2007年度・春学期・
西洋史A(井上 光子)60分 持込すべて可
1.次の各文章の中の空白部に適切な用語をあてはめよ.
14世紀末に成立した( ① )のもと,デンマーク王は北欧支配を維持することに執着したが,スウェーデンは1523年に( ② )のもとに結集して,デンマーク支配からの独立を果たす.ルターの活動以降様々な闘争や宗教戦争が起きたが,それらはヨーロッパ近代化の観点で見ると,形成過程にあった( ③ )を促進していったといえる.
デンマークは,三十年戦争の際に国王( ④ )の指揮の下で参戦し,その配線によって威信を失う.一方スウェーデンによる領土拡大とバルト海地域の覇権は,( ⑥ )と称され,18世紀初期まで続く.しかし,実質的なバルト海支配者は,17世紀を通じてオランダであった.オランダは,( ⑦ )条約で独立が国際的に承認された商業国家である.その中心都市であるアムステルダムにとって,商業活動の基盤として重要な意味をもったのは北ヨーロッパにおける( ⑧ )貿易であり,( ⑨ )の通行税負担を軽減させるとったことにもみられるとおり,同貿易権の政治的・経済的利害に深く関与していた.
大航海時代以来,スペインの征服地となったメキシコやペルーでは原住民の犠牲のもと大量の( ⑩ )がヨーロッパへ向けて輸出され,それによってヨーロッパでは異常なほどのインフレーションが起こる.また17世紀には,それら中南米とならんで世界的な( ⑩ )の産地であった( ⑪ )からは,オランダ東インド会社によって初めて茶がヨーロッパにもたらされた.
アフリカの黒人奴隷を使用した大規模なプランテーション農業によって,カリブ海域では( ⑫ )が大量に生産され,ヨーロッパに輸出された.いわゆる三角貿易によって利益を上げた西欧諸大国と同様に,デンマークも18世紀には商業的な反映を追求していた.デンマークでは,アジア,西インドといった商業圏ごとに多種多様な( ⑬ )が設立され,国内商工業を保護する関税政策をとる( ⑭ 政策が進められていたが,やがて18世紀ごには中立国という立場を利用して商業活動を大きく進展する.その商業的は反映を可能にしたのが( ⑮ )の輸送及び中継貿易であった.
デンマークの場合,18世紀の前半にクリスチャン6世のもとで学校改革の試みがはじまった.そうした試みは,( ⑯ )の影響を強く受けた当時の同国王の主導で推進されていた.その影響により,娯楽や演劇が禁止されたので,当時を代表する文化人である( ⑰ )は社会的な不寛容の時代を批判した.
啓蒙思想の影響で,上流階級から市民までもが,政治や社会について合理的に論じあう時代が到来し,フリードリヒ二世やエカテリーナ二世のような( ⑱ )君主が上からの改革を行った.デンマークの場合には,国王自らが啓蒙主義者として政策を指揮したのではなかったが,開明的な( ⑲ )らによって民主化政策が講じられた.特に1780年代の改革政府のもとでは,農民解放のシンボルとなる「( ⑳ )の廃止」が行われた.
2.デンマークの宗教改革について,次の点を中心に簡潔に述べよ.
① どのような政治的経緯の結果,宗教改革が遂行されたか.
② 宗教改革の内容として,どのような政策がとられたか.
3.デンマークの絶対王政について,次の点を中心に簡潔に述べよ.
① どの時点で,どんな出来事をきっかけに絶対王政が開始されることになったか.
② 絶対王政導入にあたって,どのようなことが設定され,その決定事項を確定するためにどのような法的手段をとったか.
4.問題3・4がの記述が困難なものは,講義中に取り上げたテーマを一つあげ,その内容をまとめよ.(時間に余裕のあるものもテーマを選んで記述して良い.)
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最終更新:2008年07月25日 20:23