そして、ロダクの谷すべてを乞食して、ロダク・デボチェ(lho brag bre bo che)の21ケルのネーを得て、そのうち14ケルで内側外側ともによごれや錆などにおおわれていない4つの把手のある銅の鍋を買った。1ケルで肉と酒を買い、残り6ケルを大きな袋に入れ、その袋の口に銅の鍋を載せて〔それらを〕担いで帰り、ラマのお宅に到着すると、疲れから〔荷物を〕どさっと置いてしまったので、邸宅は揺れました。ラマはお食事中でありましたが、途中で立ち上がり、
「小僧よ、力は強いな。おまえは我々も呪術で建物の下敷きにし、殺そうと思っているのか。相性がとても悪いので、ネーの袋を外にだせ」
とおっしゃって、(そのネーの袋を)足で蹴ってどかしたので、ひとまず外に出さざるをえなくなった。ラマはかんしゃく持ちのお方で、お側ではそのような仕え方をし、態度を示さねばならないと考えただけで、邪見は生じなかった(=信心は揺るがなかった)。
そして、その銅鍋を空っぽのまま朿脩として献上した。礼拝すると、(マルパは)銅鍋を御手にとったまま、しばらく眼を細めて、もの思いにふけった後、涙を流されて、
「縁起がよい。大学者ナーローパに捧げよう」
とおっしゃった。お手にとり上げられて、その銅鍋の把手をゆすり、棒で打ってどんな音が出るのか試してから、仏間にお運びになった。そしてバター灯明の溶かしたバターで満たし、置いた。
その時、私は、悲しみつつ、求法の強い願いから、何度も「法と教戒をお授けください」と申し上げると、ラマは次のようにおっしゃった。
「私の所にウー・ツァンから信心深い弟子たちがとてもたくさんやって来るが、それをヤムドク・タクルンの者とリンの者が攻撃して、糧食や水、捧げものを無駄にしてしまう。その2者に雹をそれぞれ降らせよ。それも法である。教戒も与えよう」
とおっしゃったので、その2者に大きな雹を降らせた。教戒を求めると、
「お前が雹の固まりを3つづつ降らせたことは、私がインドから苦労して得た法に決して値しない。どうしても法が必要なら、ロダクのこのラカワたちが、私のニェルとロロからの弟子たちを討ち、私のこともたいへん軽んじている。そこで、お前に強い呪術の力があるというのなら、お前がこのラカワたちに呪術をおこなえ。呪術の験が現れたなら、大学者ナーローパの即身成仏の教戒があるので与えよう」
とおっしゃった。
そこで、呪術をおこなうと、ラカワの人たちに混乱が生じた。(マルパの)御心を患わせていたたくさんの人たちが苦しんで死ぬのをご覧になって、(マルパは)
「お前に強い呪術の力があるということは本当だ」
とおっしゃって、私を「トゥチェン(མཐུ་ཆེན་大呪術)」と名付けた。
「さあ、成仏の教戒を下さいませ」
と申し上げると、
「ハハハ。お前が罪を積み重ねた見返りに、私が不惜身命でインドに行き、宝に執着せず黄金を惜しまず献上して得た教戒「ダーキニの暖かい吐息(མཁའ་འགྲོའི་ཁ་རླངས་ཐོ་ལེ་བ་)」が欲しいと言うことは、冗談が過ぎていて、笑いが出る。私以外の他の人なら、(お前は)殺されているところだ。さあ、お前は、ヤムドクの人々の作物を償え。ラカの人々全員を治療せよ。それができたら、教戒を与えよう。さもなくば、私のもとに帰ってくるな」
とおっしゃって、殴られ叱られた。
そこで、失望しすぎて、ひどく泣いたので、奥様が慰めてくれた。翌朝、ラマご自身がお越しになって
「昨夜私はひどく怒りすぎた。不快に思うな。ゆっくりと教戒を授けるから、焦るな。お前は仕事にとても勤勉なので、タルマ・ドデに与える城を築け。それが終われば教戒も授け、衣食も私が与えよう」
とおっしゃった。
「その間に私が法〔を受けること〕無く死ねば、どうしましょうか」
と申し上げると
「その間に死なないという責任は、私が請け負おう。大げさではない法は無いのだが、お前は非常な努力家なので、私の教戒を瞑想できたなら、今生で成仏できるか否かが示される。私のこの系統には、他と比べものにならない加持の力がある」
とおっしゃった。よいお言葉を頂戴したので、心うれしくなって
「では、城の設計をなさってください」
と申し上げた。さて、〔マルパの〕親族みんなが城を築かないと誓いをたてた要害があった。だが、マルパはその誓いをたてておらず、そこに城を築こうという謀りごとをめぐらし、また、私の罪を清める手段として
「東方の山の鼻に、このような城を築け」
とおっしゃった。
円形のものを築き、半分ほど出来上がると、ラマがお越しになって
「昨日はよく考えていなかった。この城を基礎から取り壊し、土も石も元の所に戻しておけ」
とおっしゃった。そのようにすると、再び西の山の鼻で、ラマは酒に酔われた様子で
「さあ、このような城を築け」
とおっしゃった。
半月型の城を築き、これまら半分ほど出来上がると、再びラマがお越しになって
「これもダメだ。これも取り壊して、土も石も元の所に戻しておけ」
とおっしゃった。
そのようにすると、再び北の山の鼻へと行かれて、
「おい、トゥチェン。昨日、私は酔っていて、よく指示をしなかった。さあここによい城を築け」
とおっしゃった。そこで
「城を築いては壊すというこのようなことは、私も苦しいですし、〔師の〕財産を無駄にするだけです。よくお考えになってから〔ご指示〕ください」
と申し上げた。すると
「私は今、酒に酔ってもいない。よくよく考えもした。密教行者の城というものは、三角形であるべきなので、〔それを〕築け。これは壊す必要がないぞ」
とおっしゃった。
三角形のものを築くと、再び三分の一ほど出来上がったところでラマがいらっしゃり
「トゥチェンよ、お前が築いたこの城は、誰のものであるか。誰の指示によりおこなったのだ」
とおっしゃった。そこで
「ラマご自身がご指示くださった、ご子息のための城です」
と申し上げると
「私はこのような指示をした覚えがない。お前のその話が本当ならば、私は気が狂ったか、ボケたのであろうか」
とおっしゃった。その時私は
「このようになるのではと恐れて、『よくお考えください』と申し上げましたところ、『よくよく考えた。今回のこれは壊す必要がない』とお答えになったたことを、よく覚えていらっしゃるはずです』
と申し上げると
「それならその時の証人がいるのか。要するに、調伏のための護摩穴のような三角形のこの城に、私たちを入れて、呪術をしようと考えるのか。私はお前の家を奪ったこともないし、父の財産を食べたこともない。そうでなくとも、法を望むなら、領土神が好まないので、これらの土も石ももとの所に戻しておけ。法を求めるのなら与えよう。さもなくば、去れ」
とおっしゃった。お怒りになっていたので、無量の悲しみが生じたが、法を望むので、ラマのご命令どおりその三角形の城も〔壊し〕、土も石も元のところに戻した。
その時、私の上半身に荷ずれができた。しかし、ラマにお見せしても叱られるだけ。奥様にお見せしても、言い訳になると考えて、お見せせず、泣いて、求法の助けをお願いすると、奥様はラマの御前に赴きになり
「意味のない築城作業によって、一人の人がたいへん苦しんでいます。トゥチェンを哀れんで、法を授けてやってください」
と申し上げた。すると〔マルパは〕
「よき食事を準備して、〔ミラレパを〕私のもとに連れて来い」
とおっしゃった。
奥様は食事を運びながらラマの御前に私を連れて行った。そこでラマは次のようにおっしゃった。
「トゥチェンよ、昨日のように、私がしなかったことをしたと言うな。法を欲するなら与えよう」
とおっしゃった。仏教共通の帰依の口頭伝授(ལུང་)と戒律をくださって
「これらは皆、共通の法である。特別な密教の教戒が欲しいのならば、次のようにすべきだ」
と、ナーローパの伝記のうち苦労なさった有様をかいつまんでお説きになり
「お前には困難だ」
とおっしゃった。そのため、泣きたいほどの強い信心が生じて、ラマが何をおっしゃってもすべて成し遂げようという誓いを立てた。
それから数日が経ち、ラマが外出される際に「伴としてついて来い」とおっしゃったので、ついて行った。親族たちが守っているかの要害にお着きになられると〔マルパは〕
「さあ、お前はここに、四角形で灰色の9階建ての建物で、〔屋根飾りの〕ゲンジーラを合わせると10層となる城を築け。それは決して壊されない。成就と教戒を与え、修行に専念させ、修行の糧も与えよう」
とおっしゃった。
「それなら、これらのお約束の証人に、奥様がお立ちになってよろしゅうございますか」
と申し上げると、「よろしい」とおっしゃった。
そしてラマが、基礎の線をお引きになった。私が奥様をお呼びして、ご夫婦いっしょにいらっしゃるところで
「前に城3つを築いては壊した際に、一度目は『考えが十分ではない』とおっしゃいました。二度目は『酒に酔っていた』とおっしゃいました。三度目は『狂ったのか、ボケたのであろうか。言った覚えは無い』とおっしゃった。お命じになったことをそのまま申し上げると、『お前に証人がいるのか』とおっあやり、その他にもたくさんお叱りを受けたので、今回のこれらのお約束の証人に、奥様をお呼びいたしました。証人にお立ちください」
と申し上げると、奥様はおっしゃった。
「私は証人に立ってもいいですが、主人は亭主関白で、約束をまもることは難しいでしょう。そもそも主人は、築城の必要もないのにしています。壊す必要もないのに壊しています。特にこの土地は、我々以外すべての人たちにとって、ご禁制の山なのです。争いの原因になりましょう。お願いしても、主人は聞かないでしょう」
とおっしゃった。その時、ラマは奥様におっしゃった。
「お前は、頼まれた証人に立て。私も約束したとおりにしよう。根も葉もない疑いを起こさずに去るがよい」
とおっしゃった。
さて、私が四角い城の基礎を築いていた時、シュンのゴクトン・チョードル、トルのツルトン・ワンゲ、ツァンロンのメートン・ツォンボたちが戯れに、とても大きな石を転がして来られた。その石を礎石に使い、門のある側の壁が2階のあたりまで出来上がった時、マルパがお越しになり、全体をよく観察なさって、三大弟子が持って来られたその石を指差しなさって、
「トゥチェンよ、この石はどこから出て来たのか?」
とおっしゃった。
「三大御直弟子が戯れにお持ちになったものです」
と申し上げると、
「それなら、あの者たちの石をお前の築城仕事に用いてはならない。この石を取り出し、もとあった場所に戻せ」
とおっしゃった。
「この城は壊さないとのお約束があります」
と申し上げた。すると、
「それはそうだが、私の弟子で二次第ヨーガを修める者たちを、お前の召使いにすることはできぬ。すべてを壊すのではない。この石を取り出して、もとの場所に運べ」
とおっしゃった。
城をてっぺんから壊して、石をもとの場所へ戻すと、
「さあ、もう一度お前自身が取って来て、礎石に据えろ」
とおっしゃった。
石を持ち上げには、彼ら3人の力を私1人で発揮せねばならなかったので、苦労した。その時に据えた石は、私の「力比べの石」として有名だ。
その山の鼻に基礎を築いた時、父方の親族全員が次のような相談をした。
「誓いの山にマルパが城を築こうとしているので、防ぐ方がよい」
そう言ったのに対して、ある者たちが言った。
「マルパは気が狂って、ラトー地方の力の強い小僧がいるがそいつに、あらゆる高台と山の鼻に無意味な城を築かせている。半分ほど出来ると、またあいつに壊させて、土や石を元のところに運ばせている。これも壊すだろう。壊さなければ、〔築くのを〕防いだ方がよい。壊すか壊さないか〔様子を〕見よう」
壊さずに築城の仕事を継続したので、7階まで出来上がると、私の腰にも荷ずれができた。その時、父方の親族たちが言った。
「今度は壊していない。前に壊したのは、ここに築くための謀略だったのだ。さあ、我々が壊そう」
と戦いを仕掛けると、その時、ラマは化身を示されて、鎧を着たたくさんの兵隊たちが、城の内外すべてを満たした。すると、
「マルパ翻訳師がそれだけの兵隊をどこから呼んだのか!」
と言って、皆怖がって、戦う事ができずに、それぞれに敬礼を捧げ許しを乞う為に隠れてやって来たので、〔彼らを〕皆、施主と家来にした。
その時、ツァンロンのメートン・ツォンポがサンヴァラの大灌頂を受けにやって来た。その時、奥様が
「今回、お前も灌頂を何とか得られるようにしよう」
とおっしゃった。
私は
「私がこれほどの城を築く際に、山羊の頭ほどの石も、背負い籠一杯の土も、桶一杯の水も、シャベル一杯の泥も運ぶ手伝いもなしにやったのだから、今回は、灌頂をくださるだろう」
と思って、礼拝し、灌頂を受ける者の席に座ると、ラマが、
「トゥチェンよ、お前には灌頂の謝礼として何があるか」
とおっしゃった。
「ラマのご子息のための城のご奉仕をおこないました。灌頂と教戒をくださるとのお約束があります。ですから、それによりくださるだろうと期待しております」
と申し上げると、ラマが
「お前が肘から手先ほどの小屋を築いたからといって、私がインドで苦労して得た灌頂と教戒を得ることはできない。灌頂の謝礼があるなら、持って来い。そうでなければ、深い密教の灌頂の席に居るな」
とおっしゃった。頬を打たれ、髪の毛をつかまれ、外に放り出されたので、今すぐに死んでしまう方がましだ、と一晩中泣いていた。
その時、奥様がいらっしゃって
「かのラマは、『私がインドからもたらしたこれらの法は、有情に利益あると願ってもたらしたものだ』とおっしゃいました。御前に一匹の犬がやって来ても、法を説き、犬が死んでも回向を施すほどの方です。お前をお心におかけにならないのは、なぜだかわかりません。しかし、邪見が生じないようにしなさい」
とおっしゃって、お慰めくださった。
翌朝、ラマがいらっしゃって
「トゥチェンよ、お前は、今回の築城作業の残りは中断し、下の方に祠を具えた柱が12本ある回廊を築け。それが出来たら、灌頂と教戒を与えよう」
とおっしゃった。そこで、回廊の礎石を置いて築いた。奥様が、おいしい食事と、少し酔うくらいの酒を常にくださって、お慰めくださり、慈しまれた。。。。
回廊が出来上がる頃に、トルのツルトン・ワンゲが、グヒヤサマージャの大灌頂を受けにやって来た。奥様が
「今回は、息子が何とか灌頂を得られるようにしましょう」
とおっしゃった。バターの塊1つ。毛織物1匹、小さな銅鍋1つをくださって、それらを捧げ物にして、灌頂の席に連なった。
ラマが
「トゥチェンよ、お前が灌頂の席にいるが、灌頂の謝礼として何があるのか」
とおっしゃった。
「バターの塊と、毛織物と、銅鍋などでございます」
と申し上げると
「それらは、私に、とある施主たちから捧げられた財産である。私の財産は、お前の灌頂の謝礼にはならない。お前に、謝礼の品があるのなら持って来い。そうでなければ、私の灌頂の席に居るな」
とおっしゃって、立ち上がられた。たくさんの罵声を浴びせられながら、足蹴にされ、追い出されたので、地面に沈んでしまえばいいのだと考えた。私は呪術をおこない多くの人を殺した。雹によって多くの作物をだめにした果報ではないか。法にまったくふさわしくないのだとご存知なのではないか。ラマは慈悲のこころが小さく、それゆえ与えてくださらないのか。とにかく、法無く罪を積んだこの人身が何となろうか。死のう死のうと考えていた時、奥様がツォーの一部をお持ちになり、懸命に慰めてくださって去ったが、ツォーを頂こうという気持ちもなく、一晩中泣き続けていると、翌朝、再びラマがおこしになり
「さあ、お前は回廊と小屋の残りを建てて、完成させよ。その後、灌頂と教戒を必ずや与えよう」
とおっしゃったので、築城作業をおこない、回廊が完成した。その時、私の腰にさらに荷ずれができた。3つの荷ずれすべてから膿と血がしたたって、背中が傷だらけになったのを奥様にお見せし、四角い城の基礎を築いた時のお約束を思い出していただき、心から法を願っているものが法を求めるための助力をお願いすると、奥様がまじまじとお眺めになり、涙を流されて
「私がラマに申し上げましょう」
とおっしゃられた。
ラマの御前に赴かれ、次のように申された。
「ラマ・リンポチェ、トゥチェンはこれほどまでの築城作業をおこなったことによって、身体全体傷だらけになっています。背中には荷ずれが3つもでき、膿と血がとめどなくしたたっています。以前、馬やロバに荷ずれができたと耳にしたことがございますし、見たこともございます。しかし、人に荷ずれの傷ができたとは、聞いた事も見た事もありません。このようなことを他人が見聞きしたならば、私は恥ずかしゅうございます。旦那さまは偉大なラマでございますので、評判が落ちてしまいます。彼がかわいそうですので、今この子に法を説いてやってくださいませ。当初、城を築けば法を授けるとしてらしたではありませんか」
と申されると、ラマは次のようにおっしゃった。
「そう言った。城を10階まで建ったら、教えを与えようとしたのだが、10階はどこにある?」
「10階よりも立派な回廊を建てましたが」
と申し上げると
「つべこべ言うな。10階ができたら教えを与える。本当に荷ずれができたのか?」
とおっしゃったので、
「それでは、旦那さまご自身がご覧になられればよろしいではないですか。傷ができただけでなく、背中が傷だらけになりました」
と悲しげに申し上げると、すぐに〔私のもとに〕おこしになり
「なら、上に来い」
とおっしゃった。
教えを与えてくださるのかと思って行くと、
「トゥチェンよ、傷を見せろ」
とおっしゃった。
お見せすると、まじまじとご覧になった後、
「私のラマ・ナーロパは、お前のこれよれも甚だしい12大難行と12小難行のあわせて種々の24の難行を身をもって実践された。私もまた、大切な命や財産を顧みず、ラマ・ナーロパに師事したのだ。それゆえ、法を求めるのなら、言い訳せずに築城の仕事を残りをしろ」
とおっしゃったのを、確かにそうだ、と思った。
服にあて布をおあてになって、
「馬やロバにもこのようにしているので、あて布ををして土や石を運べ」
とおっしゃった。
「背中が傷だらけになっているのに、あて布が何の訳にたちましょうか」
と申し上げると
「土がこぼれないのに役に立つ」
とおっしゃった。
そこで、ラマのお言葉である、と思い、土の入れ物を前に運んで、土を運び、左官仕事をしたのをラマがごらんになって、「ラマのお言葉を何でも達成するすばらしい丈夫だ」と思い、マルパご自身も陰で涙を流されていた。
さて、傷が広がり、とても痛んだ時、奥様に申し上げて、よければ法をくださるように、悪くても傷が癒えるまで休めるようにとのお願いを、奥様からしていただくと、
「城が完成するまで法はだめだ。仕事ができるなら、できるだけせよ。できないなら、休むしかあるまい」
とおっしゃった。
奥様は
「傷や荷ずれが治るまで、仕事せずに休みなさい」
とおっしゃった。休んでいる間、たくさんの栄養のある食物をくださったので、何日間か、法を得たのとは別の幸せを感じた。
さて、傷がだいぶ癒えると、ラマは法のお話は無く、
「トゥチェンよ、再び築城作業にとりかかるがよい」
とおっしゃったので、作業をしようとしている時、奥様が
「さあ、私たち2人で、法を得る方法を講じましょう」
とおっしゃり、私たち2人は相談して、私が小さいツァムパ袋の口にお経と小さい荷物などをまとめて、ラマがご覧になっている前で、「私を行かせてください」と言い、行くふりをした。奥様が、「私がラマに申し上げて、必ず法をいただけるようにしましょう。なんとしても、留まってください」と言って、つかむようにした。それをラマがご覧になって、
「ダクメーマよ、お前ら2人は何をしているのか?」
とおっしゃった。すると奥様が
「トゥチェンは、はじめ遠い所からラマの御前に法のためにやって来たのに、法をいただけなく、たくさんのお叱りと殴打しか受けておりません。ですから、法無しに死ぬのではないかと疑って、『他のラマを探しに行く』と言い、出かけるところを、私は『法をいただけることを請け合いますし、手助けをします』と言って、引き止めたのです」
と申し上げると、「わかった」とおっしゃり、外においでになって、私を何度も鞭打って
「お前ははじめ、私のところに至るや否や、身口意の3つを私に捧げたにもかかわらず、どこに行くのだ。努力しなければ、私が持っている〔お前の〕身口意の3つを粉々に切ってもよいのだ。どうしても出て行くのなら、私の家からツァムパを持って行く理由を言え」
とおっしゃり、押し倒してたたき、ツァムパを奪い、家にお持ちになって行った。一人息子を失った母のような無量の失望を感じたが、奥様と相談の上でのことであったし、ラマの怒りが激しいので勢いに耐えられず、部屋に戻って泣いて過ごしていた。奥様が
「今は何をしても、ラマは法をお与えになろうとしませんが、でも、いつかきっと下さる日が来るでしょう。それまでの間のために、私が1つ与えましょう」
とおっしゃり、金剛亥女の瞑想法を下さった。体験は生じなかったが、心に大きな利益をもたらし、雑念が小さくなった。そこで、奥様のご恩に報いるために、またラマの奥様であるので、私の罪が清められると考えて、夏の初めに、奥様が牛の乳搾りをする手伝いや、かまどのそばで、麦を炒める手伝いまでもして、ご奉仕申し上げた。
その時、必ず他のラマを探しに行かねばならないと考えたが、よく考えなおして、今生で即身成仏する教戒は、このラマ以外に無いにちがいない。今回成仏を得られねば、私は来世悪趣に生まれる業を積んでしまったので、法の為にナーローパの苦行ほどをおこない、このラマを何とかお喜ばせし、教戒を得られるようにし、瞑想して、今生において成仏を得られるようにすべきだ、と考えて、再び土と石を運んで、回廊と祠の左官仕事の残りをしていた時のことです。シュンのゴクトン・チョードル師弟がたくさんの捧げ物を持って、ヘーヴァジュラの大灌頂を受けにやって来たので、奥様が
「主人が、築城仕事のこれほどの奉仕に飽き足らず、財産のみをお喜びになるのなら、今回は捧げ物を捧げ、灌頂を何としてでも得られるようにしますから、これを捧げて、まずお前がお願いしなさい。それでも与えてくださらないなら、私がお願いしましょう」
とおっしゃった。
奥様自身の私財である大きくて立派な赤い色の入ったトルコ石をくださったが、それを捧げて
「今回のこの灌頂を、私にも何としても下さいますように」
と申し上げて、灌頂を受ける席にいると、トルコ石をひっくり返してご覧になって
「トゥチェンよ、これはどこから得たのだ?」
「私に奥様が下さいました」
と申し上げると、ニヤリとお笑いになって
「ダクメーマを呼べ」
とおっしゃった。母上をお招きすると
「ダクメーマよ、我々のもとにこのトルコ石は、どこからやって来たのか」
とおっしゃった。そこで、奥様が何度も礼拝を捧げて
「このトルコ石は、あなたにまったく関係ありません。これは、そもそも私を父母が、あなたのもとに送った時、『ラマは怒りっぽいので、もし離婚してしまったら必要だから、これを誰にも見せずにしまっておけ』と言いました。私の私財としてくださったのです。けれども、今、いこの子があまりにかわいそうで、たまらず与えました。ですから、このトルコ石をあなたがお受け取りになって、慈悲をもってトゥチェンに灌頂をお授けくださいますように。以前、灌頂の席から追い出されるという数々の失望を経験していますので、今回はラマ・ゴク師弟も、どうか私の請願にお口添えをたまわりますように」
とおっしゃった。何度も礼拝を捧げたが、ラマの癇癪のせいで、ゴク師弟も「はい」と言う以外何も言えずに、奥様といっしょに礼拝を捧げた。すると、ラマが
「ダクメーマのやり方で、よきトルコ石を人のために無くすところだった」
とおっしゃった。トルコ石を首に付けられて
「ダクメーマよ、お前は浅はかだ。お前すべてが私のものだから、トルコ石は私のものなのだ。トゥチェンよ、お前に宝があるなら持って来い。灌頂を授けよう。トルコ石は私のものだ」
とおっしゃったが、奥様が、トルコ石を捧げた言い訳のために、再びお願いをしてくれるのではと考えていたところ、ラマはお怒りになり、はっと立ち上がられて、
「行けと言っても行かない理由は何だ」
とおっしゃり、〔私を〕うつ伏せに太陽が沈むように殴り倒し、仰向けに夜が明けるように蹴り上げて、手に棒を取ってこられた。ゴクが取り押さえている間に、〔私は〕怯えすぎて、中庭に飛び降りた。すると、ラマもご心配なさったが、お怒りになった様子をなさっていた。私は無事だったが、非常に傷つき、自殺しようと考えていた時、奥様が再び涙をお流しになられながらおこしになって、
「トゥチェンよ、心を病んではいけません。お前より愛らしい弟子はいません。ですから、他のラマに法を乞うなら、私がお会いできるよう準備を整え、学資や捧げ物も与えましょう」
とおっしゃり、慰めてくださった。
以前ならば、どんなガーナチャクラをしても、その席に奥様がおられる必要があったが、その夜は、私が一晩中泣く相手として一緒に泣いてくださった。
翌朝、私に「ラマの御前に来るように」とのお呼びがかかった。「法を与えてくださるのだろうか」と思って行くと、
「昨夜私がお前に灌頂を与えなかったことに対して、不快感と邪見が生じなかったか?」
とおっしゃった。
「ラマに対し不信心は生じておりません。私自身、悪業が大きいゆえの報いであると思い、呵責の念のみが生じました」
と申し上げて泣くと、
「私に対し、泣いて訴えるどんなことがあるのか。出て行け」
とおっしゃった。外へと出て行って、心に風が吹きすさぶような苦しみの状態で、次のように考えた。
「私は、罪をおこなった時、学資があったのに、法をおこなう時、財産が何も無いというようになった。罪をおこなった時の金の半分ほどでもあったなら、灌頂と教戒を得ることができるが、今、このラマは、捧げ物が無いことを理由に教戒を与えてくださらないでいる。他の所に行っても、捧げ物がいらないなどということは無いだろう。財産が無いために法を得られずにいる。法の無い人身は、罪を積むより自殺した方がよい。さあ、どうすればいい、どうすればいい」
と考え、
「大金持ちの召使いをして得た蓄えによって、法を求める学資などが得られるであろうか。それとも、悪業によって呪術をおこなった故郷に赴いてもよい。母も会えば、喜ぶだろう。財産を得ることもありうる。とにかく、法を探すにしろ、財産を探すにしろ、どこかへ行かなければならない。ラマのツァムパを持って行っても、叱られるだけである」
と考えて、私自身の経本を持って、奥様にも何も言わずに出て行くと、途中で奥様のご恩を思い出し、とても後ろ髪を引かれる思いがした。
トウォルンから半日行程のところで食事時になり、最初にツァムパを乞い、次に容器を借り、水と薪などを集め、ツァムパを捏ね食べると、半日が過ぎた。そして、次のように考えた。
「私が仕事をおこなった半分くらいはラマへの奉仕となったが、半分ほどは私の食事代だ。今朝のこの1日の食事に苦労したが、奥様は、ツァムパを捏ね、暖かいおかずとともに食事を忙しくいつも下さった。にもかかわらず、今朝、私は奥様に『お元気で』とも言わず去った。私は悪人である。また戻ろうか」
と考えたが、引き返すことができなかった。そして、容器などを返しに行くと、老人が次のように言った。
「若くて、働き盛りであるようなのに。物乞いよりもいいぞ。字を読めるなら、経を読め。読めないのなら、召使いをしても、衣食2つは得られる。お前は字が読めるのか」
と言うので、
「私は常に乞食でない。字が読める」
と答えると、
「では、数日私のために経を読め。謝礼として*肉*をあげよう」
と言うので、喜んで、「よろしい」と答え、『八千頌般若経』を読むと、常啼菩薩の伝記が見えて、
「財産が無いということでは同じだが、彼は法のために心と身体を捨てることができた。心臓を取り出せば死ぬよりほかない。心臓をも売ることに決めている。これに比べると、私は、法のために苦労をまったくしていない。ラマが法を下さることもありうる。もし下さらなくても、奥様が、他のラマを紹介してくれるとのお約束もある」
と考え、帰る勇気が生まれ、帰って行った。
私が出て行った時、奥様はラマに、
「旦那様が倒せなかった敵が出て行ってしまっていません。ご安心なされましたか」
と申し上げると、
「誰だ」
とおっしゃった。
「では、宿敵を捕らえた時のように旦那様が苦しみを与えたトゥチェンではありませんか」
と申し上げると、お顔を黒くなさって、お涙をこぼされて、
「カギューのラマ、ダーキニー、護法尊よ、私の有縁の息子を呼び戻せ」
とおっしゃり、頭を抱えていらっしゃった。
そこで私が、奥様の前に行き、礼拝すると、奥様はとてもにお喜びになって
「ちょうどよかった。今、お前にラマが教えを授けてくれるようです。私が、お前が出て行った、と申し上げると、『私の有縁の息子を呼び戻せ』とおっしゃり、お涙を流してらっしゃいました。お前はラマの慈悲によって呼び戻されたようです」
とおっしゃった。
私に「それは、奥様が私の心を慰めて言っていることだ。確かにそのとおりで、お涙を流されたり、有縁であるとおっしゃるのであるなら、喜ばしいが、そうではなくて、『呼び戻せ』とおっしゃりながら、灌頂や教戒を与えてくれないということから、有縁でないに違いない。他に行く所もない。ここで、教えを得られない苦しみに陥るのだろうか」という思いが生じた。
そこで奥様は、
「トゥチェンが私たちを見捨てずに帰って来ました。礼拝しに来てもよろしいでしょうか」
と申し上げると、
「私たちを見捨てなかったのではない。彼を見捨てなかったのだ。礼拝するために来させるのなら、来させよ」
とおっしゃった。
礼拝しに行くと、ラマは
「トゥチェンよ、焦ったり、いろいろ考えたりせずに、心から教えを求めるのであれば、教えのために命をも投げ出す必要がある。ゆえに、城をさらに3階建てよ。それから教戒を与えよう。そうしなければ、私の食事を消費するだ。お前には行く所もあるようなだ。城を建てないのなら、去るがよい」
とおっしゃった。
お答え申し上げることができず、外に出て、奥様に、
「今は、母もとても恋しいです。ラマは、教えもくださらない。築城の残りをし終えて、教えをくださるのなら、残るかいがあります。築城をし終えた後も教えをくださらない口実をなにかとつけて、教えをくださるかどうか確証がないので、私は故郷に帰ります。旦那様・奥様お元気で、とお祈りいたします」
と言って、礼拝して、経本を持って行こうとすると、奥様が
「息子よ、そのとおりだ。ですけど、私が最初に約束したとおり、お前はラマの偉大な息子です。教戒も持っているゴクトンから法を得る方法を講じましょう。ひとまず留まって、築城仕事をするようにしなさい」
とおっしゃった。そこで、大喜びして、築城仕事をして留まっていました。
かの大学者ナーローパは、10日にツォーとトルマの供養を盛大に執り行われていたので、それゆえにマルパも10日の供養をなさっておられた。その時奥様は、1ケルのネーでできた3種類の大量のチャンをあたためて、濃淡中の3種類に分け、何度も何度も濾過した強い酒を、奥様は、僧侶たちをしてラマに何度も敬って酒をすすめさせた。奥様と私も何度もすすめた。濃度が中くらいのものは、僧侶たちが召し上がられた。薄いものを奥様はわずかに口につけられ、多くは召し上がらずにいた。私も奥様のようにし、酔わなかった。僧侶らも酔われた。ラマは酒がうまかったことと、すすめる人が多かったのでたいへん酔われて、深い眠りに陥られた。その時、奥様は、寝室からラマの御印鑑、ナーローパの装身具、本尊であるルビーの数珠などを取って来て、ラマの*声明文(བཀའ་ཤོག་)のように装った手紙で奥様が前もって準備なされていたものに印鑑を押し封印し、取って来たものを上質の衣に包んだ。包んだものを封蝋で封印し、私にくださって、奥様は次のようにおっしゃった。
「これらをラマに託されたようにふるまって、ラマ・ゴクパのもとに捧げ、法を求めなさい」
そうおっしゃられた。私はシュン地方に送られ、ラマ・ゴクパを頼んで出かけた。
それから2日ほど過ぎて、奥様にラマは次のようにおっしゃった。
「今トゥチェンは、何の仕事をしているのだ」
とおっしゃると、奥様は
「彼は行ってしまいました。それ以外、私は知りません」
とおっしゃいました。するとラマは、
「どこへ行った」
とおっしゃり
「彼が『築城作業をこれほどまでにしたのに、法を下さらないばかりか、叱責と殴打を何度も受けましたので、他のラマを探しに行きます』と行って出かけた時、旦那様に申し上げたとしても、気にもとめてらっしゃらないし、殴打なさいますし、かわいそうという以外にはないと思い、報告しませんでした。私がどのように引き止めても、心に届かず、去って行きました」
と申し上げると、お顔の色が悪くなられて
「いつごろ去ったのだ」
とおっしゃった。
「数日前に去りました」
と申し上げると、しばらくお考えになった後で
「まだ、私の息子は遠くに行っていない」
とおっしゃった。
さて、私が、シュン地方のリボ・キュンディン(རི་བོ་ཁྱུང་སྡིང་)に至ると、ラマ・ゴクパはたくさんの僧侶に『ヘーヴァジュラ・タントラ』を説いていた。説法の合間に、
説く者も私、法もまた私。
聴衆も私。
世間の教師と認識対象も私。
世間と出世間も私。
倶生の喜びの本性も私。
ということを、お説きになっていた時、私もまた遠くから礼拝した。すると、ラマは、お帽子をお脱ぎになって返礼しつつ、
「ラマ・マルパの学統の礼拝法である。説法の合間とは、縁起もまた非常によい。彼はすべての法の主人となる者であるから、誰であるか聞いて来い」
とおっしゃった。僧侶が私のもとにやって来た。私と顔見知りであったので、
「あなたは、ここに何をしにいらっしゃったのですか?」
と問ったとので、私は
「ラマ・マルパは、とてもご多忙なので、私一人のために法を説く暇がないので、ここに法を求めに来ました。そのお礼として、ナーローパの装身具、本尊ルビーの数珠などをいただいています」
その僧侶がラマの御前に行き、「アボ・トゥチェンでありました」と言って事情を申し上げると、ラマはとてもお喜びになり、
「私のところに尊者ナーローパの装身具と本尊ルビーの数珠が来たことは、優曇華の花のように希有なことであり、とてもすばらしいことであり、つつしんで迎えるべきである。であるから、今回の説法は、この縁起のよいところで終わりにしよう。お前たち僧たちは、帰って、傘と幡と楽器などを早くとって来い。アボ・トゥチェンはあとについて来させよ」
とおっしゃった。
私は、礼拝したところにそのままいたので、一人の僧が現れて、案内してくれた。私が礼拝したその場所は、後に「チャクツェル・ガン(ཕྱག་འཚལ་སྒང་、礼拝の丘)」と呼ばれた。
後に続いて行くと、すぐに数えきれない程の傘と幡と楽器を携えた僧侶の列に出迎えられ、〔ラマ・ゴクパの〕お部屋へと着いた。私が礼拝し、手紙を礼拝の対象の品々とともに捧げると、〔ラマ・ゴクパは〕涙をお流しになりながら、頭で頂き、加持を乞われた。礼拝の対象の品々を、よき供養の品々を並べて、本尊としてお祀りした。その手紙を読むと、
「ゴク・チョク・ドジェが認識すべきは次のとおり。ここで私は、厳しい結界に一人で入り、トゥチェンは気が急いている。彼をお前のところに法を求めに送るので、灌頂を授け教戒を示せ。そのようにしてよいとの印として、ナーローパの装身具と本尊ルビーの数珠などを送る」
と書いていた。
そこでラマは次のようにおっしゃった。
「ラマのご命令であるので、灌頂と教戒をどのようにしても与えよう。私はお前を呼びに、まさに誰かを送ろうと考えていたところだった。おこしになったのはラマのおかげである。私のもとにカムとタクポ、コンポ.ヤルルンなどから多くの僧侶が来ている。しかし、トルポのイェーポ・イェーモという悪人たちのせいで、法の糧を安全に運び込むことができない。ゆえに、やつに雹を降らせよ。その後、灌頂と教戒を与えよう」
そこで私は、次のように考えた。
「悪業の者とは、私のようなものであろう。雹を降らせれば、ここに来たのは正法のためなのに、罪を造ることとなる。降らせなければ、ラマの命令に背くことにもなるし、法を得ることもできないので、雹を降らせるしかない」
と考えた。
資材として真言で念を込めた穀物を持ってその村に行った。行をおこない、雹を降らしに出かけて、イェーポで一人の老女の家に場所を借りて雨宿りした。稲光がして、雷が鳴って、黒雲が集まって、雹が一粒二粒降りかけた時、老女が
「作物が雹に打たれた後で、私は何を食べたらいいのか」
と言って泣いているので、私は、本当に罪を積んだと考えて
「あるじよ、どんな畑を持っているのか、すぐに絵に描け」
と言うと、
「持っていますとも。こんなのを持っていますが」
と言って、細長い三角形の畑を描いたので、印を結び、鍋で蓋をしてその絵を覆うと、三角形の先が少しはみ出して、その部分が暴風で消された。
さて、雹が止んで見に行くと、村二つの後ろの山すべてが谷になっていた。他の畑はすべてすっかりなくなっていたが、老女の畑は被害がなくて、緑に輝いていた。畑の先っぽは、雹に打たれ、洪水で押し流されていた。その畑には、後々もどんな雹の時にも降らないので、防雹税が不要となった。しかし、洪水に押し流された先っぽには、防雹税を払い続けねばならなかったそうです。
最終更新:2007年11月15日 19:54