- 当時の複数の記録に、文禄三年(1594年)に釜茹での刑に処された記事が見られる事から、
実在はしていた可能性が高い。
- 当時の京都の公卿、山科言経の日記『山科言経卿日記』によれば、この処刑は同年八月二十三日。
ただしこの日記記事には「石川五右衛門」の名前は無い。
- 林羅山の編纂した豊臣秀吉の伝記『将軍家譜豊臣秀吉譜』には石川五右衛門処刑の記事が載る。
- 出生地については、江戸時代寛文七年(1667年)刊行の物語『賊禁秘誠談』では伊賀上野とし、
古浄瑠璃「石川五右衛門」では遠江浜松とする。
参考文献
『日本伝奇伝説大事典』
最終更新:2014年02月08日 04:49