山脇東洋

  • 江戸時代の漢方医。


  • 名を尚徳、字を玄飛・子樹、号を移山・東洋、通称を道作といった。

  • 1754年(宝暦四年)、京都六角獄舎において、斬首された男性死体の解剖を行う。

  • 1759年(宝暦九年)、解剖の詳細を『蔵志』として出版。
   同時代の医者からは反発を受けたが、杉田玄白などに強い影響を与えた。




      参考文献

『解体新書の謎』大城孟


最終更新:2013年10月14日 19:02