豊臣秀吉


  • 自身は、大仏の鎮守たる「新八幡」として祀られるよう遺言していたという。
   その点は勅許が下りず叶わなかったが、しかし「豊国大明神」として祀られる事になった。

  • 死去後、仏式の葬儀は行わず、遺体を半年以上伏見城に安置したまま、
   京都東山近隣の阿弥陀ヶ峰山頂に霊廟を、西麓に社殿を急ぎ造立し、
   完成した1599年四月十三日に遺体を霊廟に埋葬したという。

(『天下人を祀る』滋賀県立安土城考古博物館図録)
最終更新:2012年06月24日 01:51