パリスニア共和国

パリスニア共和国はルシリア東北部に密集する各国の最西端南部に位置し、その内情は国境に固い障壁を作り伺い知れる事が少ない。
ラジュト王国とスルパニア王国が併合されて作られた国だが、民意にて王がその位置を降りたラジュト王国と、革命から王が倒されたスルパニア王国である事から、内情はかなり複雑である。
形は違うが王がその席を降りた時期が同時期であり、戦乱で荒れた旧スルバニア王国を助ける為に旧ラジェト王国側から提案があり併合されたと伝わって居る。
兵力が弱い旧ラジェト側と、戦乱で人が乏しくなったスルバニアは協力して南北の国境線に高い障壁を作り、他国からの侵略に備えると同時に国内の情報を外に出さぬ様に努力されている。

南方である為に国土は恵まれていると言う事は、まだ両王家が存在していた時期の記録から見て取れる。
障壁が作られるまでにこの地を旅した者が残す所では、旧ラジェト派と旧スルバニア派に別れ、国民投票でその時の指導者が定められる決まりを作って居る。
両派を穏健派と革新派に分けると同時に、その他にも複数の分派が出来ており、その代表者が国民の札入れで選任されるこの時代では珍しい民主主義を取っいるが、その実はかなり胡散臭い実情も伺い知れる。
平和的な札入れとは決して言えず、どちらかと言えば力を誇示する様な場合も存在し、現在の民主主義、民主思想とは程遠い。

国土が閉鎖されるまでは、国民性は明るいと言われたが、閉じられた後の事は伺い知れない。
国境にある門は大きめの馬車が通れる程の幅しか無く、そこを通るのも国から認められた商人、技術を伝授する為に招喚された者達のみが通る事を許されている。
トトル商国側から、この国唯一の大きく開かれた道と言えるトト大河から覗いてみると、見える限り河川敷にも高い壁が連なって居る。
カウマ教の僧侶も数年に一度、任期を終えて交換される場合もあるが、彼らは国が用意した教会から出る事が許されず幽閉に近いと言う感覚で任期を迎えていた。
極端に秘密主義を行っている為、自給力や識字率などは一切不明である。
この国から出る者は居らず、また流入者も極端に嫌われ国交の殆どを拒否している。

特産は茶葉を多く産出し、この地域使用される殆どの茶葉はパリスニア産であると言える。
この国と契約されている商人には箝口令が敷かれ、その秘密主義が徹底されており、輸出入された物の内容が公表された事は無い。




守る事に力を注ぎ、その内情が知れない事から他国が攻め入る契機が見えず、隣接するトトル商国アシトス王国も攻める対象としては扱っていない。
自国の西や北が安全な事もあり、彼らが目指す所は必然的に東へと目を向ける為にテリニア王国の不幸があるとも言える。















最終更新:2012年08月22日 00:55
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