11(秋)(舟木)

2011年度秋学期 キリスト教学B 担当者:舟木 譲 試験時間:60分 持ち込み:一切不可

Ⅰ.以下の各問いについて解答用紙の該当箇所に答えを記入してください。(配点50)

①次の短文は、キリスト教がローマ帝国の国教となる経緯に関する記述である。空欄を埋めよ。(同じ記号は同じものを指す)(3点×6=18点)

「国土の拡大に伴い、支配の困難さが増大していたローマ帝国は、民族や言語の異なる人々の精神的な支配と統一に常に苦労していた。元来多神教国家であったローマは宗教的には寛容な政策を進めていたが、キリスト教は唯一神信仰と言うこともあり、早い時期より禁教とされていた。しかし、313年に出された< イ >によってキリスト教の信仰の自由がようやく認められ、325年に開催された< ロ(会議名)>では、キリスト教の派閥の中< ハ >が正統なキリスト教信仰と認められ、一方イエス・キリストの人間性を主張していた< ニ >が異端とされる。そして、392年に最後の統一ローマ皇帝である< ホ(人物名)>が、キリスト教をローマの国教と定める。その後、ローマ帝国は東西に分かれ、キリスト教も教皇が宗教的権威者となるローマ・カトリック教会と、東ローマ皇帝(ビザンツ皇帝)が権威を持< へ >に組織的に分裂することになる。」

②イスラームの誕生に大きな役割を果たしたムハンマドの死後、カリフ(後継者)がイスラーム共同体(ウンマ)の指導者として選出されていった。しかし661年、第4代カリフのアリーが暗殺されたことでその後のイスラームは大きな二つの派閥に分かれることとなった。現在も存在しているその派閥名を記しなさい。(3点×2=6点)

③次の短文は中世西ヨーロッパにおいてキリスト教の権威が大きく衰退していった状況に関して簡潔に記したものである。空欄を埋めよ。(同じ記号は同じものを指す)
(3点×7=21点)

「11世紀、イスラーム勢力は東地中海沿岸にまで勢力を伸ばし、ユダヤ教ならびにキリスト教の聖地であった< イ(都市名)>を占領するに至る。その勢いに脅威を感じたビザンツ皇帝はローマ教皇に救援を依頼する。それに対し、時の教皇< ロ(人名)>は、1095年クレルモン宗教会議を開催し、その結果、十字軍が組織され、イスラーム勢力の制圧に乗り出すこととなった。第1回の十字軍は成功をおさめるが、その後の十字軍は失敗を繰り返し、教皇の権威が失墜する大きな原因となる。そうした状況の変化の中、聖職者に対する課税に反対した教皇< ハ(人名)>は、1303年、フランス国王< ニ(人名)>に捕らえられる。さらに< ニ >は教皇庁をアヴィニョンに移設し、60年以上にわたって教皇がフランス国王の支配下に置かれることとなるが、この出来事はユダヤの歴史上の出来事になぞらえて< ホ >と称される。< ホ >の終了後、教皇はローマに帰還するが、1378年、アヴィニョンにも教皇がたてられることとなり、その後約40年にわたる期間を< へ >と呼ぶ。< へ >は1414年-1418年にわたって開催された宗教会議(公会議)< ト(会議名)>において、ローマ教皇に権威が認められることによってようやく終止符がうたれることになる。しかし、十字軍の失敗から始まった教皇の権威失墜は、後のローマ・カトリック教会にとって大きな打撃となった。」

④産業革命が今日の社会にもたらした負の影響を簡潔に述べよ。(5点)

Ⅱ.以下の問いに対して解答用紙の該当箇所に500字程度で答えてください。(配点25点×2=50 解答用紙に書ききれない場合は、裏面に続いても可)

①パウロのキリスト教理解が今日の世界に対して人権の視点でどのような影響を与えているか、講義等を参考にして論述してください。

②宗教改革が現代の社会にとっていかなる意味を有しているかについて、講義等を参考に論述してください。

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最終更新:2012年07月25日 23:16
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