「見感(みめ)で」、「丹塗矢に化りて、其の大便為(くそま)れる溝より流下りて、
其の美人の富登(ほと)を突き」、比売を娶り子をもうけている。
- 『日本書紀』崇神天皇七年、災いを愁える天皇の夢に大物主神が現れ、
「國の治らざるは、是吾が意(こころ)ぞ。若し吾兒(がわこ)
大田田根子を以って、
吾を令祭りたまわば、立に平ぎなむ。亦、海外(わたのほか)の國有りて、自づからに
帰伏(まうしたが)ひなむ」と告げたという。
天皇が茅渟縣(ちぬのあがた)の陶邑(すえむら)にいた大田田根子を探し出し、
大物主神を祀らせると、疫病は治まり五穀が実り百姓はにぎわったという。
(陶邑、という言葉から、この話が
古墳時代にまで遡るのではないか、という指摘もある)
「わが庵は 三輪の山もと 恋しくは とぶらひ来ませ 杉立てる門」
また『袋草紙』三輪明神御歌に
「恋しくは とぶらひ来ませ わが宿は 三輪の山もと杉立てる門」
以上を踏まえて、『梁塵秘抄』巻第二 二句神歌に
「恋しくは 疾う疾うおはせ わが宿は大和なる
三輪の山本杉立てる門」
参考文献
『日本神道史』岡田壮司
『新編日本古典文学全集 神楽歌・
催馬楽・梁塵秘抄・閑吟集』
最終更新:2015年06月21日 00:13