の声に、俄かにれいむは生への渇望を取り戻す。
 だが、幾ら待ってもぱちぇりーが中に入ってくる様子はない。その代わり、入り口から押し込まれるものがあった。
 最初、れいむは何が起きているのか理解できず、それが頬に押し当てられるまでに迫ってからようやく理解し、歓喜の声と共にそれにむしゃぶりつく。
「むーしゃ! むーしゃ! じあわぜえええぇぇ!! あ゛り゛がどお゛ね゛、ぼん゛どう゛に゛あ゛り゛がどう゛ね゛」
 次から次へと巣の中に投げ込まれ、れいむの身体を押し包む程にまで迫ったのはよく乾いた干草だった。
 ゆっくりにも食べる事のできる……というより、野生の彼らにとってはご馳走の一つにすらなるだろう。
「むきゅ、おくまでとどいたみたいね……ごめんね、れいむ」
 何故、ぱちゅりーが謝るのだろう。迷惑を掛けて謝らなければならないのは、れいむのはずなのに。
 そんな疑問が餡子脳の片隅に生まれ、しかしすぐさま食欲によってかき消された。
 今は、この厚意に感謝して腹を膨らせなければ。
 せっかく食べ物を食べられるほどの近くに差し出してもらって、礼も言えずに餓死しましたでは流石に冗談にもならない。
「みんな、さがるの。ちぇん、まっちをもってきて」
「わかったよー」
 そんなれいむの姿をどう思っているのだろうか。巣穴のすぐ外では、幼馴染でもある二人の会話がどこか悲しそうな声音で交わされていた。
 それよりもう少し遠くには多くの群れの仲間が取り巻いているらしく、ざわめく気配が伝わってくる。
 ……相変わらず、誰一人巣穴の中にまで様子を見に来ようとはしない。
 明らかに、微妙な空気が周辺を支配している。だがそれさえも、今の極限状態にあるれいむには自分との関係を見出せないことだったけど。
「……ドス」
「……かなしいけど、これせいぞんきょうそうなのよね」
 促す声と、頷く気配。
 そこでようやくれいむが違和感を感知したのは、目の前の干草を食い進み、相変わらず身体は動かないままにも人心地ついたからだろうか。
「……ゆっ?」
 春風だろうか。暖かい空気がまた巣穴に流れ込んでくるのを感じ、何とか身体をよじってれいむは巣穴の入り口を見た。
 そして、そこに立ち込める多くの黒い煙を見て驚愕する。
「ゆゆっ、ゆゆ……ゆ゛ーっ!!」
 瞬く間に黒い煙が増え、暖かい空気は強烈な熱気に変わり、たちまちれいむとまりさの巣穴の隅々まで充満していく。
 その只中に、生けるれいむと死体のまりさを止めたままで。
「どぼぢで、どぼぢででい゛ぶどばりざの゛お゛う゛ぢがぼえ゛でる゛の゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛!!」
 身動き出来ないれいむにできる事は、せいぜい枯れ切った声で泣き叫ぶ事ぐらいのもの――即ち、ただ漠然と着実に迫る死を待ちわびるだけの作業。
 つい先ほど救われたと信じた境遇に再び放り込まれて恐慌に陥るれいむを他所に、激しく燃え上がる紅蓮の炎は徐々にその領域を巣穴の全域に押し広げていく。
「でい゛ぶの゛あ゛がぢゃん゛が……ばり゛ざが……ぼ、ぼえ゛る゛ぅ゛ぅ゛、ぼえ゛ぢゃう゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛……」
 元より枯れた古木を利用した巣穴のことだ、火の回りはあまりに早い。
 たちまちまりさから長く伸びた茎が、炎の舌に舐め取られた。
 れいむたちから生命を奪い取りつつ、他の何も齎さなかったそいつ。
 まりさが死んでからもポンプのようにその命の名残を吸い取り続けていたそいつを、子であることを否定したはずのそいつを、れいむは表情の抜け落ちた顔でに「あかちゃん」と呼んだ。
 導火線として紅蓮の色をまりさへと伝える。
 その炎が黒い塊に辿り付いた瞬間、ボッ、と爆発的に赤が燃え上がり――砕け散り、空中に漂う無数の火の粉となって消えた。

 後には、何も残らない。
 そこに生きた痕跡も、共に未来を誓った証も、子を遺そうとした意思も。
 何も、何も、何一つ。

 文字通り欠片一つ残さないその光景を目の当たりにして、

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」

 すでに溶け崩れつつあったれいむの精神は、今度こそ完全に崩壊した。



 天を衝くような炎の柱と化した古木を、多くのゆっくり達が取り巻いていた。
 表情に大きな揺らぎもなく淡々と炎を眺めるもの、伴侶に寄りかかって静かに泣くもの、隣人と渋面でなにやら囁き交わすもの、
その反応は様々だが一つだけ、共通して窺える反応があった。
 その一様に共通するのは安堵――そう、安堵だ。
「……れいむ、ごめんね」
 詫びの言葉を呟くぱちゅりーの前で、入り口が焼け落ちた幹によって潰された。
 悲鳴とも咆哮ともつかない声は、その奥から未だに響いている。
 聞くに堪えないその断末魔の叫びを、ぱちゅりーにはドスと共に最後まで聞き遂げる義務があった。
 巣への焼き討ちを主導したのは、彼女だったのだから。
(まりさがあんなものを見つけなければ……)
 そんなことを一瞬だけ想い、それを逃避だと退ける。
 少なくとも、ぱちゅりーにはれいむだけならば助ける選択肢もあった。巻き添えという選択肢を選んだのは、自分だ。そこから逃げる事などできない。

 虫草、という草がある。
 正確には植物ではなく菌類だ。昆虫に寄生し、その身体を苗床として奪い取り、繁殖する。
 全ては晩秋にまりさが見つけたあのきのこから始まった。
 あの、まりさが虫かきのこか判別を付けかねた獲物――あれこそが虫草の変種だったのだ。
 物知りのぱちゅりーは、あれがゆっくりに取っても有害な存在だという事を収拾した文物の中にたまたま紛れていた新聞――文々。新聞の記述により知っていた。
 知っていたが、それと気付いた時には虫草は既に半分までまりさの口の中にあった。
 既にまりさは助けられない。しかも残りの半分を、まりさはれいむに与えると言っている。
 ぱちゅりーは咄嗟に事実を話し、れいむだけでも救うか、ここは自分の胸だけに止めて後の対処をドスと相談するかの選択を迫られ――一瞬の躊躇の後、後者を選択した。
 事実を話し、もしまりさが自分の確実な死に抵抗しようとしたら。胞子を撒き散らす苗床となる瞬間まで生き残ろうと喘いだとしたら。
 群れに及ぶ危険を、見過ごす事は出来ないと結論付けた結果だった。
「れいむはびょうきなんだよ……それもなおらないし、ほかのゆっくりにもうつるかもしれない」
 ドスもまた、ぱちゅりーの見解に同意した。
「だから、おうちごともやすしかなかったんだよー。わかってねー……」
 冬篭りに入る直前、れいむとまりさを除いて密かに執り行われた群れの集会で、二人やぱちゅりーの共通の幼馴染であるちぇんもそれに反対しなかった。

 群れが選択したのは、情ではなく生存。
 ただ、それだけのこと。本当に、ただそれだけのことだ。
 でも、それがこの決定を主導したぱちゅりーの心を休める材料とならなかっただけの話で。

 果たしてぱちゅりーはこの後の生ある間、れいむとまりさの幻影に悩まされることとなった。
 彼女が苦悶の内に病による死を迎えることになったのは、二匹の死から年を隔てぬ秋のことだったという。

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まあ本当の虫草は大きくても5センチ程度らしいですが。
子供の頃は冬虫夏草って普通の植物だと信じてたのもいい思い出。

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最終更新:2022年05月21日 23:26