シーボルト事件

   国禁の日本地図、蝦夷・樺太の地図などを持ち出したため、国外追放処分となった事件。
   長崎港に停泊していたオランダ船が台風で大破したため発覚。

  • ロシア船南下など対外危機が高まっていた時期に起きたため、幕閣に大きな衝撃を与えたという。

  • シーボルトに地図などを渡した幕府天文方高橋景保は、この責を負って死罪となった。

  • シーボルト自身も、1830年(天保元年)に国外退去となっている。



      参考文献

『天文方と陰陽道』林淳
解体新書の謎』大城孟


最終更新:2013年09月29日 00:32