12 (秋) (舟木)

Ⅰ.以下の各問いについて解答用紙の該当箇所に答えを記入して下さい。(配点50点)

①次の短文は、キリスト教がローマ帝国の国教となる経緯に関する記述である。空欄を埋めよ(同じ記号は同じものを指す)。
(3点×8=24点)


「国土の拡大に伴い、支配の困難さが増大していた古代ローマ帝国は、民族や言語の異なる人々の精神的な支配と統一に常に苦労していた。一方キリスト教は1世紀半ばより主に元ユダヤ教徒であったが回心によって伝道者となった < イ(人命) > の働きによりローマ帝国に広まっていた。しかし、ローマの伝統的宗教祭儀に非協力的であったこともあり、A.D.66年に当時の皇帝 < ロ(人名) > によって始まった迫害に長年断続的にあろうこととなる。しかし、そうした迫害にも関わらず組織的に存続し続けたキリスト教に対して、ビザンティウムに遷都した皇帝 < ハ(人名) > は注目し、313年に出された < ニ > によってキリスト教の信仰の自由がようやく認められる。そして325年に開催された < ホ(会議名) > では、キリスト教の派閥の中で < ヘ > が正当なキリスト教信仰と認められ、一方イエス・キリストの人間性を主張していた < ト > が異端とされる。そして、392年に最後の統一ローマ皇帝である < チ(人名) > が、キリスト教をローマの国教と定めることへとつながった。」




②次の短文は中世西ヨーロッパにおいてキリスト教の権威が大きく衰退していった状況に関して簡潔に記したものである。空欄を埋めよ。(同じ記号は同じものを指す)
(3点×7=21点)


「7世紀アラビア半島のヒラー山において < イ(人名) > がアッラーの声を聞いたとされることに起源を持つイスラーム勢力は < イ > の死後も < ロ > を選出しウンマの指導者とすることで拡大した。そして、11世紀、東地中海沿岸にまで勢力を伸ばし、ユダヤ教ならびにキリスト教の聖地であったエルサレムを占領するに至る。その勢いに脅威を感じたビザンツ帝国はローマ教皇ウルバヌス2世に救助を依頼する。依頼を受けた教皇は、1095年に < ハ(会議名) > を開催し、その結果、 < ニ > が組織され、イスラーム勢力の制圧に乗り出すこととなった。第1回の < ニ > は成功をおさめるが、その後は失敗を繰り返し、教皇の権威が失墜する大きな原因となる。そうした状況の変化の中、聖職者に対する課税に反対した教皇ボニファティウス8世は、1303年、フランス国王 < ホ(人名) > に捕らえられる。さらに < ホ > は教皇庁を < ヘ > に移設し、60年以上にわたって教皇がフランス国王の支配下に置かれることとなるが、この出来事はユダヤの歴史上の出来事になぞらえ教皇のバビロン捕囚と称される。バビロン捕囚終了後、教皇はローマに帰還するが、1378年、 < ヘ > にも教皇がたてられることとなり、その後約40年にわたる期間を大シスマ(教会大分裂)と呼ぶ。この異常事態は1414年-1418年にわたって開催された宗教会議(公会議) < ト(会議名) > において、ローマの教皇に権威が認められることによってようやく終止符がうたれることとなる。しかし、十字軍の失敗から始まった教皇の権威失墜は、後のローマ・カトリック教会にとって大きな打撃となった。」



③宗教改革後のカトリック教会が行った対抗宗教改革の影響を簡潔に述べよ (5点)


Ⅱ.以下の問いに対して解答用紙の該当箇所にそれぞれ500字程度で答えて下さい。
(配点25×2=50点 解答用紙に書ききれない場合は、裏面に続いても可)


①キリスト教の歴史の中で培われてきたキリスト教思想が今日の世界に対して人権の視点からどのような影響を与えているか。講義等を参考にして論述してください。ただし、下記の「②」と重複しないこと。


②宗教改革の中心人物の一人であるジャン・カルバンの思想が現代の社会にとっていかなる影響を与えたかについて、講義等を参考に論述してください。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2013年07月23日 16:39
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。