- 2013年5月からの調査で、戦国時代の木簡が出土した。
掘立柱建物跡の北西角にある柱から見つかった木簡には、
「東方慈父西方愛母北方長寿西方福徳中央利養堅牢地神吉
急々如律令」と書かれていた。
(二回目に出てくる「西方」は「南方」の誤記か?)
- 他にも周辺から2枚の木簡が見つかったが、判読不能とのこと。
- 当該建物は、東側中央の柱がこの時代としては珍しい八角形の柱であった由。
八角形の柱は通常寺のお堂の中心柱などに使われる事が多く、この建物も住居ではなく
特殊な用途のための建物であった可能性があるとか。
参考文献
読売オンライン2014年3月20日記事
最終更新:2014年03月21日 23:45