- 宗武の切望によって、在満が書いた『国家八論』が、和歌は天下の政務にあずからないもので、
また言葉の華美を扱うものだから上古の古語は気にせず、古今集以降の優美な雅語によればよいとした主旨が
宗武の意に沿わず、結果として宗武自身が『国家八論余言』を書いたとか。
宗武はこの『国家八論余言』を
賀茂真淵に見せて意見を求めたといい、
真淵がこれに対して『国家八論余言拾遺』という所見を寄せた、その内容が国学の発展のトリガーの一つになったとか。
参考文献
千夜千冊第992夜
最終更新:2013年08月24日 01:37