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日吉大社 - (2012/07/12 (木) 02:20:43) の編集履歴(バックアップ)
- 元々は、日枝山(のちの比叡山)の山神、大山咋神(おおやまくひのかみ)を祀っていたが、
- 平安時代初期、最澄が比叡山を開いた際、日吉大社の大山咋神・大物主神(もしくは大国主神)を
延暦寺の守護神とした。
また、最澄が唐で留学した天台山国清寺に「
山王元弼神君(さんのうげんびつしんくん)」を祀っていたのに
対応した形で、日吉神社の神を「山王」としたという。
- 中世においては、上・中・下に各七社、形二十一社二十一神が祭祀されていたと云々。
日吉社の神輿を一度根本中堂に担ぎ上げ、そこから雲母坂を下って京都の朝廷まで動座する。
ただし神輿が朝廷までたどり着いた例はなく、進路を武士に阻まれ
途中で振り捨てられるのが一般的だった。
- 神輿振りの際には、日吉大社の上七社のうち、八王子・客人・十禅師の三基の神輿がまず
根本中堂まで動座し、その後少し時間をおいてから
大宮・聖真子・二宮・三宮の神輿が動座する。
- 神輿造り替えの費用はすべて朝廷が負担する事になっており、
神輿振りの際の振り捨てによって、朝廷には莫大な費用の負担が発生した。
また、そうした負担を恐れ、神輿が比叡山から降りる前に朝廷が要求を呑むケースも少なくなかったという。
参考文献
『京を支配する山法師たち』下坂守
ISIS本座 『バジラな神々』第8柱ー1