厳島神社



  • 『平家物語』巻三「大塔建立」の段に、平家が厳島神社を信仰するようになるまでのエピソードが載る。
   平清盛が安芸守だった頃、高野山金剛峯寺の大塔を修理せよという命を受け
   六年をかけて修理を行った。その際に奥の院にて老僧が現れ、
   「安芸の厳島と越前の気比の宮は金剛・胎蔵の垂迹だが厳島は荒れ果てている、
    修理すれば官位昇進並びなし」と告げて消えた。
   これは弘法大師に違いないという事になり、記念に金剛峯寺金堂に曼荼羅を描いたが、
   西曼荼羅(金剛界)を常明法師が、東曼荼羅(胎蔵界)を清盛が自ら描き、
   特に八葉の中尊の宝冠を自らの頭の血によって描いたという。
   のち、厳島の修理が済んで参詣すると、夢で大明神の使いに
   「銀の蛙巻の小長刀(しろがねのひるまきのこなぎなた)」(柄に銀を蛙のまきついたように巻いた小長刀)を授かった由。
   なお、清盛が高野山大塔建立を行った事は『古事談』にも記事がある。


      参考文献

『平家物語(三)』



最終更新:2014年08月11日 03:02