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99(春)(安井)

1999年度・春学期・現代経済入門A(安井 修二)


1. (1)日本や欧州諸国の国際競争力が上昇しアメリカのそれが相対的に低下してきたとき、
国際通貨制度の維持に大きい困難が生じてきた。その結果がアメリカのニクソン大統領による
1971年8月15日の新経済政策であり(いわゆるニクソン・ショック)、各国は
[ - ]レート制に突入した。ブレトンウッズ体制の崩壊を意味する出来事である。
同じ年12月10カ国蔵相会議がワシントンで開かれ、再び[- ]レート制に戻ったが、この
合意を会合の行われた博物館の名前にちなんで[- ]合意という。その結果、日本の円は
ニクソン・ショック前の 1ドル=360円から1ドル=[ - ]円に切り上げられた。切り上げ率は
先進国中最大であった。一方、金1オンス=35ドルが38ドルに変更になり、ドルは金に対して切り下げられた。
しかし 、この通貨調整もアメリカの経済力の弱体化を根本的に救済することにはならず、
1973年2~3月に[ - ]体制は崩壊し[ - ]レート制に移行し、今日に至っている。
葉を示せ。


[問1]ニクソン大統領の新政策の対外的に最も重要な内容2項目を説明せよ。


[問2][ ]の中に入れるのに適当な言葉を示せ。


(2)1973年10月第4次中東戦争がおこりOPEC(石油輸出機構)が石油戦略を発動し、
当時1バーレル2ドル台だった石油を11~12ドルへと値上げに成功した(第1次石油ショック)。各国がその
後70年代後半第1次石油ショックの痛手から立ち直りかけていた頃、追い打ちをかけるように
イラン革命が起こり(1979年1月)、さらにイラン・イラク戦争が起こり(1980年9月9日)
中東の情勢が非常に不安になった。そのときに、OPECはもう一度石油戦略を発動して、
12ドル台であった石油価格を34ドルまで1年ぐらいかけて段階的に引き上げることになった(第2次石油ショック)。


[問3]石油ショックに対する日本政府の対応について。


[問4]石油ショックに対する日本の企業の対応について。


2. (1)[問5]レーガン大統領の”強いアメリカ”政策の内容について説明せよ。


[問6]レーガンの政策の日本経済への影響について。


(2)レーガン政権が第2期に入って、「やはりアメリカのドルが高すぎる。
円高・マルク高・ドル安にもっていかないと、アメリカ経済は耐えられない
という判断になってきた。」


[問8]1985年9月22日のプラザ合意でG5の蔵相・中央銀行総裁会議が
合意した内容は何か。


[問9]急激な円高とその日本経済への影響、日本政府の政策的対応につ
いて。


3.「株価は70年代前半に比べて85年で倍くらいでしたが(日経平均
12,000円程度)、85年以後の株式の値上がりはすさまじいものであっ
て、89年末に39,000円にあと一歩というところまで値上がりしました。
地価も70年代から上昇を続けていましたが、85~86年から後の値上
がりはすさまじいものがありました。」


[問10]80年代後半、財・サービス価格の安定にかかわらず、資産価格
(とくに株価と地価)が急騰したのは何故か。










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最終更新:2007年12月09日 22:42
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